日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 伏見 寅威(ふしみ とらい、1990年5月12日 - )は、北海道千歳市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。, 父が全国大会に出場経験のあるラガーマンだったことからラグビーのトライにあやかって「寅威」と命名される。小学3年から野球を始め、元江別アニマルズに所属、当時は投手だった。中学は札幌白石シニアに所属し、その時に監督に捕手を命じられる。, 東海大学第四高等学校に進学すると1年秋からレギュラーとして活躍、2年秋には全道ベスト4、3年春には春大会で優勝したこともあり、夏は優勝候補と期待されたが準決勝で札幌第一高に敗退。プロからも注目されていたが志望届は提出せず、卒業後は東海大学へ進学。, 東海大学では1年春からベンチ入りし、秋からは正捕手として定着し、一学年上の菅野智之とバッテリーを組み活躍、2年になると4番も任されるようになった。2010年に行われた第5回世界大学野球選手権大会では日本代表に選出され、最終学年時には主将も務めるなど豊富な経験を積み、大学ナンバーワン捕手としてプロ数球団からマークされる。, 2012年10月25日に行われたドラフト会議にてオリックス・バファローズから3位指名を受ける。10月にオリックスから指名される夢を見ていたと語っており、会見では「本当に正夢になりました」と語っている[2]。, 2015年は20試合に出場、打率.273を記録し、2016年は一塁手や三塁手としても起用されたが、前年を下回る17試合の出場で打率.242を記録した。, 2017年は開幕を一軍で迎える。4月15日に山崎勝己との入れ替わりで二軍落ちとなったため、4試合の出場に留まった。, 2018年も開幕一軍を確保。当初は、若月健矢・山崎勝己に次ぐ第3捕手や代打要員として一軍に帯同[3]。6月2日の読売ジャイアンツ戦(京セラドーム大阪)では延長12回に代打で出場し、京セラドームでの巨人戦の連敗を9で止めるサヨナラ打を放った[4]。6月下旬以降、T-岡田、小谷野栄一、中島裕之と一塁を守れる野手の相次ぐ離脱に加え、中軸打者として期待されたステフェン・ロメロ、クリス・マレーロの両外国人の不振もあり、7月中旬以降は伏見が一塁手として先発起用されるようになり、主に5番打者を務めることとなった。中島・T-岡田・ロメロの復帰後は再び代打や控え捕手に回ることが多くなったが、一度も出場選手登録を抹消されることなくシーズン終了まで一軍に帯同し、76試合出場・201打席・打率.274・17打点など、多くの指標でこれまでのキャリアハイを更新した。, 2019年も開幕一軍を確保するも、打撃成績は低迷。6月18日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で9回の打席で三振を喫した際に左足首を痛め病院に搬送された[5]。病院での検査の結果、左足アキレス腱断裂と判明し[6]、6月19日に登録抹消された。6月21日に縫合手術を受けるも、細菌が入り9月に再手術を行なった[7]。オフの11月30日に減額制限いっぱいとなる550万円ダウンの1,650万円で契約を更改した[8]。, 2020年、前年のアキレス腱断裂の大怪我から復帰し開幕一軍入り。主に代打の切り札で起用され、山﨑福也が先発する試合ではスタメンマスクを被っている。8月6日のロッテ戦では山﨑を6回無失点の好投に導き、自信も5回裏に追加点となる2点適時打を放つなど勝利に貢献し、2人でお立ち台に上がった。, パンチ力があり、広角にも打てる強打の捕手[9]。バスターやエンドランなど臨機応変に対応出来る器用さも兼ね備え、打者を観察してリードできる冷静さと、素早いフットワークが持ち味とスカウトから評される[10]。, 「見返したい」アキレス腱断裂から捕手復帰へ… オリ伏見が涙した妻の支えと周囲への感謝, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=伏見寅威&oldid=80342165. 2013年のnpbドラフト会議で、オリックス・バファローズから2巡目で指名。契約金8,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は26。 オリックスからの指名の直後には、富士重工業の投手として第39回社会人野球日本選手権大会に出場。 2015年のnpbドラフト会議で、オリックス・バファローズから10巡目で指名された。杉本が指名されたのは、支配下登録選手として指名された88選手中の87番目であった 。指名後に契約金2,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した 。 個人年度別成績 伏見寅威 - NPB.jp 日本野球機構; 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube; 伏見寅威 (@FushimiTorai) - Twitter 宗 佑磨(むね ゆうま、1996年 6月7日 - )は、東京都 武蔵野市出身 のプロ野球選手(外野手、内野手)。 右投左打。オリックス・バファローズ所属。 選手名鑑. 投手; 捕手; 内野手; 外野手; 監督・コーチ; 公示(出場選手登録・抹消) 選手登場曲; 球団応援歌; 選手応援歌; ドラフト会議; キャンプ情報; メディア出演情報; 新人選手紹介; 契約更改情報; 記録達成者情報 杉本 裕太郎(すぎもと ゆうたろう、1991年4月5日 - )は、徳島県阿南市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。, 小学校から野球を始めると、阿南市立阿南中学校では軟式野球部に所属。中学3年の時には、徳島県大会での優勝や、四国大会でのベスト4進出に貢献した。, 徳島商業高等学校への進学後は、1年生の夏に投手として、徳島大会に登板。チームが全国大会への出場を決めると、控え投手としてベンチ登録のメンバーに入ったが、甲子園球場での登板機会はなかった。2年生の夏にクローザーを任されると、2年生の秋からエースに定着。しかし、全国大会への出場は1年生の夏だけにとどまった。, 高校卒業後に青山学院大学へ進学。投手としての素質を見込まれていたが、自身の志願によって、入学早々に外野手へ転向した。東都大学リーグでは、1年生の秋季リーグ戦から指名打者に起用。4番打者に定着した2年生の秋季リーグ戦では、10月6日の日本大学戦でリーグ史上19年振り6人目のサイクルヒットを達成し[2]、ベストナインを受賞した。3年生以降のリーグ戦では、2年後輩の3番打者・吉田正尚との2者連続本塁打を3回記録。4年生の秋季リーグ戦では、駒澤大学の今永昇太から、単独で2打席連続本塁打を放った[3]。東都大学1部リーグ通算83試合に出場、309打数81安打、打率.309、9本塁打、32打点。, 大学卒業後はJR西日本へ入社。入社1年目から公式戦に出場すると、JABA広島大会で広島東洋カープの二軍に在籍していた池ノ内亮介から特大の本塁打を放った。, 2015年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから10巡目で指名された。杉本が指名されたのは、支配下登録選手として指名された88選手中の87番目であった[4]。指名後に契約金2,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した[5]。背番号は99。吉田とは大学以来のチームメイトとなり、JR西日本でのチームメイト・高野圭佑も、千葉ロッテマリーンズから7巡目で指名された。, 2016年、同期入団の大城滉二・鈴木昂平と共に、春季キャンプを一軍で迎え[6]、途中まで一軍に帯同した。公式戦では、6月14日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に、「1番・中堅手」としてスタメンで一軍デビューしたが、無安打に終わり、この試合に出場しただけで出場選手登録を抹消された。また、痛めていた右肘の状態が打撃に支障を来すまでに悪化したため、抹消後の8月10日には右肘骨棘(こっきょく)を内視鏡で除去する手術を受けた[7]。, 2017年、2年連続で春季キャンプのスタートを一軍で迎えた[8]が、公式戦は二軍でスタート。7月13日のフレッシュオールスターゲーム(草薙球場)では、ウエスタン・リーグ選抜の「6番・右翼手」としてスタメン出場を果たした[9]。ウエスタン・リーグ公式戦には、9月上旬までに80試合へ出場し、打率.250ながらチームトップの8本塁打、35打点を記録した。9月9日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Koboパーク宮城)に「1番・中堅手」としてスタメンで出場。1回表に先頭打者として辛島航からバックスクリーンに放った本塁打が、一軍公式戦でのプロ初安打にもなった。NPBの一軍公式戦初安打を初回先頭打者本塁打で記録した日本人選手は、史上3人目だった[10]。翌10日の同カードでも1点ビハインドの9回表2死二塁から代打に起用されたが、3球三振に終わり、わずか2日で登録を抹消された[11]。一軍公式戦通算では、9試合の出場で打率.118(17打数2安打)にとどまったが、安打はいずれも長打(二塁打と前述した初回先頭打者本塁打)であった。, 2018年、3年続けて春季キャンプのスタートを一軍で迎えたが、終盤の紅白戦でサインミスを犯し、二軍へ合流。ウエスタン・リーグ公式戦でも、開幕からは7月上旬まで0本塁打で、打率が2割を切るほどの不振に陥っていた。7月11日に初めて一軍登録されると、同日の対楽天戦(楽天生命パーク)に「7番・右翼手」としてスタメンで起用された。4回表1死満塁で迎えた第2打席で、辛島から一軍でのシーズン初満塁本塁打を記録した[12]。7月17日の対北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム大阪)でも、3回裏1死満塁で玉井大翔から本塁打を放ち、NPB一軍公式戦史上8人目(オリックスの選手では初めて[13])の2試合連続満塁本塁打を記録した[14]。一軍公式戦は7試合の出場で、わずか3安打で8打点を記録し、シーズン終了後の契約交渉では推定年俸830万円(前年から130万円増)という条件で契約を更改。この年も一軍公式戦で放った安打がいずれも長打(二塁打と前述した2試合連続満塁本塁打)であり、「一軍に定着して一軍公式戦で単打を放つこと」を翌2019年の目標に挙げた[13]。, 2019年、春季キャンプからオープン戦まで一軍に帯同した。開幕一軍入りは逃したものの、ウエスタン・リーグ公式戦9試合で打率.313、4本塁打を記録するなど好調で、4月10日から一軍へ復帰した[15]。4月13日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)にスタメンで一軍公式戦初の4番打者に起用されると、3回表の第2打席でシーズン初安打をバックスクリーン直撃の1号2点本塁打、7回表の第4打席で2本目の安打を2号ソロ本塁打でマーク[16]。4月19日の対日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)7回裏には、シーズン3本目の安打を一軍公式戦初の代打本塁打で記録した[17]。翌20日の楽天戦(楽天生命パーク)で「6番・左翼手」としてスタメン出場し、5回表の第2打席で、美馬学から一軍公式戦初の単打を放った[18]。一軍公式戦では通算で4本の本塁打を放ち、4試合で4番打者を任されたが、出場自体は18試合、打率は.157にとどまった[19]。ウエスタン・リーグの公式戦では、通算78試合の出場でチームトップ(リーグ2位)の14本塁打、チームトップ(リーグ6位)の43打点、打率.277を記録した。, 身長190センチメートル・体重88キログラムと大柄な身体ながら、50メートル走で最速6秒0を計測した俊足と、遠投で115メートルを記録した強肩の持ち主[4]。一方で好不調の波が激しいため、打撃の確実性を高めることが大学時代からの課題になっている[20]。, 入団1年目の春季一軍キャンプではシートノックを視察したデイビッド・サムソン(英語版)(マイアミ・マーリンズの球団社長(当時))から、「99番の子(杉本)は肩が強くて、体格も良いので気に入った」との賛辞を受け、当時オリックスの一軍監督であった福良淳一からも「肩はイチローや田口壮に匹敵するレベル」と絶賛された[21]。, 漫画『北斗の拳』に登場するラオウのファンで、ラオウの最期の言葉である「我が人生に一片の悔いなし!」を座右の銘に挙げており[22]、報道では、杉本のことを「オリックスのラオウ」と称することがある[23]。, オリックス入団直後のほっともっとフィールド神戸での新人合同自主トレーニング中にイチローから声を掛けられ、新人野手で最初に合同でのフリーバッティングへ名乗りを上げた。イチローは、その姿勢とフリーバッティングの打球に注目[24]。自主トレーニングの最終日には、球団関係者を通じてイチローの練習パートナーに指名されると、イチローから打撃に関するアドバイスを受けた[25]。イチローが新人選手から杉本だけを指名したのは、自身と同じ外野手で、身体面の不安がなかったことによるという[26]。練習後にはイチローの前で阿波踊りを披露し、「自分は日本で一番幸せでしょう」と感激していた[27]。以降はオフシーズンを迎えるたびにイチローの自主トレーニングへ参加していたが、「(自分はまだ一軍で活躍していないので)イチローに迷惑が掛かる」という理由から、2017年に一軍初安打を初回先頭打者本塁打で記録するまでその事実を伏せていた[28]。奇しくも、イチローがシアトル・マリナーズで現役引退を発表した翌日(2019年3月22日)には、阪神タイガースとのオープン戦(京セラドーム大阪)で「野球人生では初めて」というサヨナラ本塁打を代打で放っている[29]。, 徳島商業高校での1学年先輩に、米津玄師がいる。米津とは直接の面識がないものの、在学中に校内の文化祭で歌っている姿を見たことがあるという。オリックス4年目(2019年)の契約更改直後に臨んだ記者会見では、シンガーソングライターとしての米津の知名度の高さを引き合いに出しながら、(活動のジャンルが違っていても)米津より知名度を上げることを翌2020年の目標に挙げた[19]。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=杉本裕太郎&oldid=80347002. オリックスバファローズのニュースと選手情報についてお伝えしていくブログです。「どこよりもわかりやすい、詳細な」試合速報を心掛けております。 最近は試合の中日(なかび)を使ってバファローズの選手コラムも書いております。 宗 佑磨(むね ゆうま、1996年6月7日 - )は、東京都武蔵野市出身[2]のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。, ギニア人の実父と日本人の実母の間に出生[2]。小学校3年生の時に「お茶の水スリーアローズ」で野球を始めた[2]。当時は遊撃手と投手を兼ねていて[3]、鎌倉市立玉縄中学校時代には軟式野球部に所属していた[2]。, 横浜隼人高校への進学後は、1年時の秋に外野手としてベンチ入りを果たすと、関東大会に出場[3]。2年時の春には、前年夏の選手権本大会で大会史上最多の1試合22奪三振・10打者連続奪三振を樹立した桐光学園高校の松井裕樹から2安打を放ったことで注目された[4]。3年時の6月中旬に右膝蓋骨を骨折し、手術を経て夏の選手権神奈川大会で実戦に復帰すると、チームを準決勝にまで導いた[5]。在学中には、対外試合で通算26本塁打、打率.452を記録[2][4]したが、春夏とも甲子園球場での全国大会への出場はなかった[6]。, 2014年のNPBドラフト会議で、内野手としてオリックス・バファローズから2巡目で指名[7]。契約金6,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件[8]で入団した。背番号は6[9]。, 2015年には、高校3年時に手術した右膝の痛みに加えて、夏場に腰痛を発症した影響もあり、一軍昇格の機会はなかった。ウエスタン・リーグの公式戦でも16試合の出場にとどまったが、打率.333、2三塁打、1打点を記録[10]。12月1日の契約交渉では、推定年俸600万円(前年より100万円減)という条件で契約を更改した[11]。, 2016年には、9月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)に、「2番・遊撃手」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー。しかし、初打席から3三振を喫し、遊撃の守備でもゴロの悪送球で初失策を記録した[12]。その後も一軍公式戦2試合に出場したが、無安打でシーズンを終えた。ウエスタン・リーグの公式戦では、60試合の出場で打率.272、3本塁打、12打点、3盗塁をマーク。シーズン終了後に台湾で開かれたアジアウインターベースボールリーグ(AWB)にも、同リーグ選抜のメンバーとして参加した[13]。AWBでは17試合の出場で、打率.240(50打数12安打)、12打点、1盗塁という成績を残した[14]。, 2017年には、ウエスタン・リーグ公式戦の序盤から、主にクリーンアップで起用。3・4月度のファーム月間MVPを受賞した[15]。一軍の公式戦でも、9月27日の対北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム大阪)5回裏の打席で斎藤佑樹から一軍公式戦での初安打を放つなど、10試合の出場で1本の二塁打を含む4安打をマーク。しかし、走塁面では盗塁の成功までに至らず、3つの盗塁死を喫した。ウエスタン・リーグ公式戦では、104試合に出場するとともに、入団後初めて規定打席に到達。本塁打は1本にとどまったものの、34打点、8盗塁、リーグ6位の打率.279を記録した。レギュラーシーズンの終了後には、フェニックス・リーグの数試合で外野の守備を経験[16]。秋季キャンプをはさんで、2年連続でAWBへの参加を予定していたが、キャンプ中に左肩を傷めたため参加を辞退した(代替選手はチームメイトの根本薫)[17]。, 2018年には、春季キャンプのスタートを二軍で迎えたものの、二軍の紅白戦で好成績を残すなど打撃面で急成長。一軍クラスの中堅手が軒並み故障や不振であったことから、一軍監督・福良淳一の方針で、内野手登録のままキャンプの途中から外野手へ転向した[16][18]。3月4日の横浜DeNAベイスターズとのオープン戦(ほっともっとフィールド神戸)では、前日(3月3日)の同カード(京セラドーム大阪)に続く1回裏での先頭打者本塁打をランニング本塁打で記録した。NPBオープン戦でのランニング本塁打は、2012年のクレイグ・ブラゼル(阪神タイガース)以来6年振りで、日本人選手としては谷佳知がオリックス・ブルーウェーブ時代の2001年3月3日の対大阪近鉄バファローズ戦で記録して以来17年振りである[19]。オープン戦全体では、13試合の出場でチームトップの4本塁打・4盗塁および、打率.306をマーク。自身初の開幕一軍入りを果たした[20]ばかりか、主に「1番・中堅手」として開幕戦からスタメンに定着した。「OSAKAクラシック」として開かれた4月30日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム大阪)では、1回裏の打席で、一軍公式戦での初本塁打を中田賢一からの先頭打者本塁打で記録した[21]。5月中旬以降は、故障による戦線の離脱[22]や、打撃不振による打順の降格を経験。「1番・中堅手」へ再び起用された9月30日からの対楽天2連戦(楽天生命パーク)では、第1戦の第4打席で3号2点本塁打を放つと、翌10月1日の第2戦で初回先頭打者本塁打からの2打席連続本塁打によって、2日がかりで3打席連続本塁打を記録した[23]。一軍公式戦には通算74試合の出場で、打率.233ながら、5本塁打、22打点、3盗塁を記録した。, 2019年には、登録ポジションを内野手から外野手へ変更。春季キャンプのスタートを一軍で迎えたが、打撃不振でキャンプ中に二軍へ降格。前年につかんだ開幕スタメンの座も一軍経験の浅い西浦颯大に奪われるなど、一軍への復帰は、セ・パ交流戦の終盤[24]にまで持ち越された[25]。7月10日の対楽天戦(楽天生命パーク)では、同点で迎えた延長10回表2死1・2塁の打席で、高校2年時の選手権神奈川大会以来6年振りに対戦した松井裕樹から決勝の適時打を放っている[26]。一軍公式戦全体では、出場試合数(54試合)や本塁打(2本)などが前年から減少した一方で、前年を上回る打率(.270)や盗塁数(7)をマーク。二軍調整中から三塁の守備を練習していたため、レギュラーシーズンの終盤に中堅手としてスタメンに起用された一軍公式戦では、途中の守備から三塁を経て中堅に戻ることもあった。結局、一軍では内外野とも無失策でシーズンを終えている[24]。なお、シーズン終了後の11月下旬からは、およそ1ヶ月にわたってオーストラリアン・ベースボールリーグへ派遣[27]。リーグ戦23試合の出場で、打率.387、3本塁打、12打点と活躍したほか、全試合で三塁を守った[24]。, 2020年には、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦の途中までは好調だったが、新型コロナウイルスへの感染拡大に伴う自主練習期間中に背中と腰の間の張りが強まった[28]影響で、開幕一軍入りを逃した。開幕2週間後の7月1日から、一軍へ本格的に復帰。正三塁手として開幕を一軍で迎えていながら不振の中川圭太に代わって登録された[29]ため、外野手登録ながら、復帰後は主に三塁手として起用されている。7月25日の対楽天戦(楽天生命パーク)では、7回表に代走でホームスチール(本盗)を成功させると、9回表の打席でランニング本塁打を記録した。オリックスの選手による一軍公式戦でのランニング本塁打は、前身球団を含めても18年振りだが、同じ試合で本盗も成功させた事例は初めてである[30]。, 手動計測ながら50メートル走で最速5秒8[2][3]の俊足と、遠投100メートルの強肩の持ち主で、投手としてストレートで最速141km/h、高校3年時の春に立ち幅跳びで2m69cmを記録する[3]ほど身体能力が高い。, オリックスへの入団後は外野手として広い守備範囲を見せていたが、入団4年目(2019年)のシーズン終盤からは、出場機会を増やすべく三塁の守備に重点を置いている[31]。, 中学3年生時の冬休みにガーナを訪れ、その際に知人の呪術師から現地の宗教に基づくブレスレット状のお守り「ジョパタ」をもらった。高校生になり、それをユニフォームのポケットに入れてプレーすると試合でご利益が現れるようになったという。オリックスへの入団後の入寮の際にも、「ジョパタ」を持ち込んだ[4][32]。, オリックス4連勝 宗が「ランニング本塁打&本盗」で快勝貢献「いけるところまで走ろうと思った」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=宗佑磨&oldid=80349254, 初本塁打:2018年4月30日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(京セラドーム大坂)、1回裏に.
キラ メイジャー マンガ,
内藤剛志 妻役,
クィーンスプマンテ ウイニングポスト,
棋士 扇子 なぜ,
ミッドウェイ 運命の海 Dvdラベル,
チャンピオンズカップ 斤量,
成瀬 善久 プロスピ 査定,