シーズン序盤から中盤にかけては山本和作と併用が続き守備固めでの出場も多かったが夏場からはショートのレギュラーに定着。131試合に出場し打率.235、本塁打5本、糸井嘉男に次いでチーム2位となる16盗塁を記録した。, 2014年、一軍公式戦143試合に出場するとともに、チームのパシフィック・リーグ優勝争いに貢献。リーグ5位の29盗塁を記録した。, 2015年、一軍公式戦139試合の出場で、自己最多の11本塁打・55打点を記録。一軍選手の戦線離脱が相次いだチーム状況の下で、一軍公式戦への出場試合数が2年続けてチームトップに達したが、盗塁数は16、打率は.239にとどまった。, 2016年、自主トレーニング期間中の1月23日に、潰瘍性大腸炎で緊急入院。春季キャンプ期間中の2月10日に退院した後は、キャンプに合流せず、単独でリハビリに専念した[7]。公式戦開幕直後の4月上旬には、ウエスタン・リーグのデーゲームでフル出場が可能になるまでに体調が回復。同月12日には、シーズン初の出場選手登録を経て、日本ハムとのナイトゲーム(京セラドーム大阪)にスタメンで一軍復帰を果たした[8]。復帰後は、前年に続いて正遊撃手に定着するとともに、一軍公式戦118試合の出場でプロ入り後自己最高の打率.273を記録。22試合へ出場した7月には、月間通算の安打数(30安打)と打率(.380)がいずれもパ・リーグで最高だったことから、自身初のリーグ月間MVPを受賞した[9]。, 2017年、2年振りに公式戦を一軍でスタート。一時は「3番・遊撃手」に固定されたが、5月第2週終了時点でリーグ規定打席到達者の最低打率(.170)を記録するなど、打撃面で不振を極めた[10]。遊撃守備中の打球処理に支障を来すほどの体調不良も重なったため、5月中旬には一時、出場選手登録を抹消された[11]。その後再び一軍に昇格し、「3番・遊撃手」で出場した6月2日の対巨人戦(東京ドーム)では、決勝ホームランを含む4安打の活躍でヒーローインタビューを受けている。一軍公式戦には、通算で109試合へ出場。打率は.203ながら、前年1本だった本塁打は3本にまで増えた。「1番・遊撃手」に起用された9月20日の対楽天戦(Koboパーク宮城)では、シーズン2度目の猛打賞などで攻守にわたってチームの勝利に貢献したことから、試合後にヒーローインタビューを受けている[12]。しかし、この試合の1週間後(9月27日)に、潰瘍性大腸炎が再燃していることが病院の検査で判明。再び登録を抹消されると、シーズン最終盤の10月2日まで入院した[13]。, 2018年、一軍公式戦の開幕から戦線を離脱することなく、正遊撃手として140試合に出場。主に下位打線を担いながら、チームトップの20盗塁を記録したが、打率は.219にとどまった。しかし、守備面で高い評価を得たことなどから、オールスターゲームのパ・リーグのプラスワン投票で2位に選ばれた。1位の大田泰示(日本ハム)が故障で出場を辞退したため、大田の補充選手として、7月13日に京セラドーム大阪で催された第1戦に「9番・遊撃手」としてスタメンで初出場。2回裏の第1打席で初安打と初盗塁を決める[14]と、遊撃の守備でもジャンピングキャッチなどのファインプレーを披露した[15]。シーズン終了後には、球団との間で、翌2019年からの3年契約を締結。契約更改後の記者会見では、「病気(潰瘍性大腸炎)を抱えて(チームに)迷惑を掛けたので、複数年(契約)はありがたい」という表現で、早ければ同年中に取得予定の国内FA権を行使せずにチームへ残留する意向を示した[16]。, 2019年、一軍公式戦の開幕から「9番・遊撃手」としてスタメンに起用されたが、開幕5試合を終えた時点で8打数無安打3失策と不振を極めたため、4月4日に出場選手登録を抹消[17]。さらに、「野球生活では初めて」という左太腿裏の肉離れを抹消中に発症したため、1ヶ月もの戦線を離脱した[18]。セ・パ交流戦終盤の6月14日から一軍に復帰。抹消中には大城滉二が正遊撃手へ定着していたが、「一軍の正三塁手が定まっていない」というチーム事情を踏まえて、復帰後は主に三塁を守っていた[19]。6月23日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)10回表の打席では、小田裕也に続いて三塁打をマーク。後続打者の後藤駿太と福田周平も三塁打を放ったことから、公式戦では日本プロ野球史上2回目(1950年以降の2リーグ制では初めて)の1イニングチーム4三塁打を達成した[20]。8月には月間打率.292を記録したほか、6日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で一軍公式戦434日振りの本塁打を放つ[21]など好調だった。同月の中旬から体調を崩した[22]影響で、9月にも一時戦線を離脱した[23]ため、一軍公式戦への出場は56試合にとどまった。この年で3年契約の1年目を終えたが、シーズン終了後に現状維持(推定年俸9,000万円)という条件で契約を更改[24]。, オリックス入団後のインタビューで「周囲の人からは『(遊撃以外のポジションを守るなど)幅を広げた方が良い』と言われるが、自分は『野球を長く続けたい』というより、『ショート(遊撃)を守りたい』という思いが強い」「『ショートを守れなくなったらもう引退しようかな』と思っている」と語るほど、「遊撃手」というポジションへのこだわりが強く[25]、堅実かつ大胆なプレーと守備力の高さに定評がある[26]。 バファローズファームでは10月の全主催試合に対し、一軍同様に政府指針やNPBの感染拡大防止ガイドラインを遵守しながら、入場者数を増やすこととしました。 2012年 、春季キャンプで右手親指付け根を骨折した 影響で、開幕を二軍で迎えた。5 5月10日に一軍昇格を果たすも打撃不振とウイルス性胃腸炎で二軍落ち。2 2度目の昇格後の7月7日の対 ロッテ 戦でようやくプロ入り初打点・初安打を記録した。� 安達 了一(あだち りょういち、1988年1月7日 - )は、オリックス・バファローズに所属する群馬県高崎市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。, 高崎市立北小学校では少年野球チームには所属せずソフトボール少年であった。高崎市立第一中学校入学後に軟式野球を始め、主に捕手、外野手としてプレーしたが、内野を守ること[2]もあった。中学3年では同校が平成4年に全国準優勝した時以来の県大会出場を果たした。(県大会ベスト8)。群馬県立榛名高等学校時代は、1年時から三塁手のレギュラーに定着。2年時の秋から主将となり、遊撃手となる。3年時の夏は、群馬大会4回戦で敗退[2]。高校時代は盗塁をしていなかった[3]。, 高校卒業後は、関甲新学生野球連盟に加盟している上武大学に進学。3年時の秋に打率.394と最高出塁率.535の好成績を残し、MVPとベストナインを受賞。4年時にはクリーンナップを務め、春には首位打者(.425)、最多本塁打(4本塁打)、最多打点(17打点、リーグタイ記録)の三冠に輝く[4]。夏には大学日本代表候補強化合宿にも招集され、秋の第40回明治神宮野球大会では4番として同校の準優勝に貢献したが、ドラフトでの指名は無かった[2]。, 大学卒業後の2010年に東芝へ入社すると、1年目からレギュラーに定着。第81回都市対抗野球大会では、1番・遊撃手として打率.391を記録し、同チームの優勝に貢献。新人王にあたる若獅子賞を受賞した。2年目の2011年は第39回IBAFワールドカップメンバーに選ばれるが第1ラウンド敗退[2]。連覇のかかった第82回都市対抗野球大会では、10月27日に日本生命との2回戦で逆転負け。自身も海田智行の前に3打数無安打と抑え込まれた[2]。しかし、試合終了から数時間後に開かれたNPBドラフト会議で、試合会場の京セラドーム大阪を本拠地に用いるオリックス・バファローズから1巡目で指名。高橋周平への指名重複による抽選で独占交渉権を逃した末の再指名だったが、本人はドームから宿舎に戻るバスの中で、チームメイトから指名を知らされたという[2][4]。背番号は、東芝時代と同じ3[2]。, 2012年、春季キャンプで右手親指付け根を骨折した[5]影響で、開幕を二軍で迎えた。5月10日に一軍昇格を果たすも打撃不振とウイルス性胃腸炎で二軍落ち。2度目の昇格後の7月7日の対ロッテ戦でようやくプロ入り初打点・初安打を記録した。その後も腰痛を抱える大引啓次に代わって遊撃手として先発出場することもあったが、守っては自身の悪送球から失点を招いたり、走塁では一塁への帰塁の際に二塁ベースを踏み忘れアウトになるなどミスが目立ち[6]、9月17日に二軍降格。9月30日に一軍へ再び昇格すると、終盤戦で活躍した。10月7日の西武戦で初の猛打賞、翌8日の福岡ソフトバンクホークス戦での適時打でシーズン最終打点を記録した。この年は同期入団の川端崇義がシーズンを通じて一軍で活躍したが、安達自身は一軍公式戦で50試合の出場で、打率.159、4打点と低調。ウエスタン・リーグの公式戦では、34試合の出場で、打率.269、2本塁打11打点を記録した。, 2013年は森脇浩司監督のもとでキャンプから積極的に起用され二番・遊撃で自身初の開幕スタメンに抜擢された。4月5日の西武戦では、岸孝之からプロ入り初本塁打を放った。 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 UZRは2015年に遊撃手として29.0を記録[27]。潰瘍性大腸炎を発症した2016年以降のシーズンも、14.8→11.6→9.4と高い水準で推移している[28]。2019年の公式戦では、大城が正遊撃手を務めていた関係で、三塁の守備に就く機会も多かった。, 右打席から左方向へと長打を放つなどの意外性が魅力だが、潰瘍性大腸炎を発症した2016年シーズンを境に、長打率が.323→.278→.277と低下。また、以前はIsoDの値が比較的高かったが、2016年頃からは早打ちの傾向が見られる。, オリックスでは安達が入団してからの一軍公式戦で1安打完封負けを4回(2014年・2019年に各1回、2020年に2回)喫しているが、安達はいずれの試合でもチーム唯一の安打を放っている(上記の4例目に該当する2020年9月11日の対ロッテ戦終了時点)[29]。, 2014年には、1月18日に、福岡県出身で3歳年下の一般女性と結婚した。9月12日には、自身と同じ群馬県出身のチームメイト(中山慎也・小島脩平・後藤駿太)と共に、同県から「ぐんま観光特使」を委嘱。2016年1月31日で任期を満了するまで務め上げた[30]。, オリックス・バファローズ 安達 了一選手【後編】 「『バスター&ラン』を成功させる極意」 | 2015年インタビュー, 「忘れるな、踏んで帰ろう一塁へ」安達、帰塁も残念アウト 2012.09.11 L-Bs, 2018年7月13日(金) 京セラドーム大阪 【オールスターゲーム】 パシフィック・リーグ vs セントラル・リーグ 第1戦投打成績, 【オリックス】球宴初出場の吉田正、ホームランダービー22発&試合2安打「疲れました」, http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140912-1365650.html, “「インクレディブル・ファミリー」で中田翔、柳田悠岐らパ・リーグ選手が声優初挑戦”, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=安達了一&oldid=80353597, 初盗塁:2012年10月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(京セラドーム大阪)、7回裏に二盗(投手:. オリックス安達 オリックス安達了一内野手(31)の2軍降格が3日のソフトバンク戦(京セラ)後に決まった。 開幕スタメンながら3試合で8打数無安打。� 守備では8回に先頭打者の遊ゴロを後方にそらすなど、ここまで3失策。�
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