1987: ブライアン・オーサー • 1982: スコット・ウィリアムズ • 宇野 昌磨(うの しょうま、英語: Shoma Uno、1997年12月17日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。愛知県名古屋市出身。マネジメントはユニバーサルスポーツマーケティング「USM」在籍 (2015年7月-)[6][7]。トヨタ自動車嘱託社員[4][8]。, 2019年6月までは「グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブ」に在籍していた[9]。, 主要な戦績として、2018年平昌オリンピック銀メダリスト、2017年・2018年世界選手権2位、2017年・2018年グランプリファイナル2位、2019年四大陸選手権優勝、全日本選手権4連覇(2016年-2019年)など。, 2016年4月22日に開催されたコーセー・チームチャレンジカップにてISU公認大会初の4回転フリップジャンプに成功。 ISUから公認大会で史上初成功した選手として認定され[10]、2016年10月1日のジャパン・オープンの大会終了後にギネス世界記録の認定証を授与された。ギネス上の記録名は「公認大会で初めて4回転フリップジャンプをした男子フィギュアスケート選手|First quadruple flip jump in a figure skating competition(male)」である[11]。, 名古屋市立冨士中学校[12]、中京大学附属中京高等学校を卒業。2016年4月に中京大学スポーツ科学部へ入学。血液型はB型。, 4歳年下の弟・樹が両親への聞き取りもまじえてまとめたエッセー『兄・宇野昌磨』によれば、宇野は1000グラムに満たない超低体重出生児で生まれた。幼少期は喘息で入退院を繰り返し、身体を強くしようと両親がいろいろなスポーツを試させたなかで、宇野本人が「もう一度やりたい」と言ったのがフィギュアスケートだったという[13]。, また、樹はTwitterで兄が紫外線アレルギーであることも告白している。「同じ兄弟でも昌磨は紫外線アレルギーです。紫外線にあたると赤く腫れ、熱や湿疹も出て数週間は治りません。[14]」とのことである。, 5歳の頃、名古屋スポーツセンターでスケート教室に参加した際に、スピードスケートかアイスホッケー、フィギュアの選択肢があり、偶然居合わせた浅田真央に「一緒にフィギュアスケートやろうよ」と声をかけられ、フィギュアを選んだ[15][16][17]。以降、浅田が海外に拠点を移すまでの5年ほどの間、練習を共にした[18]。同じ山田満知子門下生の村上佳菜子とも姉弟のように仲が良い。, 憧れの選手は高橋大輔[15][17]。2006年12月、全日本選手権で高橋のFS『オペラ座の怪人』を生で見たことがきっかけ[19]。同大会には、男子唯一の花束スケーターとして浅田真央に花束を贈呈した。, トリプルアクセルをジュニア時代に長期間跳べず、2014年10月に会得した遅咲きの選手であった。一時期は周囲にやらされていたと認めるが、その後は練習の虫と称されるほど練習を大事にしている[17][21]。, 2018年平昌オリンピック銀メダル獲得後のインタビューでは、「五輪で2位だからうれしいとかはない」「他の試合の銀メダルとあんまり違いを感じなかった」また、「特別な場所なんだなっていうのはあったけど、僕にとっては特別じゃない。最後まで1つの試合でした」「正直、あんまり今後のためにならないかな。あまり緊張もしなかったし、新たな経験もしなかった」と宇野節を語っている[22]。, インタビューでは「努力は必ず報われるとは思っていない。ただ、うそはつかないとは思っている[23]」、他選手のアクシデントから何か教訓を得たかとのマスコミからの問いに「ひとのけがをしたところを見て、そういうことは考えてはいけない。答えたくもない[24]」、五輪銀メダリストとして挑むシーズンに向けて「過去の結果に何か意識を置いたことはない。成功した人が勝つと思っているので[25]」などの発言がある。, 4種類の4回転ジャンプ(フリップ、ループ、サルコウ、トウループ)と全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる。, 4回転フリップは、2016年コーセー・チームチャレンジカップ(アメリカ・スポーケン)のSPでの成功により、ISU公認大会における史上初めての成功者としてISUから認定された[31][32]。(ISUのバイオグラフィ[33] には、史上初成功であるとの記録が残されていないが、他の形式で[34][10]、史上初成功であるとISUから発表されている。)翌日のFSでも成功させ[35]、2016-17シーズンには、SPとFSの両方の構成に組み込んでいる。, 4回転ループは、2016年四大陸選手権の公式練習などで着氷を成功させていたが[36]、試合では2017年四大陸選手権のFSで初挑戦し成功させた[37]。ISU公認大会では史上2人目の成功となった。, 4回転サルコウは、2017年四大陸選手権の公式練習などで着氷を成功させていたが、試合では2017年ロンバルディアトロフィーのFSで初挑戦し成功させた[38]。2017-18シーズンFSに組み込んでいたが成功率が上がらず、プログラムの完成度を守るため平昌五輪前に封印した。 2002: ジェフリー・バトル • 1996: トッド・エルドリッジ • 49: 川島達二郎 • 2012: パトリック・チャン • 2010-2011: パトリック・チャン • 1982: スコット・ハミルトン • 2010: アダム・リッポン • 2015: デニス・テン • 2011:  デニス・テン • 1988: カート・ブラウニング • 1982: スコット・ハミルトン • 2019/20: 佐藤駿, 1930: 片山敏一 • 08-09: 羽生結弦 • 2009/10: 羽生結弦 • fs 結果 2020年3月16日-22日 2020年世界フィギュアスケート選手権(モントリオール) 2020年2月20日-23日 チャレンジカップ2020(デン・ハーグ) 1 91.71: 1 198.70: 1 290.41: 2020年2月4日-9日 2020年四大陸フィギュアスケート選手権(ソウル) 欠場 2019年12月19日-22日 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 海外「空を飛ぶ鳥のよう」宇野昌磨2020チャレンジカップ優勝/fs/sp. 2003: エフゲニー・プルシェンコ • 97-98: 竹内洋輔 • 2018: 宇野昌磨  • 62: 服部義昭 • 31: 長谷川章夫 • 4月22日から開催されたフィギュアスケート「3大陸(北米、欧州、アジア)対抗戦 コーセー・チームチャレンジカップ」で、宇野昌磨選手が史上初の4回転フリップをsp、fsで跳んで世界を騒がせているが、 … 2006-2007: 高橋大輔 • 1994: エルビス・ストイコ • その後、ロシアのエテリ・トゥトベリゼコーチのサマーキャンプに参加することが決定。アレクサンドラ・トゥルソワやアンナ・シェルバコワをはじめ、女子ジュニア4回転時代を切り開いた選手のコーチを務めるエテリだが、男子トップ選手では初めてエテリの指導を受けることになった。, エテリへの師事をするか否かは明らかにされておらず、「新しいコーチは急いで決める必要も無い。20-21シーズンまでに決めたい」と19-20シーズンはコーチ不在のままシーズンへ突入する可能性も示唆した。, ロシア単身合宿から帰国した宇野は、エテリへの師事を有力視していた世間の予想に反して19-20シーズンをメインコーチなしで臨むことを明らかにした。当面は中京大学を拠点とした上でジャンプコーチに本田武史を起用。18-19シーズンにエキシビションで使用した“Great Spirit”をSPに、カラムスコットの“Dancing On My Own”をFSに使用することを発表。振付は両者とも18-19エキシビションでタッグを組んだシェイリーンボーン(SP)、デビットウィルソン(FS)に依頼し、競技用プログラムとして樋口美穂子以外の振付で臨む初のシーズンとなった。, グランプリシリーズ初戦となるフランス国際、ショートプログラムでは6分間練習からミスが目立った冒頭の4回転フリップで、2.36点の加点を導く成功。しかし、4回転トーループで転倒、さらに練習から失敗の少ないトリプルアクセルでも転倒、79.05点の4位と出遅れた[82]。フリーでもトリプルアクセルで2度転倒するなど精彩を欠き、フリー9位の136.79点、合計215.84点で、15年のシニア転向後最低となる8位にとどまり、グランプリファイナルの出場は絶望的になった[83]。, その後グランプリシリーズ第2戦ロステレコム杯を前にスイスのステファン・ランビエルコーチの元で指導を仰ぎ、第2戦での巻き返しを狙った。ロステレコム杯では、宇野の希望によりランビエルコーチが正式なコーチではないものの試合に同行し、コーチと同じ立場で技術的なアドバイスをしたり、試合後のキスアンドクライで宇野の隣に座るなどした。結果、ショートでは4Fこそ転倒したもののフランス杯で決められなかった残りに2本を着氷し87.29、4位につける。フリーでは冒頭の4Sで転倒した際に「靴がズレて違和感があった」と2本目の4Tを入りのモーションは行ったが跳ばず、スルー。その後のジャンプは着氷し、本数を合わせるため最後のコレオシークエンスを早めに切り上げ4Tを跳ぶという攻撃的な選択を取るが成功はならなかった。結果、164.95で4位となり僅差で表彰台を逃し、グランプリファイナル出場はならなかったがフランス杯とは違い笑顔を見せるシーンが多く、復調の兆しを見せた。, 4年振りの羽生結弦との対決に注目が集まる中、宇野はステファン・ランビエルに師事することを発表した。宇野は全日本へ向けスイスで1ヶ月近くステファン・ランビエルの元で練習をしており、GPF出場を逃したこともあって比較的落ち着いて調整が出来たせいか練習から笑顔を見せる。ジャンプも課題であった4Fを決めるほか、4Sに加えて2シーズン封印してきた4Loを着氷するなど好調をアピールした。, ショートでは4F、4T-2T、3Aを全て完璧に決め、非公式ではあるが自己ベストをも上回る105.71をマークし、羽生結弦110.72につぐ2位につける。, フリーでは4回転をトウループ、フリップの2種に絞って挑んだが全体的に着氷が完璧とはいえない出来でGOEが伸びきらなかった。自己ベストからは約13点離れたが今季自己ベストとなる184.86をマーク。 2001: 本田武史 • 37: 小林達雄 • 1979: ヴィタリー・エゴロフ • 03: 岸本一美 • 96: 田村岳斗 • 1995-1996: エルビス・ストイコ • 2007:  徐銘 • 3月にはルクセンブルクで行われたプランタン杯に出場。主要国際大会でないため、非公認記録になるがSPで104.31点でトップに立ち自己ベストを4.03点上回るスタート[55]。続くフリーでは、冒頭の4回転ループで転倒したが、その後はほぼミスのない演技で199.37点で1位となり、合計303.68点で優勝した[56]。, 続いてヘルシンキで開催された世界選手権に出場。ショートでは、全てのジャンプを成功し、自己最高となる104.86点で四大陸選手権で出した自己ベストを4.58点更新。冒頭の4回転フリップ、続く4回転-3回転の連続トーループは出来栄え評価で1点以上の加点を得た。首位のハビエル・フェルナンデスとは4.19点差の2位となる。, 逆転をかけたフリーは冒頭の4回転ループを着氷させて勢いをつけ、4回転フリップへとつなげた。続く3回転ルッツでバランスを崩したがその後に響かせることもなく滑りきったり、フリーでは214.45点となった。トータルスコアはシーズンベストとなる319.31点。合計では自己ベストを31.26点も更新。, また、同大会は翌年の平昌オリンピックの代表枠を決定する大会でもあり、この結果を受け、同大会に出場した羽生結弦との合計ポイントは3ポイントという出場国最高のポイントに。平昌オリンピックの最大代表枠3枠の獲得に大きく貢献を果たした[57][58]。, シーズン最終戦の世界国別対抗戦ではSP1位とFS2位を獲得しチーム日本の優勝に貢献した。総合得点では男子シングル全選手の最高得点となる302.02を獲得した[59]。, 2017-2018シーズンを前に、2017年6月1日にトヨタ自動車 に従業員アスリート[60]として入社した[4]。ショートに『四季 協奏曲第4番 「冬」』、フリーは2季ぶりに『トゥーランドット』を使用することを自身の公式サイトで発表した[61]。初戦のベルガモで開催されるロンバルディア杯に出場。ショート・フリー・トータルスコアの全てで自己ベストを更新。フリーでは実戦で初めて4回転サルコーを成功させるなど5度の4回転ジャンプを全て着氷し、2連覇を達成した[62]。, グランプリシリーズ初戦のスケートカナダで優勝。フランス杯ではインフルエンザの発症によって休養を余儀なくされ体調不良の中、2位となる。昨季のプランタン杯から5戦続いていた300点超えは5大会連続で途絶えたが、12月の地元・名古屋市で開催されるグランプリファイナルの出場を決めた[63]。, グランプリファイナルのショートは3回転アクセルを転倒しながら100点越えで2位(101.51点)。フリーでは今季初戦のロンバルディア杯で成功させた4回転サルコーを2大会ぶりに投入して成功させたものの、冒頭の4回転ループと後半の4回転トーループを失敗。SP1位だったネイサン・チェンにも多くのミスがあり、FS1位(184.50点)となったが、総合では0.5点の僅差で2位。グランプリファイナル3季連続となる表彰台で自身の最高位。演技中には気付けなかったが、規定の範囲内であと1回ジャンプすることによりチェンの得点を上回ることは可能だった[64]。全日本選手権では2連覇[65]を達成し、オリンピック代表に初選出された。, 四大陸選手権ではこのシーズン苦しむ4回転トーループを修正し、フリー後半で二本決め、オリンピック前最後の実戦で2位となった。, 2018年2月、韓国で開催の平昌オリンピックでは、まず団体戦で日本人代表選手としてショートプログラムに登場。ショートプログラムでは各国のエース選手が投入されたが転倒が相次ぐ波乱の展開が続くなか、103.25点をマークする唯一の100点超えで、2位に10点以上を付け1位に立ち、日本チームのフリープログラム進出と5位入賞に貢献した[66]。, 男子シングル個人種目では、ショートプログラムでは最初に4回転フリップを成功、後半に4回転と3回転の連続トーループを決めた。トリプルアクセルでは着氷で乱れかけたもののこらえ、1位の羽生結弦に約7.5点差、2位のハビエル・フェルナンデスに約3.5点差離れた104.17点で3位に付けた。, フリーでは出場24選手で最後の滑走順となった。冒頭の4回転ループですぐに転倒するも、4回転フリップは成功、3回転ループも決めた。後半では、4回転と2回転の連続トーループは2本とも着氷が乱れたが、イーグルからのトリプルアクセルや最後の4回転となったトーループは成功、さらにトリプルアクセルからの3連続ジャンプ、サルコーとトーループの連続ジャンプを決める。結果フリーのみの得点では202.73点、最終順位でフェルナンデスを1.68点上回る総合得点306.90点で、自身初の五輪出場で銀メダルを獲得。日本フィギュアスケート選手では、伊藤みどりと浅田真央(共に女子シングル)に続く3人目の五輪銀メダル獲得となり、日本男子シングル・フィギュアスケート選手では、歴代3人目の五輪メダリストとなる。, 日本フィギュアスケート史上初の五輪複数表彰台及びワンツーフィニッシュとなる。更にフィギュアスケートの男子シングル種目史上でも、五輪同国ワンツーフィニッシュは2002年ソルトレイクシティ五輪以来16年ぶり、日本冬季五輪史上でも1972年札幌オリンピックのスキージャンプ70m級、笠谷・金野・青地の表彰台独占以来46年ぶりとなる。, 2018年3月、イタリア・ミラノで開催された世界選手権では、平昌オリンピック直後に新調した靴を急ピッチで馴染ませようと練習量を増やした結果、開幕前の公式練習で右足甲痛を発症。本番のショートプログラムではジャンプの難易度を落として挑んだが、4回転フリップから変更した4回転トウループは綺麗に着氷したものの、3回転の連続ジャンプで2本目が2回転になるミス。スピンやステップでは全ての項目で最高のレベル4を獲得したものの、94.26点と自己ベストよりも10点以上低い得点で5位発進となる[67]。フリーでは「(翌年の世界選手権の)枠のことがあるので攻めたい」と難度を落とすことなく、五輪と同じジャンプ構成で挑んだ。中盤までジャンプに苦戦する展開だったが、終盤は4回転-2回転の連続トーループを決めるなど現地メディアに「魂の270秒」と評され[68]、フリー179.51点の合計273.77点となる。, 結果、2年連続で準優勝し、2つ目の世界選手権銀メダルを獲得。日本人男子フィギュアでは、4人目の世界選手権メダル複数保持者となる。, この結果を受け、羽生結弦の欠場で出場した友野一希の健闘で日本選手の合計ポイントは7ポイントになり、翌年に日本の埼玉県さいたま市で開催予定の世界選手権での代表3枠を保持した[69]。, 新たなショートプログラムに『天国への階段』を、フリーにはベートーヴェンのピアノソナタ『月光』を使用することが発表された[70], 初戦のベルガモで開催されるロンバルディア杯に出場。ショートは104・15点を記録し首位発進し[71] 、フリーでは1位の172・05点となる。ショートからトップを守り、計276・20点で3連覇を果たした。従来の4分30秒から4分へ短縮された新ルールに、疲れものぞかせながら初戦を制した[72]。, グランプリシリーズ初戦のスケートカナダで逆転優勝し2連覇を達成した[73]。続くNHK杯に初出場し、ショート、フリーともに4回転トーループのコンビネーションジャンプにミスが出るが、スケートカナダに続いて自身初のGPシリーズ連勝を果たした。しかし、迎えたグランプリファイナルでは現地入り直後から急激に調子を落とし、ショートは91.67点で2位、フリーは183.43点で2位。総合275.10点で2位となった[74][75]。, 3連覇を期待される中で挑んだ全日本選手権は、ショート当日の朝の公式練習前にウォーミングアップで右足首を捻挫し、さらに直前の6分間練習でも足を痛めた様子を見せ、ジャンプをほとんど跳ばずに本番を迎えた。そのまま挑んだショートでは冒頭の4回転フリップをはじめジャンプを全て成功させ、ガッツポーズを見せる演技で102.06点をマークし首位に立った。怪我の状態を心配する報道陣に対し宇野は「弱い自分を見せたら大崩れしてしまう。言い訳にしたくないので、フリーが終わるまでは僕の口からは控えたい」として足の状態を一切口にしなかったが、その夜には「痛くて歩けなかった」とのちに本人が語るまでに悪化した。翌日は公式練習をパスして病院でMRI検査を受け、捻挫の診断と「無茶はしても痛いだけで選手生命には響かないと言われた」こと、トレーナーの処置を受け痛みが改善したことからフリー出場に踏み切った。フリー当日の公式練習でもジャンプの着氷が乱れるなどし、コーチ陣からは棄権を勧められたが、本人の意志もあり強行出場。本番では4回転サルコウを3回転サルコウに、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションを3回転ループの単発にするなど構成の難易度を落としたものの、冒頭の4回転フリップと4回転トウループ、4回転トウループ-2回転トウループの3本の4回転を着氷するなど踏ん張り、187.04点をマーク。結果はシーズンベストとなる289.10点で優勝を飾り、3連覇を達成した。なおこの大会では、常々「憧れ」と口にしていた高橋大輔と5年振りの競演となった。, その後、全日本選手権のエキシビションと年明けに予定していたイタリアでのアイスショー出演を見送り、捻挫(靭帯の部分断裂であったことをのちに公表)の治療とリハビリに専念。しかし氷上練習を再開した直後に同じ箇所を再び捻挫、2月中旬にエントリーしていたチャレンジカップ欠場を決め[76]、世界選手権までの試合を四大陸選手権のみに絞ることに決めるも1月の末に3度目の捻挫を負い、極度の練習不足のまま、四大陸選手権出場のためアメリカ入りした。, 四大陸選手権では、大会前に宇野は「世界大会で"シルバーコレクター"と皆さんに言っていただいて、満足できる2位、満足できない2位、たくさんあったと思いますけど、1位を目指して頑張りたいと思います」とシルバーコレクター返上を宣言[77]。しかし、右足首の捻挫の影響もあり、ショートでは冒頭の4回転トウループと続く3回転サルコウ-3回転トウループでバランスを崩すなどジャンプにミスが相次ぎ、91.76点でまさかの4位発進となった。しかしフリーでは、4回転サルコウこそ封印したものの、「アメリカに来てから練習を再開した」という4回転フリップを構成に戻し、4回転トウループ2本と合わせた計3本の4回転をすべて着氷。終了直後に氷上に倒れこむ程の気迫あふれる演技を披露し、ルール改正後におけるフリーでの世界最高得点197.36点をマークして逆転優勝を果たした。また、この優勝によりシニアデビュー後4年目にして、念願の国際主要タイトル初の獲得となった[78]。, 世界選手権では、91.40点で6位となる[79]。フリーでは、178.92点。合計270.32点[80]、4位となり表彰台を逃す結果となった[81]。, また、シーズン終了後の6月3日、突如所属していた東海グランプリを‘卒業’すると発表。5歳から15年以上指導を受けた樋口、山田コーチの元を離れ、海外への拠点変更も視野に入れたうえでコーチ変更の意志を示した。
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