そして此処ギョレメ・パノラマの楽しみ方には、展望台の上から眺める方法だけではなく、ハイキングで愉しむという方法もある。 ここからは旧市街ももちろん見渡せます。 これから、トルコ旅でバルーン・ライドを計画される方へ。 古代ローマ時代に、この周辺キリスト教徒が岩を掘って住みはじめたとされていて、 1931年にアメリカ調査隊により塗りこめられたモザイク画が発見され、初代大統領アタチュルクはここを博物館として公開しました。 で、下の公園の池の青がキレイ、と(笑) 2020 All Rights Reserved. 多いですが、カッパド...  トルコの世界遺産カッパドキアで、過去最大とみられる地下都市が見つかった。場所はこの地方の中心都市ネブシェヒルの市街地。丘に建つ城の地下に、入り組んだトンネルと部屋が発見された。発掘調査されたのはまだ一部だが、その規模と構造はこれまで最大とされてきたデリンクユの地下都市を上回るとみられる。, カッパドキアはトルコ中央部に位置し、妖精の煙突と呼ばれる奇岩や洞窟の教会、さらには数多くの地下都市で知られている。火山灰が堆積してできた柔らかい岩石や凝灰岩を削り出してつくった地下都市は250 余りあり、侵入者から逃れるための隠れ場所だったとされる。, 発見のきっかけは、市の住宅建設プロジェクトだった。2013年、ネブシェヒルの城を取り囲むように建っていた低所得者向け住宅を解体していた作業員たちが、地下への入り口を発見。その先にはトンネルと部屋が網の目のようにつながっていた。, 市は建設プロジェクトを中止すると、考古学者や地球物理学者による調査を開始。2014年に居住空間や調理場、ワイン醸造所、礼拝堂、階段などから成る多層構造の地下都市を発見した。石臼や石の十字架、陶磁器といった遺物からは、ビザンチン期からオスマン帝国の支配下に置かれるまで、ここが実際に使用されていたことがうかがえる。, この地下都市は、デリンクユと同様に通気口や水路といったインフラを備えた巨大居住空間だった。カッパドキアの人々は危険が迫ると家畜を連れ、生活必需品を持ってこの地下都市に逃げ込み、丸い石の扉で入り口をふさぐと、脅威が去るまで籠城したようだ。, ネブシェヒル大学の地球物理学者たちは、物理探査(比抵抗法や地震波トモグラフィー)を用いておよそ4平方キロにおよぶ地中の様子を体系的に調査した。33の測定結果から、地下都市の規模は46万平方メートル近いとする予測が出された。地下通路の深さは推定値で最大113メートル。これが正しければ、都市の規模はデリンクユより30%ほど大きいことになる。, 調査の責任者を務める考古学者ムラト・ギュリャズ氏は、正確な規模はまだわからないとしながらも、「都市の場所や防御体制、水路の存在を考えると、相当な規模であった可能性は高いでしょう」と語る。, 「この発見は、カッパドキアに大きな利益をもたらす、貴重な財産となるでしょう」と、ネブシェヒルのハサン・ユンバー市長は喜ぶ。市長は、集合住宅の建設を郊外に変更し、この地にデザイナーズホテルやアートギャラリー、地下に遊歩道や博物館を擁する「世界最大の古代都市テーマパーク」を造る方針だ。「地下都市の教会を復元しようとも考えています。みな、興奮を抑えきれません」, ギュリャズ氏のチームは、引き続きトンネル内のがれきを取り除きながら、地下深くへと調査を進める。凝灰岩は柔らかく崩れやすいため、作業には危険が伴うが、ギュリャズ氏の期待は膨らむ。「ネブシェヒル城の下に広がる地下都市の全貌があらわになれば、きっと観光客がここに押し寄せるでしょう」, Q:おたふく風邪のワクチン認可は史上最速といわれていますが、その期間は次のうちどれでしょう。, ビザンチン期の要塞の地下に不規則に広がるトンネルや部屋が発見され、考古学者たちが調査を進めている。トルコ・ネブシェヒルで撮影。(PHOTOGRAPH BY MURAT KAYA, ANADOLU AGENCY/GETTY), トルコのカッパドキアは凝灰岩を削り出してつくった地下都市で有名。凝灰岩は火山灰が堆積してできた多孔質の軽い岩石だ。(PHOTOGRAPH BY MURAT KAYA, ANADOLU AGENCY/GETTY). 日本では大化の改新のずっと前ですからーー。 その後ローマ、東ローマの支配の下、キリスト教都市として発展するが、11世紀にイスラム系セルジューク朝に征服され、12世紀、セルジューク朝から分裂したトルコ系ルーム・セルジューク朝の首都となった。1 続きを読む・ジャーミーは6本のミナーレ(スペインではミナレット)と直径27.5m、高さ43mの大ドーム、4つの副ドーム、30もの小ドームからなっています。 続きを読む造られたそうですから170年以上の歴史を誇ります。 幸いにも高度が低く、大怪我にはならなかったそうですが…。 ギョレメ野外博物館は、正規のガイド(国の認定ガイド)は入場できないので、詳しく壁画を見たい方はオーディオガイドを借りる方が良いかもしれない。 閉じる, カッパドキアにあるギョレメ・パノラマ。 ・どちらのコースも様々な奇岩を見ながら歩くコースで、歩いていて飽きがこない。 古代ローマ時代に、この周辺キリスト教徒が岩を掘って住みはじめたとされていて、 この地下宮殿ではミュージアムパスは使えませんのでご注意ください。 大きさは、縦横高さは140m、70m、8mと言う巨大なものです。 修復中ですが壮麗なドームはさすがです。 結局、水路の湯が一番だったというオチ 参考 : 世界の都市人口ランキングBEST100 / アメリカの都市・人口ランキングTOP25 / 中国の都市・人口ランキングTOP50 / イギリスの都市・人口ランキングTOP10 / タイの都市・人口ランキングTOP10 / ベトナムの都市・人口ランキングTOP10 / インドの都市・人口ランキングTOP15 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / マレーシアの都市・人口ランキングTOP10 / アラブ首長国連邦(UAE)の都市・人口ランキングTOP10, イスタンブールは、トルコ北西部に位置するトルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西に位置する都市でもある。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1がアジア側に居住している。サライブルヌの岬に紀元前660年にビュザンティオンとして創建され、330年に「コンスタンティノープル」として再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国(330-395)、ビザンティン(395-1204、1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)、オスマン帝国(1453-1922)と4つの帝国の首都であった。ローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要であったが、オスマン帝国成立後はイスラム教の中心地へと変わった。第一次大戦後の欧米の占領から独立したトルコ共和国成立後、オスマンの歴史を拭い去るためトルコの首都はアンカラに移された。この頃まで「コンスタンティノープル」の名が残っていたが、トルコ成立後より徐々に、ギリシャ語で「街」を意味する「イスタンブール」の名が国際的に定着するようになった。, トルコ共和国の首都。イスタンブールに次ぐ同国第2の都市。フリギア時代の「アンキュラ」が現在のアンカラ旧市街の始まりである。アンキュラは紀元前189年、ローマ帝国に占領されて「アンゴラ」となり、大劇場、大浴場、神殿、などが整備された。11世紀にムスリムのセルジューク朝によって支配された後、14世紀にオスマン朝のオルハンによって占領されると以降はオスマン帝国領となった。1922年、イスタンブールにあったオスマン帝国のスルタンを廃し1923年にトルコ共和国が成立すると、オスマンのしがらみのないアンカラが首都となった。地方の小都市にすぎなかったアンカラは首都となったことにより人口が急増。旧市街のウルス地区が手狭になったため、1924年に都市整備計画が定められ、ドイツ人都市計画家ヘルマン・ヤンセンの計画により新市街イェニシェヒルの建設が始まった。政府の施設はイェニシェヒルに集中している。, エーゲ海に面するトルコ西部の港町。古代ギリシア時代は「スミルナ」とよばれた。地中海世界ではアテネと並ぶ古代都市。紀元前3000年に建設され、紀元前1000年頃にギリシアの植民都市となる。マケドニアやローマ、東ローマの時代はエーゲ海の中心都市として繁栄。15世紀にオスマン帝国領となり、1919年に一時ギリシアに占領されるも、すぐにトルコが奪還し現在に至る。その地理的利点からNATO (北大西洋条約機構) の軍司令部がおかれている。度重なる地震や外敵の侵入のため、その歴史の長さに比べ遺跡には恵まれないが、市内にはヘレニズム時代の城塞カディフェカレと古代ローマ時代のアゴラが残っている。また付近にはエフェソス、ベルガマなどの古代遺跡もあり、多くの観光客を集めている。, トルコ北西部の都市。この地には古代の都市・キオスがあった。前3世紀にビティニア王プルシアス1世によって建設され、王の名に因んで「プルサ」と名付けられた。シルクロード西端の都市として繁栄。ビザンチン、セルジューク朝などの支配を経て、オスマン帝国に入り、14世紀に一時、オスマンの首都となった。1413年に首都はエディルネに移されたが、ブルサはオスマン帝国の主要都市として繁栄し続けた。トルコ有数の古都として歴史遺産も多く、市街は「オスマン帝国発祥の地」として世界遺産に登録されている。市内は自然が多く、「緑のブルサ」ともいわれる。, トルコ南部、シリアにほど近い地中海地方の都市。長らく小アジアとアラブとの通商路の中間地として栄えてきた。もともとは前1400年に「アタニヤ」と呼ばれたヒッタイト人の植民都市。前4世紀、アレクサンドロス大王に征服され、前1世紀の古代ローマ時代に都市が整備され、軍事基地も置かれたが、その後衰退。7世紀にアッバース朝アラブの下に入り再興された。12、13世紀はアルメニア国家に入り、17世紀、オスマン帝国に組込まれた。市内には2世紀につくられた石造橋をはじめ史跡が多い。, トルコ南部、シリアにほど近い南東アナトリア地方の都市。紀元前4千年紀ころの定住の痕跡がある。ヒッタイト人の都市として始まり、シリアとアナトリアの交易の中継地として栄えた。ペルシア、ローマ、東ローマ、アルメニアなどの支配に入り、17世紀にオスマン帝国に支配される。第一次世界大戦後のオスマン帝国の解体時は、一時フランスに支配される。近年ではシリアに近いためシリア難民が流入し、イスラム国によるテロも起きるなど、治安が悪化している。, トルコ西部、中央アナトリア高原の標高1000mの高地に位置する都市。かつてはギリシア語で「イコニオン」と呼ばれた。前12世紀のフリギア王国の地であり、その後、ペルシア、マケドニアの支配を受ける。その後ローマ、東ローマの支配の下、キリスト教都市として発展するが、11世紀にイスラム系セルジューク朝に征服され、12世紀、セルジューク朝から分裂したトルコ系ルーム・セルジューク朝の首都となった。13世紀頃にルーム・セルジューク朝は全盛期を迎え、当時作られたイスラム神秘主義(スーフィズム)・メウレウィー教団の霊廟など、数々の壮麗な建築物が今に残る。15世紀、オスマン帝国に併合された後は衰退。19世紀にイスタンブールまで鉄道が開通すると盛り返し、アンカラと共に中央アナトリア地方の重要都市となった。, トルコ南部、地中海に面する港湾都市。前2世紀にアッタロス朝によって建設された。古くから港町として発展し、十字軍時代はパレスチナへ出征する根拠地となった。ギリシア、ローマの支配を経て、13世紀、セルジューク朝時代に繁栄する。15世紀後半にオスマン帝国に組み込まれる。古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡が多く、また温暖な気候から国内有数の海岸保養地として栄えている。, トルコ南東部、ティグリス川に上流に位置する都市。住民の大半がクルド人であり、トルコ内のクルド人にっとて中心的な都市。3世紀、ローマの植民地となり、「アミダ」と呼ばれる。7世紀、アラブ人に征服された後は「アーミド」と呼ばれ、15世紀のオスマン帝国時代に「バクル族の国」を意味する「ディヤルバクル」の名が定着した。ペルシア国境に近く、古くから軍事的に重要な地であり、旧市街に残る全長5kmに及ぶ城壁は世界遺産に登録されている。今日でもトルコ空軍が基地を構える。1980年代はクルド人による抗争が激しく、市内でわずかに暮らすキリスト教系住民が敵視された。現在では治安状況は落ち着きを見せている。隣国シリアのアレッポやイラクのモースルと高速道が通じている。, トルコ南部、地中海に面する都市。主要都市・アダナに近く、アダナの外港としての役割を持つ。ローマ、アラブ、エジプト、トルコ、モンゴル、十字軍、アルメニア、アラブなどの支配を経て15世紀からオスマン帝国領となった。オスマン帝国解体時は一時的に英仏の支配も受ける。中東から送られてくる石油の精製施設があり、近隣のキプロスとはフェリー航路によって繋がれている。. あと、新約聖書の概要も知っておく方が、フレスコ画をより深く理解できる。 ギョレメの町やローズバレーの位置を確認することができます。また、カッパドキアの地形を形成した(噴火による)ハサン山という活火山も見ることができます。 私達も5/3の朝に気球乗りを予定していましたが、現地旅行会社から、ある事情により気球に乗る日を1日遅らせて欲しい…との連絡をうけ、翌日へと延期しました。 クルーズ船がガラタ橋よりも金角湾寄りの船着き場から出向する船の場合には、退廃的なムード漂うガラタ塔の景色を見ることができる。 映画のメインの撮影はイタリアなのだが、クライマックスの舞台はイスタンブールのアヤソフィアと地下神殿をメインとするイスタンブール歴史地区。 イェニ・ジャーミーが威容を誇りますーー。 続きを読む 怪我のない安全な旅のためにも、トルコの祭日と土日の組み合わせに気を配って下さいね。, 庫に使ったであろう小部屋、地下8層まで届く40mに及ぶ空気口、教会から学校までと何でもあったらしい。紀元前から存在し、ヒッタイト時代に掘ったとか、 奇岩の中を掘った教会が多数残されています。  ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み掘ったとか、最近新たに最大の地下都市が見つかってニュースになりました。謎だらけです。  団体旅行に不慣れなので、みんなのテンポについていけず。 カッパドキアに行ったら外せない場所だと思います、 団体旅行に不慣れなので、みんなのテンポについていけず。 そのお話を知っているのと知らないのでは、壁画の見方も変わってくる。 続きを読む宮殿奥にカフェが有るので、 ギョレメ野外博物館は、正規のガイド(国の認定ガイド)は入場できないので、詳しく壁画を見たい方はオーディオガイドを借りる方が良いかもしれない。 ・ハイキングコースは2コースあり、1つ目はギョレメからウチヒサール、鳩の谷へと抜けるコースで、2つ目はギョレメ・パノラマを巡るコース。 世界を学ぼう”知理・歴視” パンフ等で見るのとは大違いでした。, 最終日に乗りましたが、お天気もよく、風もないので、2月ですが、殆ど外に出ていましたが、寒くはありませんでした、 この橋のたもとではサバサンドというサンドイッチで有名な地域ですが、トウモロコシや栗を焼いて売っているお店も多数あります。 ・ギョレメパノラマを巡るコースは、スタート地点からギョレメパノラマの展望台まで徒歩1時間だが、最後に急登の崖があり若干危険な個所がある。 上から眺めるアヤソフィアも迫力満点です。 その神話を表現したものですが、貯水池、即ちポセイドンの管轄地に彼女の首を設置した意図、1800年前の設計者にうかがいたいものです。 ギョレメの村周辺...  ギョレメ・パノラマの展望台からの眺め;白い奇岩が眼下に広がる光景は絶景で、此処はツアーであれ個人旅行者であれ、必ず立ち寄るべきポイントであることには間違いない。 この橋は歩いて新市街へと行くことができます。 ガラタ塔のある風景を眺めることのできる場所としてはエミノニュ港、ガラタ橋の上があげられるが、私が旅の中で好きだったガラタ塔の光景はボスポラス海峡のクルーズ船の上からの景色。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}). ぜひ、じっくりと眺めてきてほしい。, トルコには年に何日か祭日があり、日本のG.W.の期間中にもその祭日があります。 この地下宮殿ではミュージアムパスは使えませんのでご注意ください。 ・ギョレメパノラマを巡るコースは、スタート地点からギョレメパノラマの展望台まで徒歩1時間だが、最後に急登の崖があり若干危険な個所がある。 そこから、寛ぎながらボスポラス海峡を眺めるのも良いですよ、 オレンジ色の光で満たされた地下宮殿でも撮影が行われていて、地下宮殿のシーンでは、地下宮殿の主でもある【彼女】が現れるという話だ。 元々は28本掛ける12列、336本の柱で支えられていましたが、現在は90本は失われているそうです。 【ギョレメ・ハイキング情報】 大ドームは直径31mでロードス島軽量レンガを使用しています。 映画公開の2016年秋までの期間限定のイスタンブールの楽しみ方の一つだと思う。, っています。トルコは地中海の近くなので、温暖な地域という勝手なイメージを持っていましたが、ガイドさんの話では、パムッカレは標高も高く、真冬には氷点下近くに気温が下がるとの事でした。観光バスでパムッカレに到着し、ヒエラポリス遺跡を見た後、石灰棚にも行きました。石灰棚に立入る前に手前のベンチで靴をビニール袋に入れて素足で岩の上を歩きますが、「しぇ~っ!」と震え上がるほど石灰棚の岩が冷たいのです。我慢して温泉(足湯)で暖まろうと温泉の流れている場所に行って足湯に浸かろうとしたら、そばで足湯に浸かっていた日本人女性から「そこは先程、韓国の観光客が滑って転倒していたから注意してね」と言われました。恐る恐る足を溝の中に入れてみると、確かに溝底の岩がぬるぬるして滑りやすい状態でした。溝の中は暖かい温泉が流れているので、うっすらと緑色の苔も生えています。その女性の忠告のお陰で、足湯の溝から出る時は体をずらして溝の外に足を置いてから立ち上がりましたが、もし、溝の底に体重をかけて立ち上がっていたら、私もツルッと滑ってずぶ濡れになっていた事でしょう。あの冷え込む真冬の屋外でずぶ濡れになったら、観光バスに戻る前に体が冷え切って風邪をひいていた事でしょう。真冬にパムッカレの石灰棚に行かれる方は、足湯を浸かる時に底が滑らない場所か良く確認してから入って下さいね。, キアも然りで、ラクダ岩、ナポレオンハット等色々有りました、 この橋は歩いて新市街へと行くことができます。 閉じる, 人一人が通れる狭い通路、屈まなければ通れない低い通路、迷路のような通路、大小の区分けされた貯蔵...  (決して、オノフリウスが男性ホルモン過多で男化したわけではないので注意!) その事情とは、最近に起きた気球の事故、ヒトの落下事故です。 橋の下は飲食店が軒を連ね、どこも安くて美味しいようです。, ケルスス図書館で自由時間を少しいただきましたが、後は、通りがてらの説明でさらっと見学。 その事情とは、最近に起きた気球の事故、ヒトの落下事故です。 続きを読むな貯水池です。 ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み掘ったとか、最近新たに最大の地下都市が見つかってニュースになりました。謎だらけです。, 宮殿奥にカフェが有るので、 修復中ですが壮麗なドームはさすがです。 1616年に完成しましたが20000枚のタイルが見事です。 閉じる. 閉じる, ウチヒサルという町にある城塞。入場料は8リラ。360度、カッパドキアの絶景を一望することができ...  そこは、どんなに駆け足ツアーでも必ず立ち寄るとても有名...  オレンジ色の光で満たされた地下宮殿でも撮影が行われていて、地下宮殿のシーンでは、地下宮殿の主でもある【彼女】が現れるという話だ。 閉じる, ミュージアムカードが使えなくて、別料金で入りました。それなのに、内部は大々的に工事...  クルーズ船が出航するのはエミノニュ港の近郊付近。 ミュージアムパスを持ってい...  1616年に完成しましたが20000枚のタイルが見事です。 上から眺めるアヤソフィアも迫力満点です。 ひとつは横向き、もうひとつは逆さまに置かれています。 続きを読む、   (決して、オノフリウスが男性ホルモン過多で男化したわけではないので注意!) ここをモスクではなく博物館として、広く世界各国の方々に見てもらうという発想は近代トルコの父、アタチュルクならではの柔軟さではないでしょうか。 しかし、がっかりな結果に・・・ 映画公開の2016年秋までの期間限定のイスタンブールの楽しみ方の一つだと思う。 外プリペイドカード, 運営会社と個人情報取扱について. 閉じる. 閉じる. あと、新約聖書の概要も知っておく方が、フレスコ画をより深く理解できる。 阪急交通社スタッフがおすすめする、トルコ観光人気のスポットをご紹介!イスタンブールやカッパドキア、パムッカレなどの観光スポット、グルメやイベント、現地の気候や交通事情など気になる情報を詳しくガイドいたします。 で...  閉じる, もう少し時間をかけて、ゆっくり見学したかったです。 白い三角錐型の奇岩、不思議なキノコ型の奇岩がニョキニョキと生えるその風景は、まるで太陽系外の惑星に漂着し、その地を探検しているかのような気分になれる場所で、白い奇岩の陰から地球外生命体が顔を覗かせていたとしても、違和感を感じさせないような風景を見ることが出来る場所だった。映画Star Warsを見たことのある方ならば、思わずその場面を思い出してしまいそうな光景が目の前には広がっていた。 このアヤソフィア博物館はビザンツ建築の最高傑作で、西暦300年代にコンスタンティヌス1世、2世指示で建設されたギリシャ正教の大本山でした。 1931年にアメリカ調査隊により塗りこめられたモザイク画が発見され、初代大統領アタチュルクはここを博物館として公開しました。 風景が広がっています...  地中海に点在する古代ローマ遺跡の中でも随一の美しさを誇る古代都市エフェソス。その周辺には「世界の七不思議」に選出されたアルテミス神殿跡や、パワースポットで知られる聖母マリアの家、使徒ヨハネ最期の地・聖ヨハネ教会など数多くの見所が点在する。 滑りやすいので注意が必要です! ュÇarşı)と呼ばれる商業エリアが広がっています。通りの両側に店舗が並ぶ商店街タイプのものやイスタンブルのグランドバザールやエジプト市場のような屋根付き市場もあります。, 週に1,2回開催される定期市(トルコ語でパザルPazar)は通りや広場にテントが張られ、野菜、乾物、乳製品、衣類、靴、日用雑貨といった生活必需品が所狭し、と並びます。季節の移り変わりや日常生活を垣間みることのできる空間です。, 紹介する都市は下の地図とリストにありますので、クリックしてみてください。現地の方々の協力を得て調査した都市や市場の内容を写真とともに紹介します。, アフヨンカラヒサール AFYONKARAHİSAR. 続きを読むな観光スポットだ。 ・道の途中にはカフェもあり、休憩をしがてらのんびりと歩くことができる。  ・ウチヒサール−ギョレメ・コースは徒歩2時間。 男性の顔に女性らしい乳房を持つフレスコ画は、一見、異様に見えるが、なぜ彼女がこんな姿となり聖人となったのか。 ステンドグラスが陽光を取り入れ華麗な雰囲気を一層盛り立てています。 立派な絨毯(一体いくら!)が敷き詰められています。 ロバート・ラングドン教授になった気分で歩くイスタンブール。 エフェス遺跡は、古代の人々の暮らしを想像しながら鑑賞していくと、興味深い遺跡です。, だ、ここは団体ツアーにも必ず組み込まれる場所なのでいつ行っても混んでいるが、お勧めの時間帯は夕方4時以降。 トルコ共和国 Türkiye Cumhuriyeti (国旗) (国章) 国の標語:Yurtta Sulh, Cihanda Sulh (トルコ語: 国に平和、世界に平和) 国歌:İstiklal Marşı(トルコ語) 独立行進曲 公用語 トルコ語 首都 アンカラ 最大の都市 イスタンブール 政府 大統領 レジェップ・タイイップ・エルドアン 副大統領 フアット・オクタイ 面積 総計 783,562km (37位) 水面積率 1.3 % 人口 総計(2018年) 82,319,724 [1]人(18位) 人口密度 88人/km GDP(自国通貨表示) 合計(2018年) 3兆7,244億 トルコリラ GDP(MER) 合計(2018年… アヤソフィアよりもはるかに新しいようです。 奇岩の中を掘った教会が多数残されています。, な貯水池です。 あちらはイスラム教のモスクをカトリック教会に改装してしまったわけですーー。 そんな理由で手配会社の社長さんが混雑時期に私たちが気球に乗ることを心配されて、気球の乗るのは予定よりも1日遅らせる日程となりました。 ・道の途中にはカフェもあり、休憩をしがてらのんびりと歩くことができる。. 閉じる, ※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。, フォートラベルはみんなで作る旅行ガイドです。 いずれにせよ超人気スポットですから朝早めに行くことをおススメします!, には、キノコ岩が林立されています。 今年は、その祭日と土日の日の並びが良く、トルコでは5/1・5/2・5/3の三連休でとなり、奇岩群のあるカッパドキアには、トルコ国内からも多くのトルコ人観光客が観光にいらしていました。 周りは砂地なので登りにくいとは思いますが。, て、旅の始まりにぴったりです。 トルコの方々は興奮すると、とっても熱くなる方が多く、気球の中でもソレは同じで、ついつい興奮しすぎてしまったらしいのです。それで、運悪く気球の籠のバランスが崩れて、人が落ちてしまった…とのことです。 予定の日は風が強く、船が出せないとのことで...  お湯は週1回しか流してないらしいとのことです。 ロバート・ラングドン教授になった気分で歩くイスタンブール。 続きを読むも、もしかしたらガラタ塔はその塔からの眺望よりも、塔のある地域の遠景が一番お勧めかもしれない。 カッパドキアに行ったら外せない場所だと思います、 閉じる. ここをモスクではなく博物館として、広く世界各国の方々に見てもらうという発想は近代トルコの父、アタチュルクならではの柔軟さではないでしょうか。 トプカピ宮殿へ行って、時間があるようなら、...  これから、トルコ旅でバルーン・ライドを計画される方へ。 続きを読むトルコには年に何日か祭日があり、日本のG.W.の期間中にもその祭日があります。 ステンドグラスが陽光を取り入れ華麗な雰囲気を一層盛り立てています。 続きを読む温泉が枯れてしまう前に足湯を楽しみましょう。石灰棚は濡れていると滑りやすいので注意が必要です。足湯を楽しむためには濡れた足を拭くタオルが必要です。  そのお話を知っているのと知らないのでは、壁画の見方も変わってくる。 続きを読む中で、巨大な布で目隠しされていたり、行けるところも少なかったです。あと水がなかったことにがっかりしました。てっきり常に水が張ってあるのかと思ってました。  ケルスス図書館で自由時間を少しいただきましたが、後は、通りがてらの説明でさらっと見学。 素晴らしいドームとその内装、ステンドグラス、そして厳かな雰囲気全てがです。 閉じる, ギョレメ野外博物館はギョレメの街に宿泊している旅人ならば、徒歩圏内で行ける岩窟修道院だ。 トルコ南東部を流れるチグリス川のほとりにある古代都市ハサンケイフには、古代の人々の痕跡、古代メソポタミア、ローマ帝国、東ローマ帝国、テュルク系民族、オスマン帝国の文明が残り、新石器時代や12世紀にまで遡る建物が今も保存されている。 カフェはフードコートの様な形式ですが、トイレもあります。, 、 内部はかなり広いので、全部見るつもりなら時間をたっぷりと取って見る事をお勧めします。. 都市中心部にはバザール(トルコ語でチャルシュÇarşı)と呼ばれる商業エリアが広がっています。 通りの両側に店舗が並ぶ商店街タイプのものやイスタンブルのグランドバザールやエジプト市場のような屋根付き市場もあります。 こちらは土足厳禁で靴を脱いで見学します。 続きを読むっています。トルコは地中海の近くなので、温暖な地域という勝手なイメージを持っていましたが、ガイドさんの話では、パムッカレは標高も高く、真冬には氷点下近くに気温が下がるとの事でした。観光バスでパムッカレに到着し、ヒエラポリス遺跡を見た後、石灰棚にも行きました。石灰棚に立入る前に手前のベンチで靴をビニール袋に入れて素足で岩の上を歩きますが、「しぇ~っ!」と震え上がるほど石灰棚の岩が冷たいのです。我慢して温泉(足湯)で暖まろうと温泉の流れている場所に行って足湯に浸かろうとしたら、そばで足湯に浸かっていた日本人女性から「そこは先程、韓国の観光客が滑って転倒していたから注意してね」と言われました。恐る恐る足を溝の中に入れてみると、確かに溝底の岩がぬるぬるして滑りやすい状態でした。溝の中は暖かい温泉が流れているので、うっすらと緑色の苔も生えています。その女性の忠告のお陰で、足湯の溝から出る時は体をずらして溝の外に足を置いてから立ち上がりましたが、もし、溝の底に体重をかけて立ち上がっていたら、私もツルッと滑ってずぶ濡れになっていた事でしょう。あの冷え込む真冬の屋外でずぶ濡れになったら、観光バスに戻る前に体が冷え切って風邪をひいていた事でしょう。真冬にパムッカレの石灰棚に行かれる方は、足湯を浸かる時に底が滑らない場所か良く確認してから入って下さいね。 素晴らしいドームとその内装、ステンドグラス、そして厳かな雰囲気全てがです。 続きを読む庫に使ったであろう小部屋、地下8層まで届く40mに及ぶ空気口、教会から学校までと何でもあったらしい。紀元前から存在し、ヒッタイト時代に掘ったとか、 白い三角錐型の奇岩、不思議なキノコ型の奇岩がニョキニョキと生えるその風景は、まるで太陽系外の惑星に漂着し、その地を探検しているかのような気分になれる場所で、白い奇岩の陰から地球外生命体が顔を覗かせていたとしても、違和感を感じさせないような風景を見ることが出来る場所だった。映画Star Warsを見たことのある方ならば、思わずその場面を思い出してしまいそうな光景が目の前には広がっていた。 滑りやすいので注意が必要です! ・どちらのコースも様々な奇岩を見ながら歩くコースで、歩いていて飽きがこない。 , メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物で海の神であるポセイドンの愛人でしたがペルセウスによって首を切り落とされ、退治されたということです。 迫力の奇岩群が広がる世界遺産カッパドキアを1日中満喫しましょう!こちらのレッドツアーでは、ギョレメ野外博物館やデブレントの谷、アヴァノス、ウチヒサール城などを訪... これからトルコを訪れ、バルーン・ライドを計画する方に知っておいて欲しい情報があります。 それにしても巨大な貯水池。 【ギョレメ・ハイキング情報】 カフェはフードコートの様な形式ですが、トイレもあります。    で、まともに溜まってるのは2、3個で、冷たい・・・ この橋のたもとではサバサンドというサンドイッチで有名な地域ですが、トウモロコシや栗を焼いて売っているお店も多数あります。 ・両方のコースともスタート地点はギョレメ・カヤ・ホテルの奥にある二股に分かれる道。 続きを読むキアも然りで、ラクダ岩、ナポレオンハット等色々有りました、 新市街地側の明るく健康的なガラタ塔の雰囲気も良いが、少しダークなレトロ感あふれるガラタ塔を見ることができるのは海の上からだ。 結局、水路の湯が一番だったというオチ 続きを読むる我々も少々並びました。 その後スルタン・メフメット2世によりジャーミーに改築されました。 私は登っていませんが、ラクダ岩には近くまで登っている人もいました、 お湯は週1回しか流してないらしいとのことです。 今年は、その祭日と土日の日の並びが良く、トルコでは5/1・5/2・5/3の三連休でとなり、奇岩群のあるカッパドキアには、トルコ国内からも多くのトルコ人観光客が観光にいらしていました。 私もカッパドキア入りするまではこのハイキングについては全く情報を持っておらず、現地で急遽アクティビティとして取り入れ歩いてきたのだが、歩きながら目に入ってくるその景色は、ギョレメパノラマの展望台から眺めていた時に想像していた光景よりも更に変化に富み、歩いていて楽しい場所だった。(所要時間3時間ほど)   閉じる. 個人的な感想になってしまうが、ギョレメパノラマの展望台から眺めるよりもハイキングで歩いたほうが、景色としては面白いし、お勧めだ。 ただし礼拝時間によっては見学できませんから事前に調査が必須です。  閉じる, イスタンブールの橋で有名なのは有名なガラタ橋です。 怪我のない安全な旅のためにも、トルコの祭日と土日の組み合わせに気を配って下さいね。 東西の文化を一望できるボスフォラス海峡クルーズ。クルーズの後には、ノスタルジックトラムやトゥネルに乗ってイスタンブールの都会を堪能できるお得なツアーは、午後出発... 真っ白な石灰棚は雪景色のように美しいです。毎年温泉の湧水量は減少しているそうです。...  エフェス遺跡は、古代の人々の暮らしを想像しながら鑑賞していくと、興味深い遺跡です。 それにしても東ローマ帝国の政治力、経済力に驚きます。 た...  で、まともに溜まってるのは2、3個で、冷たい・・・ 1926(大正15)年創立。名誉総裁に三笠宮殿下、総裁に彬子女王殿下を戴く。日本とトルコの友好親善強化のため、会報誌の発行、トルコ語講座、トルコの夕べ(講演会と懇親会)、トルコ料理教室等を実施。トルコ料理レシピも公開中。 追いかけて、追いかけて、説明が終わってから到着するので何のことやらさっぱり分からず、ドンドン先へ。 それにしても巨大な貯水池。 トルコの公共交通機関、トラム(路面電車)やトゥネル(世界一短い地下鉄)を使って移動するこのツアー。ツアーでありながらも、現地の雰囲気を楽しみたい方にオススメです... ガラタ塔は登って、その塔の上からの眺望を楽しむ場所…というのが、ガイドブックの紹介事例。 見所のお勧めは、聖オノフリウスの壁画。 新市街地側の明るく健康的なガラタ塔の雰囲気も良いが、少しダークなレトロ感あふれるガラタ塔を見ることができるのは海の上からだ。, 温泉が枯れてしまう前に足湯を楽しみましょう。石灰棚は濡れていると滑りやすいので注意が必要です。足湯を楽しむためには濡れた足を拭くタオルが必要です。, しかし、がっかりな結果に・・・ 西アジアとヨーロッパにまたがる国、トルコ。両地域が揺れ動いている昨今、年々存在感が増しているようにも見えます。 このトルコの首都は、現在アンカラという街です。しかし知名度でアンカラを上回っている(と思われる)のが、北西部の都市イスタンブールです。トルコ最大の人口を誇るこの都市は、紀元前の大昔から、非常に重要な役割を持っ 続きを読む 私は登っていませんが、ラクダ岩には近くまで登っている人もいました、 閉じる.   ただし礼拝時間によっては見学できませんから事前に調査が必須です。, る我々も少々並びました。 続きを読むには、キノコ岩が林立されています。 (別料金です), 中で、巨大な布で目隠しされていたり、行けるところも少なかったです。あと水がなかったことにがっかりしました。てっきり常に水が張ってあるのかと思ってました。, も、もしかしたらガラタ塔はその塔からの眺望よりも、塔のある地域の遠景が一番お勧めかもしれない。 続きを読むまっている。 見所は、教会内部のフレスコ画。 閉じる, 2015年の7月から、2016年の秋に公開される映画【インフェルノ】の撮影がイスタンブールで始...  そこから、寛ぎながらボスポラス海峡を眺めるのも良いですよ、 写真を撮っているうちに、ガイドさんは遠くへ移動。 映画の公開前の今だからこそ、自分だったらこんな映像に組み合わせるかも…と考えるのも楽しそう♪ 個人的な感想になってしまうが、ギョレメパノラマの展望台から眺めるよりもハイキングで歩いたほうが、景色としては面白いし、お勧めだ。 世界には、息をのむほど鮮やかな街並みや、色とりどりのカラフルな建物がたくさんあります。フ... 「とにかく海外に行きたい!」「休みが取れそうだけど、どうしよう?」そんな時は、みんながお... アジアとヨーロッパの間に位置し、古くから人々や文化の交差点として繁栄してきたトルコには、... エリアに隠された宝箱を見つけてフォートラベルポイントをゲット!チャンスは一日一回。お題はトップページで発表されます。, 掲載のクチコミ情報・旅行記・写真など、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます。. その後スルタン・メフメット2世によりジャーミーに改築されました。 740円/日~. 奥に行くと、確かにあります。 5/1~5/3のバルーン・ライドは、海外からのゲスト、国内旅行のトルコ人のゲストで毎日、満員御礼の大混雑で、大変な賑わいだったそうです。 トルコの方々は興奮すると、とっても熱くなる方が多く、気球の中でもソレは同じで、ついつい興奮しすぎてしまったらしいのです。それで、運悪く気球の籠のバランスが崩れて、人が落ちてしまった…とのことです。 ベツレヘムでのキリストの誕生を祝う様子や聖人等を描いたギリシア正教のフレスコ画が今も色鮮やかに残っている。 ギョレメ・パノラマの展望台からの眺め;白い奇岩が眼下に広がる光景は絶景で、此処はツアーであれ個人旅行者であれ、必ず立ち寄るべきポイントであることには間違いない。 ギョレメのアクティビティでは一押しでお勧めのギョレメ・パノラマのハイキングなのだが、そのハイキング情報は、日本のガイドブックには情報は載っていない。 トルコで人気の観光スポットをランキング形式でご紹介!【現地ツアー・予約・クーポン有】の施設・スポット情報掲載!トルコの観光スポットに関する情報は日本最大級の旅行クチコミサイト フォートラベルでチェック! そして此処ギョレメ・パノラマの楽しみ方には、展望台の上から眺める方法だけではなく、ハイキングで愉しむという方法もある。 ...  5/1~5/3のバルーン・ライドは、海外からのゲスト、国内旅行のトルコ人のゲストで毎日、満員御礼の大混雑で、大変な賑わいだったそうです。 イェニ・ジャーミーが威容を誇りますーー。 私もカッパドキア入りするまではこのハイキングについては全く情報を持っておらず、現地で急遽アクティビティとして取り入れ歩いてきたのだが、歩きながら目に入ってくるその景色は、ギョレメパノラマの展望台から眺めていた時に想像していた光景よりも更に変化に富み、歩いていて楽しい場所だった。(所要時間3時間ほど) ひとつは横向き、もうひとつは逆さまに置かれています。 (別料金です)  トルコは日本ほど交通システムが整っているわけではないので、国内移動については外国人観光客にとってなかなか難しいのが現状です。都市間を長距離に移動する場合の方法やオプション、そして都市内部で移動したい時の方法などをご紹介します。 閉じる, トルコ旅行ではここかトプカプ宮殿かというほど、私にとってはメインだった場所です。 ...  ・ウチヒサール−ギョレメ・コースは徒歩2時間。 ギョレメのアクティビティでは一押しでお勧めのギョレメ・パノラマのハイキングなのだが、そのハイキング情報は、日本のガイドブックには情報は載っていない。 大ドームは直径31mでロードス島軽量レンガを使用しています。 立派な絨毯(一体いくら!)が敷き詰められています。 そんな理由で手配会社の社長さんが混雑時期に私たちが気球に乗ることを心配されて、気球の乗るのは予定よりも1日遅らせる日程となりました。 周りは砂地なので登りにくいとは思いますが。  イスタンブールを旅する時、ダン・ブラウンの【インフェルノ】を読んでから行けば、映画に使われそうな景色や背景を街の中から見つけ出す楽しみもありそうだ。 イスタンブールを旅する時、ダン・ブラウンの【インフェルノ】を読んでから行けば、映画に使われそうな景色や背景を街の中から見つけ出す楽しみもありそうだ。 特筆すべきは見学無料! あちらはイスラム教のモスクをカトリック教会に改装してしまったわけですーー。 それにしても東ローマ帝国の政治力、経済力に驚きます。 閉じる. ベツレヘムでのキリストの誕生を祝う様子や聖人等を描いたギリシア正教のフレスコ画が今も色鮮やかに残っている。 トルコ最安 ・ハイキングコースは2コースあり、1つ目はギョレメからウチヒサール、鳩の谷へと抜けるコースで、2つ目はギョレメ・パノラマを巡るコース。 エフェソス/トルコ. ここからは旧市街ももちろん見渡せます。 ・両方のコースともスタート地点はギョレメ・カヤ・ホテルの奥にある二股に分かれる道。 特筆すべきは見学無料! 中の方にも歩道が出来ているので、キノコ岩のあいだをのんびりと一回りする事が出来ます。 メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物で海の神であるポセイドンの愛人でしたがペルセウスによって首を切り落とされ、退治されたということです。 見所は、教会内部のフレスコ画。 私達も5/3の朝に気球乗りを予定していましたが、現地旅行会社から、ある事情により気球に乗る日を1日遅らせて欲しい…との連絡をうけ、翌日へと延期しました。 ぜひ、じっくりと眺めてきてほしい。 トルコ最大の都市である 「イスタンブール(İstanbul)」は、かつてローマ帝国やビザンチン帝国、 オスマン帝国の首都として発展したことでも有名 です。 イスタンブールは北西部にある都市であり、人口も国内で最高を誇っています。 アジア大陸とヨーロッパ大陸を分かつボスポラス海峡を、このツアーだけの専用ボートで渡りながら、豪華な装飾のドルマバフチェ宮殿をはじめとする、さまざまな宮殿や寺院、... ツアーに付いていた昼間のクルーズ船に乗りました、 追いかけて、追いかけて、説明が終わってから到着するので何のことやらさっぱり分からず、ドンドン先へ。 この時間帯になると、1泊2日のツアー客は薔薇の谷へ夕陽を見に行き始めるので、博物館はそんなに混まずに、暗闇の教会も並ばずに見学できる。 クルーズ船が出航するのはエミノニュ港の近郊付近。 写真を撮っているうちに、ガイドさんは遠くへ移動。 続きを読むだ、ここは団体ツアーにも必ず組み込まれる場所なのでいつ行っても混んでいるが、お勧めの時間帯は夕方4時以降。 一番奥にはメドゥーサの顔が2体横たわっているそうです。 閉じる. 団体旅行で、ガイドさんの説明付きで観光。...  幸いにも高度が低く、大怪我にはならなかったそうですが…。 それをイスラム教のモスクに改装したわけですが、これはまさしくスペインのコルドバにあるメスキータの真逆です。 大きさは、縦横高さは140m、70m、8mと言う巨大なものです。 ツアーのチャーター船でしたが、中でチャイも売っていました。  映画のメインの撮影はイタリアなのだが、クライマックスの舞台はイスタンブールのアヤソフィアと地下神殿をメインとするイスタンブール歴史地区。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。, 地歴の専門家です。全47都道府県を制覇し、現在はすべての国の歴史を研究しています。, 「イスタンブールとアンカラ。トルコの中心都市はどっち?」https://satoru-world.net/2020/03/21/capital-12/ に掲載。 ヨーロッパを襲うトルコ軍のマーチが、巡り巡って名曲を生み出した! #トルコ #歴史イラスト #世界史 #歴史 #geographistory #ベートーヴェン #モーツァルト #トルコ行進曲 #軍隊 #歴史好きな人と繋がりたい #イェニチェリ #オスマン帝国 #mozart #beethoven #turkey #音楽史, 柴垣智(@shibagakkey)がシェアした投稿 - 2020年 3月月28日午前1時26分PDT. して内部は期待に応える迫力です。 閉じる, 2015年1月中旬に、トルコ観光旅行に行ってきました。世界遺産のパムッカレ観光もコースの中に入...  西アジアとヨーロッパにまたがる国、トルコ。両地域が揺れ動いている昨今、年々存在感が増しているようにも見えます。, このトルコの首都は、現在アンカラという街です。しかし知名度でアンカラを上回っている(と思われる)のが、北西部の都市イスタンブールです。トルコ最大の人口を誇るこの都市は、紀元前の大昔から、非常に重要な役割を持っていました。, 今回はイスタンブールを中心に、トルコ(とその近辺)の壮大な歴史について語っていきたいと思います。(アンカラも少しだけ出てきます。), 人口は約8000万。日本より少ないですが、中東ではエジプト、イランに次いで、ヨーロッパで言えばロシア、ドイツに次ぐ規模です。, 国土の大部分を占める、黒海と地中海にはさまれた長方形っぽい半島はアナトリア(ギリシャ語で「日の出の地」)と呼ばれ、そのほぼ真ん中に首都アンカラがあります。2つの海はアナトリア北西部のボスポラス海峡によって繋がっていますが、この海峡の両端を挟むように広がっているのが、イスタンブールです。イスタンブールより西は、トルコの中でも「ヨーロッパに属する」と言われることがあります。, イスラム人口が多いため、豚肉ではなく、牛肉や羊肉が食べられます。シシケバブはその代表的な料理。またトルコ風アイスが有名なように、アイスクリームヨーグルトなど乳製品も食べられます。この辺はさすが地中海世界という感じですな。, 英語ではTurkey、すなわちターキーと呼びます。実はこれ、七面鳥と同じ綴り。これは七面鳥がアジアからヨーロッパに入ってきたとき、「トルコから来た鳥」と名付けられたから、らしい。同様な経緯で「トルコの石」と呼ばれたのが、宝石「ターコイズ」です。, さて、トルコの歴史を振り返ってみましょう。トルコはその南側に中東(シリアやエジプト)、西側にはギリシャが位置していることもあって、その歴史も紀元前の大昔からよく知られています。, アナトリア南部には紀元前1500年頃にヒッタイトとよばれる大国が栄えました。早くから鉄を用いていたこの国はメソポタミア文明でも強国だったとされ、またその滅亡をもって、世界に製鉄技術が広まったともいわれています。, 紀元前8世紀頃になると、古代ギリシャ人の都市国家ポリスが地中海沿岸に造られました。ポリスといえばアテネ、スパルタがよく知られていますが、ボスポラスにも同じようにビザンティオンという都市が建設されました。これがイスタンブールの”先祖”に当たります。, しかし、ヒッタイトにしろ、ビザンティオンにしろ、その住民はトルコ人ではありませんでした。, 当時彼らの祖先はどこに居たかというと、なんとアナトリアから遠く離れた、中央アジアの草原地帯!そこで遊牧を行いながら、時々都市文明に侵入して物資を奪う生活を行っていました。後の時代ですが、中央アジアをトルキスタンと呼ぶことがあります。これも「トルコ人の地」の意味です。, アテネなどギリシャ人のポリスは紀元前4世紀、隣のマケドニア王国に征服されました。そのマケドニア王国はアレクサンダー大王の時、遠くアジアにまで支配域を広げますが、その死後は分裂。この後ローマ帝国が進出し、マケドニア王国も紀元前2世紀に支配されます。一方のビザンティオンは長く独立を保ちましたが、紀元1~2世紀頃にローマの支配下となりました。, ローマが地中海を囲むようにその領域を広げたことで、この海を経由して人や物がこれまで以上に行き交うようになりました。ビザンティオンは、アジアとヨーロッパの中継地点かつ、地中海と黒海の中継地点という極めて重要な都市として注目されます。, 加えて3世紀になるとアジアの地にササン朝ペルシャという大国が出現し、ローマ帝国を脅かすように。帝国は、その東部に目を光らせる必要が出てきました。, そして4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、停滞しつつあったローマに代わり、東方のビザンティオンを帝国の新たな都としました。そして、その名をコンスタンティノープルとします。自分の名前をこの新都に贈ることで、皇帝の偉業を永遠に残すことにしたのでしょう。, この頃すでに内部分裂を起こしていたローマ帝国は、395年完全に東西分裂しますが、この時、西帝国の都をローマ、東帝国の都をコンスタンティノープルとしました。西ローマ帝国は5世紀に滅びますが、東ローマ帝国は実に15世紀まで生き長らえました。東ローマ帝国の別名ビザンツ帝国は、帝都の旧名ビザンティオンに由来しています。, 以後、西のカトリック世界や南のイスラム世界に対抗しながら、この帝国は独自のキリスト教宗派(東方正教)を国の軸として、ギリシャ世界やバルカン半島、ロシアにも直接的・間接的に影響を与えていきました。, 分裂から滅亡までの1千年あまりの間、東ローマ帝国の社会もまた変化していきます。分裂前、ローマ帝国の公用語がラテン語であったのに対し、コンスタンティノープルがギリシャに近かったことから、東ローマ帝国では次第にギリシャ語が公用語になっていきました。, アラビア半島でイスラム教が誕生したのが7世紀のことです。イスラム教徒の集団はメッカを出て、豊かな穀倉地帯であるエジプトやシリアを東ローマ帝国から奪い、西アジアに大帝国を築きました。, イスラムの教えはやがて中央アジアにも広まり、現地の遊牧民、すなわちトルコ人(テュルク人)にも広がっていきます。そして馬を自由に使いこなす彼らは、傭兵や奴隷兵として西アジアに活躍の場を見出していきました。, (上のイラストでは「テュルク人」となっていますが、ここではトルコ人と同じと考えてOK), そして11世紀にはトルコ人による王朝も成立。セルジューク朝です。そのトップはスルタンという地位に就き、西アジア一帯に進出。トルコ人の移住も進みます。その一つがアナトリアでした。1071年には、マンジケルト(現在のトルコ東部)という場所で、東ローマ帝国軍を打ち破り、この帝国領を侵食。この世紀の末に始まる十字軍遠征の要因の一つが、このマジケルトの戦いだったと言われています。, やがてアナトリアには、セルジューク家の分家が王朝を構えました。(東)ローマ帝国に居を構えたセルジューク家ということで、ルーム・セルジューク朝と呼ばれています。(「ルーム」とはローマが訛った言葉。「部屋」ではないっす!), この頃の東ローマ帝国は、カトリックの十字軍遠征に期待しながらも、そのカトリック系の国とは対立していました。特に地中海で影響力を持ち始めていたヴェネツィア共和国は、海の覇権を巡る強力なライバルとなっていきます。, 1204年、ヴェネツィアに率いられた十字軍は、本来の目的地エルサレムではなく、ライバル国の都、コンスタンティノープルに侵攻し、これを占領してしまいました。ラテン帝国と呼ばれています。東ローマ側はアナトリア側に亡命して命をつなぎ、1261年にコンスタンティノープルを奪還しますが、この混乱によりすっかり帝国の力は落ち込んでしまいました。, 一方のルーム・セルジューク朝は、本家のセルジューク朝が12世紀に滅んでも、アナトリアで栄えていました。しかし13世紀にモンゴル帝国の攻撃を受けると、さすがにこの王朝も衰退。アナトリアには地方政権が乱立する、日本の戦国時代のような状況になってしまいます。(だから弱体化した東ローマ帝国も生き長らえたのですが・・・), その中で頭角を現したのが、オスマン1世という人物。彼が1299年に開いたのがオスマン朝(後のオスマン帝国)です。彼とその子孫はアナトリア一帯のトルコ人をまとめあげ、更に東ローマ帝国から領土を次々と奪っていきました。, それだけでは飽き足らず、バルカン半島にも進出。1389年コソボの戦いでは、スルタン・バヤズィット1世の軍がセルビア王国(当時バルカン半島で最も有力だった国の一つ)軍を破るなど活躍を見せます。, しかしバヤズィットは1402年、モンゴル帝国再興の野望を持った中央アジアの英雄、ティムールに大敗し囚われの身に。一時オスマン朝は危機に陥りました。これをアンカラの戦いといいます。当時アンカラはアナトリアの一地方都市に過ぎず、よもや後年トルコの首都になるとは夢にも思われなかったことでしょう。, ティムールが3年後に死去したこともあって、オスマン朝は素早く再建し、侵略も再開。メフメト2世統治下の1453年には、ついに東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させ、この千年帝国を滅ぼしました。, アナトリアからバルカン半島にかけて広い領地を支配するようになったオスマン朝(以後、帝国と呼ぶことにします)は、旧東ローマの都コンスタンティノープルを新たな都に定めました。, この大国は16世紀半ば、スレイマン1世の時代まで拡大を続け、最終的にはエジプトからアルジェリアにかけての北アフリカ、シリアやパレスティナなど中東の一部も支配。また陸地のみならず、地中海の東半分をも抑えました。東ローマと同様、ヴェネツィアとも激しく競合しました。, そして帝都「コンスタンティノープル」の名はいつしか、「イスタンブール」と呼ばれるようになります。ギリシャ語で「街へ」という意味らしいですが、これをトルコ人が用いていたというのは興味深いことです。, 一方、東ローマ帝国が滅んでも、中のキリスト教徒までオスマン帝国に滅ぼされたわけではなく、彼らは帝国の支配を受けつつ、商業などで活躍しました。東ローマ帝国がギリシャ語を主に使っていたことから、その住民の多くはギリシャ人として扱われました。, ギリシャ人の多くは東方正教徒で、カトリックではないにしろキリスト教徒。ゆえに西ヨーロッパとの交易はトルコ人やアラブ人よりも積極的に行っていた傾向がありました。このため、ヨーロッパの近代的な思想(自由主義や民族主義)も早く受け入れるようになります。こうした背景もあってギリシャは、1830年、バルカン半島の中ではいち早く、オスマン帝国からの独立を達成しました。, この19世紀頃には、かつてオスマン帝国を支えていた統治体制が緩み、スルタンや中央政府の力も地方に及ばなくなっていきました。しかも、ロシアを始めとするヨーロッパには戦争で敗北を重ね、19世紀を通じてバルカン半島の国々は次々と独立。一方の北アフリカはヨーロッパ諸国の植民地となり、オスマン帝国はその領土を縮小していきました。, こりゃいかん!と、イスタンブールの政府も西洋の軍隊を導入したり、鉄道を建設したり、憲法を制定したりと近代的な改革を行うようになりますが、いずれも保守的な反対派を抑えることはできず、不十分な結果に。, 1908年、ヨーロッパの思想を勉強した、「青年トルコ」と呼ばれる人々が反乱を起こして、当時独裁を行っていたスルタンのアブドゥルハミト2世に憲法を認めさせる、青年トルコ革命が起こります。結局は市民による「下からの改革」が実を結んだ形となりました。, ところが、この直後の1914年、空前の災厄が世界を覆います。第一次世界大戦です。オスマン帝国はこの戦争で、鉄道建設などで仲良くなったドイツ帝国と手を結びましたが、この結果、英仏露を敵に回し、1918年敗北を喫しました。, 第一次世界大戦の敗北は、オスマン帝国への最後の一撃となります。1919年、敗戦の混乱に乗じてギリシャ軍がアナトリアに侵攻しました。, 実はギリシャ独立後も、トルコとの国境が何度も修正され、ギリシャは領土を拡大し続けていたのですが、今回もその一環といえる事態でした。なにせ元は一つだった国。イスタンブールを始め、オスマン帝国内にはまだまだ多くのギリシャ人が暮らしていたので、「ギリシャ人居住地はギリシャ領であるべし!」という主張がなされたのです。, しかし、もちろんそこにはトルコ人も多く暮らしていたので、「トルコ人居住地はトルコ領であるべし!」という主張と衝突。こうして希土戦争が起こります(希=ギリシャ、土=トルコ), この戦争で侵入したギリシャ軍を押し戻したのが、ムスタファ・ケマルという人物でした。1922年にギリシャ軍を最終的に撃退し、アナトリア地方の防衛に成功した彼は、トルコ人の英雄となります。そしてこのケマルが本拠を置いた地が、アンカラでした。, 希土戦争のさなか、イスタンブールのスルタンは、第一次世界大戦の戦後処理として、セーヴル条約を結びますが、ケマルは失うものが多すぎると、この条約に反対。もはやスルタン中心の政府では国が持たないと、対決姿勢を鮮明にします。, 1922年、ケマルはセーヴル条約を修正したローザンヌ条約を結んで、トルコの領地を幾ばくか回復。もはや彼こそがトルコの事実上の代表となっていました。この行いにイスタンブールのスルタン側は反発しましたが、もはや力の差は歴然でした。同年、ケマルはスルタンの廃止を宣言し、ここにオスマン帝国は最期を迎えました。トルコ共和国の誕生です。, こうして、ケマルは新生トルコの大統領となり、首都もスルタン派の多いイスタンブールから、彼の本拠地アンカラに遷りました。アンカラの新政府は、イスラム的な法律やそれまで文章に用いていたアラビア文字を廃止。宗教色を排した法律やアルファベット表記に置き替えました。文字を変えれば、子孫は今までの書物を原文で読めなくなる。こうすることで、過去の社会に戻ることを防ごうとしたのです。, 今までにない徹底的な社会改革の結果、トルコは現在に至るまでイスラム系の国でもかなり宗教色の薄い国となっています。(ワインを始め、アルコールも普通に飲まれます。)数々の功績から、現在彼は、ケマル・アタテュルクという敬称で呼ばれています。アタテュルクとは「トルコの父」という意味です。, こうしてイスタンブールは、首都の地をアンカラに奪われてしまいました。しかし、交易の十字路、ヨーロッパとアジアの接点という立場は今も変わらず、現在に至るまでトルコ最大の人口を誇る大都市であり続けています。郊外を含めた都市圏の人口は、アンカラが約500万人なのに対し、イスタンブールは約1400万人(東京都全体の人口に匹敵)にもなっています。, さて、前述のように、近年は中東とヨーロッパとの関係が(良くも悪くも)何かと注目を集めるようになっていますが、その仲介役として、トルコという国自身の存在も大きくなっています。経済成長も順調なため、現在のエルドアン大統領は長期政権を維持しています。, ところが、隣国ギリシャとは、キプロス問題などをめぐって関係は必ずしも良くありません。キプロスはトルコの南に浮かぶ島国ですが、1974年クーデター事件が起きて以来、国がギリシャ系住民とトルコ系住民によって分断されています。ギリシャ、トルコともに、自国民と同じ住民を、相手国が脅かしているとして、対立が続いているのです。(この問題についても、いずれ記事を起こしたいと思っています), こうした背景もあってか、ギリシャではイスタンブールのことを未だに「コンスタンティノープル」と呼んでいるのだとか。互いの歴史が長く、一方が他方を支配していた過去もある両国ですが、歴史が対立ではなく、相互理解のために用いられることを願うばかりです。.
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