今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 #Iraq, 街で起きた悲劇を語ってくれたサイード・カカさん。亡くなった母たちの名前が刻まれたモニュメントが並ぶ丘の上で。, イラク、バグダッドから北東約260キロ、北部のクルド自治区の中でも東端に位置するハラブジャ。中心地に広がる小さなマーケットに人々がのんびりと行きかい、一見のどかな田舎の街並み、という印象を受ける。けれどもこの地は1988年、イラク軍によって投下された化学兵器によって、一瞬にして地獄と化したという。, ハラブジャは1980年から続くイラン・イラク戦争の最前線の街の一つだった。当時、自治権獲得のため長らく政府に挑み続けていたイラク国内のクルド人組織を、イランは支援し、イラク政府に揺さぶりをかけた。長引く戦闘の中で苦境に立たされたサダム・フセイン率いるイラクは、1988年2月から9月にかけて、クルド住民たちの掃討作戦「アンファール作戦」を決行する。“アンファール”とは「戦利品」を意味する『コーラン』の中の言葉だ。この作戦によってわずか7カ月あまりの間に、5,000以上の村々が破壊され、犠牲になった人々は18万人にものぼるとされている。「ハラブジャの悲劇」は、その最中に起きた。, 1988年3月16日、住人たちは自宅や防空壕に身を潜めながら、飛び交う砲弾が去るのを待っていた。そして夕方前、轟音と共に数機の爆撃機が、次々とハラブジャへと爆弾を投下した。空気よりも重いサリン系のガスが、住人たちが逃げ込んでいた地下室に充満した。 それがユダヤ人のフリッツ・ハーバー博士。, フリッツ・ハーバーは毒ガスを開発したしたことで知られている。 くわしいことは、ニューズウィーク誌の記事(2017年4月7日)をどうぞ。, シリアで使われた毒ガスは分からないけど、イラクのハラブジャで使われた毒ガスは、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したときに使った毒ガスととても似ていると指摘されている。, 天才アインシュタインが、「天才」と呼んだ科学者がドイツにいた。 そして3日目の16日は、現地ハラブジャで化学兵器の爆弾の投下された午前11時35分に18万2千の犠牲者に捧げる182秒の黙祷で追悼儀式が行われた。 ガスを吸った住人たちは激しく咳き込み、痙攣し、泡を吹いて倒れ、街には人間から動物まで、あらゆる遺体が散乱した。当時、化学兵器についての情報はなく、逃げまどい疲れ果てた住人たちが、毒された川の水を飲み亡くなっていった。意識を失った父親を背負い、まだ雪残る山へと逃げ込んだある男性はこう語る。「この世の終わりだ、と思わざるをえなかった。なぜなら目の前にいる最も愛する人を、この手で救えないのだから」。亡くなった住人たちの数は当時の街の人口の1割を超える、約5,000人に及ぶとされている。誰しもが家族を亡くし、「まるで街全体が孤児院のようだった」と彼は語る。, その悲劇を語り継ぐハラブジャ市内の平和博物館には、慰霊碑の並ぶ静かなホールがある。16面になっている壁は3月16日を、19.88メーターの高さは、1988年を象徴する。頭上高くまでびっしりと並ぶ犠牲者の名前は家族ごとに区切られていた。ひときわその数の多さが目立つのが、24人の名が連なるサイード・カカさん(51)の家族だ。サイードさんはこの平和博物館で伝承活動を続けている生存者の一人だ。「あれが母、その次が兄と、その子どもたちです」。一人一人の顔を思い浮かべるように、サイードさんは壁に刻まれた名前を噛みしめながらゆっくりと読み上げていく。, 市内の小高い丘には、当時の犠牲者たちの墓地がある。峠には名前が刻まれた墓石が並ぶが、これは飽くまでも「モニュメント」でしかない。「ここを見てほしい」とサイードさんが示した先には、巨大な棺のような石に、「1,500人の犠牲者」という文字が綴られていた。「ここには誰の遺体か判別ができなかった人間たちがまとめて埋められているんです。きっと母たちもこの中にいるのだと思いますが、それも定かではありません」。唇を噛むサイードさんの浮かべた表情には、それぞれの名があったはずの家族が、数字に置き換えられてしまうことへの悔しさがにじんでいるように思えた。, サイードさん自身は1988年、ハラブジャから西に150キロほど離れたキルクークの大学で機械工学を学んでいた。当時はまだ二十歳、学ぶこと全てが新鮮だった。当時は今のように通信手段が豊かだったわけではない。3月16日から2、3日経った頃、街中に噂が流れ始める。どうやらハラブジャが大変なことになっている、人々はイラン側に逃れているらしい、と。即座に頭を過ったのは、両親や兄弟たち、そして3か月前に結婚したばかりの妻の安否だった。, ところが家族が逃れているであろうイラン側へ渡る許可はおりず、ただ焦りばかりが募っていった。それから4カ月が過ぎた頃、ようやく密輸業者を頼って切り立った山を越えた。しなびたテントがひしめき合う難民キャンプで、最初にいとこの姿を見つける。「父や母は、妻は…?」。まくしたてるようにそう尋ねると、しばしの沈黙の後、「病院にいるんじゃないだろうか」と、いとこはうつむいたまま、小さく呟いたという。彼は到底言えなかったのだ。母親をふくめ、サイードさんの家族の殆どが亡くなったことを。サイードさん自身もまさか、24人の命が奪われたことなど、この時まだ想像すらしていなかった。, 「幸い父や妻は無事でした。それからしばらくは、難民キャンプで暮らすことになりました。土の上に簡易なテントを並べただけで、寒さや暑さはしのぎきれませんでした。水食糧もすべて不足していてね」。時には40センチ近く積もる雪から飲み水を得ることもあったという。ようやくハラブジャに戻ってこれたのは、それから3年後のことだった。 クルド人の人口は3000万人でクルド人の約80%は、イスラム教のスンニ派である。(ただしイスラム国との違いは、世俗的であるということ。クルド人は、お酒やアルコールなどを好んで飲んでおり、宗教に縛られ過ぎない民族である), シーア派は、預言者ムハンマドの血縁を重視して、後継者は血を受け継ぐ子孫だとします。, イスラム国は「スンニ派」の一部の過激派で、スンニ派は、イスラム教信者の約85%を占める最大宗派です。 #Yasuda ハラブジャ事件(ハラブジャじけん)とは、1988年3月16日にイラク、クルディスタン地域東部のハラブジャにて化学兵器が使われ、多数の住民が死亡した事件[1]。, イラン・イラク戦争の末期、クルド人が多数を占めるクルディスタン地域のハラブジャ住民がイラン側に協力したとして、サッダーム・フセイン政権が化学兵器を使用し住民の殺害を図ったとされる。, 使用された化学兵器は、マスタードガス、サリン、VXガスなど複数の種類が極めて大量に用いられたとされているが、詳細は不明である。ただ、当時イラクはこれらの化学兵器をまだ所有・開発しておらず、ジャーナリストのケネス・ツィンマーマンによればドイツ人顧問の指導の下で化学兵器工場で生産されたシアン化水素化合物(青酸ガス)を使用したとの見方が有力だという。このガスはナチス・ドイツがユダヤ人に対してガス室で使用した物と酷似しているという[2]。, 元CIA分析官のペレティエ米陸軍大教授(当時)らは1990年の報告書で「イラン・イラク両軍が化学兵器を使った。現実にクルド人を殺したのはイラン軍の爆撃である可能性が高い」と指摘した。彼によると、死者はシアン(青酸)ガス中毒の兆候を示していたが、シアンガスを使っていたのはイラン軍だったという[3] 。なお、これ以前に出されたDIAの報告書と同様に、ここでもイラン軍が事前にシアンガスを使用したとの証拠は一切提示されていない [4]。, 1992年から1994年までヒューマン・ライツ・ウォッチの主任研究者を務めたジョースト・ヒルターマンは、イラク北部での実地調査を含む2年間の虐殺調査を行った。押収された数千のイラクの秘密警察文書と機密指定解除された米国政府文書、ならびに多数のクルド人生存者、イラクからの亡命者、退役した米国情報部員とのインタビューによって、米国政府はイラクがハラブジャへの攻撃を行ったことを十分に認識しており、それにもかかわらず、イランに責任を負わせようとした非難した[5]。, 犠牲者の数に関しては、死者3,200から5,000人、負傷者7,000から10,000人と推測されている[1]。多数の負傷者の存在はイラン・イラク戦争停戦後に取材した外国人ジャーナリストや医師により確認されており、多くの住民が巻き込まれたことは確実とされている。, この事件についてイラク政府からの正式発表はなく、難を逃れた住民が抵抗組織などを通じて世界にアピールし判明したが、イラン・イラク戦争においてスンナ派諸国、欧米諸国などの多くがイラク側を支持していたことから、ほぼ黙殺される状況になった。, ヨーロッパの企業や研究機関が、イラク側に化学兵器の元となる原料を売り、それがクルド人に対して使用されたことが明らかになりつつあるとし、軍事目的に使用されることを知りながらイラクに売却した当時の関係者の責任を問う声があがり、旧政権のために化学兵器を調達したオランダ人ビジネスマン、フランス・ファン・アンラート(Frans Van Anraat)が逮捕され、禁固刑を受けた。, 中川喜与志『クルド人とクルディスタン 拒絶される民族』南方新社:鹿児島、2001年、第1章, Joost R. Hiltermann, A Poisonous Affair: America, Iraq, and the Gassing of Halabja (2007), 1988: Thousands die in Halabja gas attack / 16 March, FMFRP 3-203 – Lessons Learned: Iran-Iraq War, Halabja – America didn't seem to mind poison gas, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ハラブジャ事件&oldid=80059138. ハラブジャ事件から見た事件. #Sato 記事のタイトルを読んでも内容が想像できない。 女性の戦闘員がいる部隊って虐殺なんてなさそうですよね。 ・事実にもとづく歴史認識で韓国と付き合うためのてがかりを提供する。
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