Frères)を開店させた。今では13区だけでなく様々な所にスーパーを展開している。実際に行ってみたが、見た目は全くお店らしくなく、工場を改造したというような雰囲気だった。中にはいるとアジア人はもちろんだが、ヨーロッパ系の人も買い物をしていた。店内は少し雑然としているが、アジア各国の食材が置かれていて日本の食材もあった。, アジア人街にあるお店の看板は漢字がほとんどであり、たまにベトナム語や日本語もあった。歩いている人もアジア人ばかりで、本当にここがパリなのかと思うほどであった。近代的な高層ビルが多く、比較的ほとんどの建物が低いパリではかなり異質な建物のように感じた。この界隈ではアジアの文化が独立しているような印象を受けたがヨーロッパ系の親子も見かけたので、フランス人とアジア人がうまく共存しているように感じた。, パリ20区にあるメトロ2号線と11号線が交差するBelleville駅周辺では様々な移民が生活しており、すべての文化が混ざり合っている場所である。20区には団地、市場、公園、学校など、生活にかかせないものが全て揃っており、そこに住むフランス人と多くの移民が、言語や宗教も関係なく共存していた。また、壁に描かれたアートが多く、看板も様々な言語で書かれているため混沌とした印象を受けた。午前中に訪れたのだが、人通りが少なく、一般的に治安が悪い地域と言われているので一人での行動は避けた方が良い。, 研究旅行を終えた今、パリに行ったのだがアジア・アフリカ・アラブ諸国を訪れた気分でいっぱいである。パリにある移民街に共通して言えることは移民街として区切られていないということである。日本では中華街はここからここまでと区切られているが、パリの移民街はそういった区切りがなかった。歴史的な背景も含め、自然とその場所に移民が集まったという感じである。私はオペラ地区にあるホテルに泊まったのだが、オペラ地区の周りでもフランス料理屋との間に中華料理屋、モロッコ料理屋など様々な文化のお店があり、パリ全体に移民の文化が広がっているように感じた。, 実際に行ってみて実感したことは、それぞれの店の看板がユニークであることだ。店の看板のほとんどがフランス語とその店がターゲットにしている客の言語で書かれているが、アラブ人街で見つけた本屋の名前が、ペルシアを代表する知識人であるイブン・スィーナーの名前“AVICENNE ”であったり、中華料理屋の店の名前に、中国の標準語を意味する“mandarin ”が入っていたり、ユダヤ人街でも看板に宗教めいたことを書いていたりとそれぞれの文化が表れていて興味深かった。, 建物や店だけを見ると、フランス文化と移民文化は融合しておらず独自の文化を貫いているように感じるが、そこで生活をしている人は様々な人種の人がいて、お互いに共存し合っていた。これだけ移民が多いことは悲しい歴史があることが事実なのだが、移民の文化を排除することなく尊重しているパリの姿を見ることができ、新たなパリの魅力を発見することができた。, 〒814-8511 福岡市早良区西新6-2-92 西南学院大学 文学部 外国語学科 フランス語専攻. 移民の流れ. 0000073211 00000 n
0000003606 00000 n
0000003863 00000 n
0000051090 00000 n
0000003082 00000 n
0000368128 00000 n
0000073350 00000 n
0000024771 00000 n
csv出力(ダウンロード)
Rochechouart駅の周辺にはアラブ人街が広がっている。駅から出るとアラブ系の男の人がたくさん集まっていてタバコを吸っているかビラ配りをしていていた。ただ歩いているだけでも何かしら声をかけられるので、1人では歩かない方が良いような印象を受けた。, 駅の近くにTATIという大きなショッピングストアがある。この近辺を歩いている女の人はほとんどTATIと書かれた袋を持っており、お店の入り口も多くの人がいた。このショッピングストアはパリでは考えられないほど安く、インテリアやキッチン用品、洋服や化粧品、子供用品まで様々なものが売られていた。TATIの創始者:ジュール・ウアキはチュニジア人で、1946年17歳の時にパリへ移住したそうだ。貧乏だった戦時中の自らの体験を元に安く物が手に入るお店を開こうと考え、売れ残り商品の在庫品を現金払いで工場から大量に買い取り、原価と売値を最小に抑えて店に売り出す商法を使って19歳の時にTATIを開店させた。それから現在まで18区に住む住人の生活を支えてきたお店である。店内はアラブ人だけでなく、アフリカ系やアジア系、ヨーロッパ系など人種を問わずにたくさんの買い物客がおり、ここがパリであることを忘れてしまうほどであった。, この界隈ではアラブ系の店が多いが、物価が安いからか人種を問わず様々な人が歩いていた。モスクの周りで感じた住宅街とは違い、生活感あふれるこの場所はとても活気に満ち溢れていたように感じた。, フランスに住んでいるアフリカ系移民はコートジボワール、セネガル、マリ、コンゴなど植民地支配を受けていた国からの移民が多い。また、ハイチからのアフリカ系移民も多く、ほとんどがパリ18区で生活している。メトロ4号線にあるChateau Rouge駅の近くにはアフリカ系のお店が広がっており、この界隈は本当にここがフランスなのかと思うほど黒人が多かった。アフリカ系の女性をターゲットにした美容室が多く、どの美容室でもウィッグをかぶせている首から上のマネキンがショーウィンドウに並んでおり最初に見たときは驚いた。また、アフリカの伝統的な生地を置いている店が多く、看板にはバザン、ワックスと呼ばれるアフリカの伝統的な生地の名前が書かれてあり、女性客が多かった。, Chateau
0000004887 00000 n
「統計で見る」シリーズ。 今回はイギリス国家統計より、2017年公表「イギリスの人口統計2016年(執筆当時最新)」から、イギリスでの人口の推移、そして人口増加の原因を見ていきたい。 概要と、興味深かったものを抜粋して訳してある。 0000013798 00000 n
Rattanavanがいる。2人は1975年に内戦から逃れるためにフランスへ移住した。そして1981年にアジア系の食材を扱うスーパーとしてタンフレール(Tang
0000073855 00000 n
Rougeにはアフリカ系のお店が多く集まっている一方で、アフリカ系移民が多く住んでいる地域はメトロ2・5・7号線が交差するStalingrad駅界隈である。一般的に治安が悪い地域と呼ばれているのでメトロの風景からStalingradを眺めたが、日本でいう団地のような高層ビルが立ち並び、至る所に落書きがあることに驚いた。, 18区にはアフリカ系・アラブ系の移民が多く住んでいるが、その歴史的背景として北駅(Gare du
0000012591 00000 n
0000069440 00000 n
0000015688 00000 n
0000018563 00000 n
0000016902 00000 n
0000023878 00000 n
0000004559 00000 n
0000024966 00000 n
0000005049 00000 n
Faubourg Saint-Denis)にトルコ系の店が多く並んでおり、中東系の人々も多かった。, インドはヒンドゥー教徒が、パキスタンはイスラム教徒が多く、2つの宗教がこの10区に集まっていたのだが、うまく共存しているように感じた。ヨーロッパの文化は全く感じられなかったが、パリで暮らす移民同士のコミュニティを大事にしているような印象を受けた。, 世界のどの大都市にも中華街が存在しており、パリにも中華街が13区にあるメトロ7号線のTolbiac駅からパリ郊外にかけて広がっている。パリに移住している中国人は2つの種類に分けることができる。, 1つは中国からフランスへ直行で移住した人々である。1848年にフランスで奴隷解放制度が施行され、アフリカ諸国からの労働力が受け入れられなくなった時に、中国の植民地化を図りながら中国移民を受け入れ始めたことがきっかけである。そして20世紀前後に中国では日清戦争、義和団事件、辛亥革命など、国内が不安定な状態になるとさらに海外への移住が活発になった。さらに、第一次世界大戦前後には中国とフランスの間に「留仏勤工倹学」という制度が置かれた。この制度は経済的に苦しい若者がフランスで働きながら学ぶことができるというものであった。当時中国では辛亥革命の後、ヨーロッパ文明を取り入れた新しい教育の必要が叫ばれる一方、フランスでは第一次世界大戦で失われた労働力の補充を求めていた。こうしてお互いの利害が一致し、1920年末のフランスには留学生だけで1600人以上、20万人もの労働者が滞在していた。, もう1つは東南アジアの華僑たちである。18世紀初め頃から奴隷として東南アジア諸国に多くの中国人が送られていた。そして1887年にフランス政府は現在のベトナム・ラオス・カンボジアでフランス領インドシナを形成し、植民地支配を行った。大戦後、フランス領インドシナが崩壊し、ベトナムではベトナム戦争が、ラオスでは内戦、カンボジアでは政治家・軍人であるポル・ポトが過激な共産主義革命が起こり、難民となった華僑は支配されていたフランスを目指すようになり、1975~1977年の間で約8万人の華僑がフランスに移住した。移住したのは華僑だけでなく、元々現地に住んでいたベトナム人などもフランスへと移住したため、パリの中華街は多くのアジア人で形成されている。, なぜ13区にアジア人街が形成されたのか。当時13区にはビエーブル川というセーヌ河の支流があり、オスマンによるパリ改造によって工場が進出し始めた。現在ビエーブル川は汚染により埋設されている。1960年代に13区のスラム化を防止するために13区再開発計画が持ち上がり、次々と高層ビルの住宅を建て、比較的経済力のある人びとを呼び込もうとしたが、「工場地帯」というイメージを取り除くことができず、大量の空き家が生まれてしまった。ちょうどその頃、東南アジアからの移民が大量に移り住み、空き家になっているこの地域に住み始めたことから13区がアジア人街になっていった。, アジア系移民がパリで成功した例としてラオス人のBounmy
0000010824 00000 n
0000005443 00000 n
人口統計. 0000010575 00000 n
バルバドスの2020年に分かる最新の国際移民数(人口に占める割合)は「12.13%」で、世界で63番目に高いです。バルバドスの国際移民数(人口に占める割合)推移グラフや他国との比較表など各種データは無料でcsv出力・ダウンロードが可能です。(保存後EXCELでも使用可能) 0000012980 00000 n
0000069214 00000 n
フランス国立統計経済研究所(insee)は、530万人の外国生まれの移民と650万人の移民2世がフランスに居住していて、全人口の19%に当たると推定している。 この1180万人のうち、およそ500万人がアフリカ系移民であった 。. 0000390237 00000 n
1980 年. 0000019765 00000 n
Nord)と東駅(Gare de l’est)に近いこと、18区の家賃が安いことが挙げられる。1850年代にオスマンによるパリ改造が始まり、パリ中心部にあった過密なスラム街を一掃することも計画の一部としてあった。労働者階級にある多くの移民は区画整理された新しい街に住む財力もなく、安い家賃を求めて周辺部や郊外に移り住むようになった。周辺部の中でも北駅と東駅が徒歩圏内にある18区に多くの移民が集中したことによって現在のアラブ人街・アフリカ人街が広がっている。18区はパリとは思えないほど多くの驚きと発見があり、混沌としている地域だがどこか活気に満ち溢れており、とても魅力的であった。, 10区にあるパッサージュ・ブラディー(Passage Brady)界隈はインド・パキスタン系のお店が多く集まっている。インド人・パキスタン人が多くフランスに来た背景にはイギリスの存在がある。植民地時代を経てイギリスには多くのインド・パキスタン人が移住してきたが、1980年以降イギリスが移民受け入れに対して消極的な態度を示したため、フランスに流れ込んできた。, パッサージュ・ブラディーは1828年に建てられたパッサージュであり、ブティックが多く立ち並んでいた。当初は全長約200メートルの1本のパッサージュだったが、オスマンのパリ改造の際にストラスブール大通りができ、東西に分けられてしまった。1980年代にはインド系・パキスタン系の店がほとんど占めるようになったが、今でも東側には貸し衣裳屋が何軒かある。パッサージュ内はインド・パキスタンレストランや雑貨、食料品店、美容室まであり、独特の香辛料の匂いで充満していた。パッサージュの西側に位置するレストランの前には呼び込みの店員さんがどの店にもいて、前を通ると気さくに話しかけられた。またインド系の人だけではなく、店の前にあるオブジェをデッサンしている美大生の団体もおり、活気があった。東側は工事中の所が多く、人通りもなかったためあまり治安が良いとは思えなかった。, この界隈はインド・パキスタン系だけでなく、西側のパッサージュを抜けたフォーブール・サン=ドニ通り(Rue du
0000368647 00000 n
0000070501 00000 n
年少人口割合 22.5 % 生産年齢人口割合 63.5 % 老年人口割合 14.0 % 後期老年人口割合 5.7 % 年少人口指数 35.4 老年人口指数 22.1 従属人口指数 57.6 1 概況 (1)フランス経済は概して内需主導で、緩やかな成長が特徴。一方、慢性的な雇用問題を抱える(仏国立統計経済研究所(insee)が5月14日に公表した2020年第1四半期の失業率は7.8%(速報値)(マイヨット島を除く仏全土))。 0000390517 00000 n
0000011163 00000 n
0000012566 00000 n
0000027614 00000 n
0000073697 00000 n
0000005418 00000 n
0000055743 00000 n
p�P�P�9i���\�6�yK�o�{F=?N�V�X��Յ;&��4����,Z���!�33��\�֒�
u�^^Ԯ�����`�������4&5��2�4 0000020581 00000 n
0000292213 00000 n
��7(j0�;������[��7�+е *������x����ٸ0�X;E\\p;"ed`!�z�U�F1��Y��f�Aֵuq�5V�l
��n0wo��/�1�9�06� 0000068917 00000 n
坂口健太郎 パーマ オーダー,
ジャパンカップ 歴代,
ダーツ オンライン対戦,
台湾野球 日程 2020,
静岡サッカー 歴史,
中の坊瑞苑 送迎,
新千歳空港 ラーメン 食べログ,