その拠点となる飛行隊隊舎には、ブリーフィングルーム・救命装備室・整備員待機室・整備統制室・総括班などのほか、隊舎一階にはブルーインパルスの歴史を展示物で知ることができる、ブルーミュージ … トップニュース「ブルーインパルス」創隊60周年 第12代リーダー 福田哲雄2佐に聞く2020年1月20日更新 60周年の記念すべき年を迎え、愛機のT4練… ã§ã³ã®æå®ã¨ãã¦ãï¼´ï¼²ã¡ã³ãã¼ã«æ¼æãæè²ãã¾ãã ãã«ã¼ã¤ã³ãã«ã¹ã®ãã¤ãããã¯å
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å³ãããã¬ã¼ãã³ã°ãç©ãã§ãè¯éºãªãã¯ããã¯ã磨ãã¦ãã¾ãã. nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。. ブルーインパルス「五輪」を1998年以来のカラースモークで 「東京オリンピック・パラリンピック」の聖火が2020年3月20日(金・祝)、ギリシャのアテネより特別輸送機「TOKYO2020号」で、航空自衛隊の松島基地(宮城県東松島市)へ到着。 トップニュース「ブルーインパルス」創隊60周年 第12代リーダー 福田哲雄2佐に聞く2020年1月20日更新 60周年の記念すべき年を迎え、愛機のT4練… このコンテンツを見るためにはJavaScriptを有効にしてください。Please enable JavaScript to watch this content. 『エアロダンシング』シリーズは、CSK研究所(CRI)によるフライトシミュレーター。主にセガドリームキャストを中心に展開、一部シリーズはMicrosoft Windows用にも移植販売され、のちに発売元をセガ(後のセガゲームス)、プラットフォームをPlayStation 2に移した。, 航空自衛隊の機体を中心に練習機や戦闘機といった航空機をパイロットとして操作し、登場当初から航空自衛隊の訓練などを模したフライト教習的な側面が強く、主に操縦技術を身につけながら飛行を楽しむゲームである。アーケード性やシューティング性といった要素はほとんど持たず、本格的なフライトシミュレーターとしての側面を持つとメーカーは主張している。, 操縦する機体は全て、実際の航空力学に基いて忠実な拳動が再現されている(Gや失速、速度域による旋回性能など)。また、登場する機体毎に異なってくる拳動や空力特性といった個々の特徴などの細かな点まで忠実に再現されている。, 全作品を通じて航空自衛隊の協力を得、航空自衛隊で実際に使用しているものと同種の(翼に日の丸を描いた)機体が多数登場する。「F」以降には海外の軍用機をモデルとした機体も登場するが、それらには識別記号は記されていない。, もともと航空自衛隊の「ブルーインパルス」による曲技飛行を再現するゲームとして出発したため、シリーズを通してスモーク(煙幕)を発する歴代ブルーインパルス機及び航空自衛隊の歴代練習機が登場する。本シリーズの主役機がT-4練習機であることが、それを物語る。, 機体だけでなく、一部マップで登場する飛行場も、航空自衛隊の基地を模したものである。, 『F』以降は戦闘要素も加わったが、基本的にドッグファイト(空中格闘戦)指向であり、ミサイルよりもガン(機銃)による撃墜が推奨され、ストイックでシビアな戦闘傾向になる。「バレルロール(樽状旋回=飛行方向に対して螺旋を描く様に飛ぶ飛行術)」に代表される、いわゆる「エアリアル・コンバット・マニューバ(ACM・三次元空中機動戦術)」も楽しめる。, ミッションは全体的に難易度がやや高めで、上記の三次元空中機動戦術を全く知らないとクリアが難しいものもあった。, 機体の状態によっても、挙動に影響が現れる。例えばミサイルや爆弾を満載した状態では機体の挙動が重くなる、また、機体が損傷すると水平飛行さえ困難な状況に陥る。, マップ上のギミック等が非常に凝っている。例えば都市のマップでは高度を充分下げると道路上を自動車が走行している様子が見え、スタジアム上空には気球が漂っていたり、地上目標として登場する戦車や対空ミサイル車両などは発射口をちゃんとプレイヤー機に向けて攻撃してくる。, 操縦する航空機は、機体各部の動きなどに関しても当時のゲームソフトとしては細部まで非常に凝ったものとなっている。機体のラダーやエルロンなど各種舵が動くのはもちろん、高速では舵の可動角度が減少するなども再現されている。スロットル状態で噴射口の開放角度が変わる様子、F-14戦闘機などの主翼が駆動する機体では速度によって翼が角度を変える様子や、F-15戦闘機のエアインテイク部がエンジン出力によって角度を微妙に変える様子なども再現されている。逆推力を使用できる機体では、逆噴射装置もきちんと可動する。『4 New Generation』から新たに登場したヘリコプターでは、サイクリックに合わせてローターの角度も変化する。, ジェットエンジンの噴射口から出る微かな黒煙の表現などはエンジン出力によって濃さが変化したり、アフターバーナーを使うと煤が完全燃焼するため煙が出なくなるといった点なども再現している。, もともと地上から見て楽しむことを前提とするアクロバット飛行を扱っていたため、飛行の様子をあたかもビデオ収録の様に記録して、飛行後に様々な編集などを施して楽しむリプレイ機能が充実していた。戦闘主体になってもこれは変わらず、またドリームキャスト時代には全国のユーザーから記録映像を募集・収録したファンディスクが発売された。, 1999年3月4日発売。航空自衛隊第4航空団第11飛行隊「ブルーインパルス」の曲技飛行に挑戦するアクロバットフライト・シミュレータ。, CRIとしてのドリームキャスト第1弾にしてシリーズ第1作目で、複数機の編隊飛行によるアクロバットを扱うという作品。編隊飛行・アクロバット教習ともに行えるのはシリーズ中でも本作のみ(なお家庭用ゲーム機向けのリアル系フライトシミュレーターゲームにおいてもアクロバット系統を題材にしているのは本作のみ)。, 2000年1月20日発売。『featuring Blue Impulse』のファンディスク。プレイヤーから寄せられたムービーファイルと、特別ステージ・特別機体が収録されている。, 本編販売後にホームページ上で募集されたリプレイをまとめ、また前作を最後までクリア出来ないユーザーでも楽しめる様に工夫されたファンディスク。前作を持っていなくても単体で安価に遊べる「お試し版」的な側面もある。, 2000年2月24日発売。航空自衛隊の空中格闘戦技教育をモデルにした、リアルドッグファイトシミュレーション。, 「インメルマンターン」「バレルロール」「高速ヨーヨー」など、航空自衛隊の飛行教導隊に取材したと言われる、ドッグファイトで使われるマヌーバーをトレーニングモードのプレイを通じて知ることが出来る。2000年11月16日にはWindows版も発売された。なお、登場機体やマップなど、後継作品のベースとなる作品となっている。, 2000年11月16日発売。『F』のファンディスク。『轟隊長のひみつディスク』同様に公募によるリプレイ集と、追加機体、特別データなどを収録している。, 『轟隊長のひみつディスク』同様の位置付けであるが、今作は「オンライン対戦」という新要素が加わっている。メニュー表記の軟化(フォントも丸文字風のものになっている)、奇妙な(パッケージ表記によると「ポップでキッチュな」)配色のオリジナル塗装機体などの点が変わっている。, 2001年2月15日発売。よりアーケード風になり、ネット対戦を強化した「ネットワークフライトシミュレーション」。, 登場機体編成やマップ構成は『F』を継承するものの、プレイヤーの上司・同僚たるキャラクターは一新した。従来の教習的要素を廃し1人用モードを1つにまとめた代わりに、ネット対戦機能を大幅にアップした。『F』では機関砲と赤外線誘導空対空ミサイルのみであった武装に、レーダー誘導空対空ミサイルや空対地ミサイル、無誘導爆弾などが追加された。また、機体機動の癖がかなり均一化され、ミッションがアーケード化された。2001年6月22日にWindows版が発売された。, 2001年8月21日発売。従来同様、『i』のファンディスク。やはり公募によるリプレイ集、追加機体、特別データなどを含む。, この作品が発売された時点でCRIはSEGA-AM2と社名を変えていたため、CRI最後のソフトとなった。また、『エアロダンシング』のドリームキャスト撤退もこの時点で決まっていた。このタイトルは、ファンディスク発売が決定された際にCRIホームページ上でユーザーから公募を行い、多数の中から選ばれたものである。新規登場機体である「Su-25」も同様にユーザーによる投票で幾つかの候補の中から選ばれた。, 2002年7月11日発売。発売元をセガ、プラットフォームをPlayStation 2に移した、フライトシミュレーション。, コントローラがデュアルショック2に加え、複数のジョイスティックにも対応していたことから操作系割り当てられるボタンが増えた事により、視線の自由な見回しが可能となったが、基本的な操作系統はDCの物を継承していた。, 逆噴射装置などを持っている機種ではそれが使用可能となり、短距離着陸ができるようになった。ドッグファイト重視のゲームバランスは継承された一方で、弾丸の発射間隔が遅い機関砲を搭載しているはずの機種であっても、バルカン砲と同じスピードで弾丸が消費されるという問題が発生し、機種ごとの継戦能力格差が拡大した。, aero dancing 4 new generation SEGA THE BEST 2800, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=エアロダンシング&oldid=79400725. 60周年の記念すべき年を迎え、愛機のT4練習機をバックにガッツポーズを決めるブルーインパルスのパイロットたち(空自松島基地で), 飛行前のブリーフィングで、訓練内容の打ち合わせをする11飛行隊のパイロットたち(空自松島基地で), 航空自衛隊第4航空団第11飛行隊(松島)の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が今年、創隊60周年を迎えた。ブルーインパルスはこれまで、F86F戦闘機、T2高等練習機、そして現在のT4中等練習機を駆使して防衛省・自衛隊の広報を担い、〝空自の顔〟として全国各地で展示飛行や祝賀飛行を実施し、全国のファンの声援に応えながら戦後の60年間を駆け抜けてきた。また前回1964年の東京オリンピックから昨年のラグビーW杯日本大会まで、大空に五輪のマークや「桜の花」をスモークで描き、選手たちにエールも送ってきた。今年〝還暦〟を迎えるブルーインパルスの第12代リーダーを務める11飛行隊長の福田哲雄2佐に、これまでのブルーの歩みと60周年を迎えての心境を、パイロットら11人には記念すべき新年の抱負を聞いた。(聞き手 石川穂乃香), 60周年の記念の年に隊長として勤務できることは、非常にうれしく光栄です。還暦ということは同じ干支に戻りますよね。ブルーも誕生から一回りしたと考えると、ここからまた新しいスタートになると思います。次の60年に向け、新しいブルーを作っていかなくてはいけない。, 1回1回が思い出深いフライトです。2018年の松島航空祭は朝から土砂降りで、誰もが飛べないのではと思っていましたが、我々が展示する時間だけ晴れてくれたんです。おかげで無事に飛べました。その後、地上に降りたらまた雨が降り出した。皆さんの思いが天に通じたんだと思いました。, 各地で展示飛行を行いチームの団結が強まっていくのを感じる。より完璧な演技をお見せできるよう努力するとともに、全国で我々の演技を楽しみに待つ方々を勇気づけられるよう、隊一丸となって訓練に励みたい。, 日々の訓練や各種展示飛行は新しい発見や挑戦の連続。常に新鮮な気持ちで勤務している。60周年を迎え、喜びとその重みを感じているが、見る人により多くの「夢・感動」を与えられるよう精いっぱい頑張りたい。, 陸自の要人輸送ヘリ(左)への搭乗前に、酒井ヘリ団長(左から2人目)の敬礼を受けられる天皇皇后両陛下(右側)=12月26日、宮城県丸森町で(陸幕提供), 天皇皇后両陛下は12月26日、陸自第1ヘリコプター団特別輸送ヘリ隊(木更津)のEC225型「スーパーピューマ」要人輸送ヘリ1024号機(機長・山崎肇3佐)に搭乗され、台風19号で甚大な被害を受けた宮城、福島両県の被災地を見舞われた。, 東京から民航機で仙台空港に到着された両陛下は、ヘリ団長の酒井秀典将補らと共に「スーパーピューマ」に乗り込み、・・・, 防衛協力の一層の強化で一致し、握手を交わす河野防衛相(右)とインドネシアのプラボウォ国防相(12月20日、防衛省で)=防衛省提供, 河野防衛相は12月20日、来日したインドネシアのプラボウォ・スビアント国防相と防衛省で会談し、防衛協力を一層強化していくことで一致した。, 河野大臣は日本が2019年11月に発表した我が国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との防衛協力の指針のアップデート版「ビエンチャン・ビジョン2・0」に基づく協力強化を呼び掛け、プラボウォ国防相はこれに歓迎の意を表した。, 文部科学省の第61次南極観測隊員ら約70人を乗せた海自の砕氷艦「しらせ」(艦長・竹内周作1佐以下約180人)は現地時間の1月5日午後2時50分、南極の昭和基地沖に到着した。, 「しらせ」は12月2日に最後の補給地・豪フリーマントルを出発し、同9日から22日まで南極東部トッテン氷河沖の流氷域で観測機材を海中に投入するなど61次隊の観測支援を行った。, 12月30日には昭和基地から約19キロ離れた定着氷に到達。竹内艦長と青木茂観測隊長らは艦載のCH101輸送ヘリに乗り、一足先に・・・, 東大生に対する「産業総論」の講義後、質問を受ける岸良東京地本長(左壇上)=東京都文京区の東京大学で, 【東京】地本長の岸良知樹陸将補は11月27日、東京大学工学部で同大3年生ら約130人に対し「産業総論」の講義を実施した。, 同講義は平成16年から同大工学系研究科機械工学専攻の中尾政之教授の依頼に応え、歴代地本長が行っている。, 当日は岸良地本長が「軍事と科学技術」をテーマに、▽軍事と科学技術の関係▽軍事に影響を与えた技術の発達▽軍事技術と民生技術との関係▽戦闘様相の変遷とハイブリッド・・・, 「ブルーインパルス」創隊60周年 第12代リーダー 福田哲雄2佐に聞く | 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫. ブルーインパルスに一般人が乗って、降機後にケロッとしてたのは木村拓哉ただ一人で今でも伝説と自衛官から聞いたことあるけどイモトも仲間入りしたのかな。 — BUZZ (@EjjzMAdFZE359CR) October 18, 2020 Copyright © 2020 mediavague Co., ltd. ブルーインパルス 聖火到着で1964年以来の「五輪」空に描く 久々のカラースモーク使用. こちらはブリーフィング中の桐谷さん。ドラマの中でもキリーがブリーフィングしていましたが、コチラは本物。緊張の面持ちで一言も逃さないように集中して話を聞き、いつもの笑顔は封印されていまし … お客様のブラウザはジャバスクリプト(JavaScript)に対応していないか無効になっています。詳しくはサイトポリシーをご覧ください。, 日刊スポーツが2020年東京五輪・パラリンピックに向けて毎週お届けする300回の大型連載です。ここでしか読めないスペシャルな話題満載です。, 1964年(昭39)10月10日午後3時すぎ、東京の紺碧(こんぺき)の空に、巨大な五輪マークが描かれた。戦後復興の確かな歩みを、世界中に印象づけた伝説だが、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム、ブルーインパルスは練習では1度も完全に成功したことがなかった。今も健在の隊員2人の証言を交え、奇跡に挑んだ男たちのドラマを追った。(敬称略)【久保勇人、大上悟】, 64年10月10日午後3時ごろ。神奈川・江の島の上空約3000メートル。雲1つない青空に、白地に青いラインも鮮やかなF-86F戦闘機が5機、浮かんでいた。「ブルーワン」こと1番機、33歳の松下治英隊長率いるブルーインパルス。離れて予備機もいる。5機は本番と同じ時速約460キロで旋回していた。ミッションは「午後3時10分20秒、赤坂見附上空に入り、五輪マークを描け」。チームは午後2時半に埼玉・入間基地を離陸し、まず江の島に向かった。, 28歳だった「ブルースリー」3番機の西村克重はこう振り返る。「江の島の待機はとにかく長かったです」。27歳の「ブルーファイブ」5番機、藤縄忠は「我々は前との間隔をきちっと取って飛ぶことだけに集中してましたが、リーダーはいつ江の島を出ていくかを考えていました」。, 演出は選手宣誓の後、ハトが放たれ「君が代」斉唱の直後に五輪を描き始める予定だった。秒単位のタイミングが要求された。ところが地上から、選手団の入場行進が遅れだしたという報告が入った。1分、2分、3分…予定が狂っていく。世界中に衛星生中継される式典。失敗は許されない。しかし松下は慌てなかった。NHKラジオの中継を聴きながら、7万5000人で埋まる国立競技場へ、いつ飛び出していくか、タイミングを計算し始めた。, 世界で誰もやったことがないプロジェクトが本格化したのは、約1年半前の63年春ごろだった。航空自衛隊の父・源田実らが、静岡・浜松基地を拠点にしていたチームの起用を計画したという。「最初は編隊で煙をひいて飛べばいいという感じ。おもしろくないなあと」(藤縄)。その後「五輪マークを描く。ロイヤルボックスから全景が見えるように」というミッションがきた。, 赤坂見附の高度3000メートル、輪の直径約1800メートル、各機の間隔を約2100メートルにすれば、輪が少しずつ重なり、ロイヤルボックスから仰角70度くらいで全容が見えるという設計になった。隊員は「最初は大したことないと話していたけど、難しかった。各自の輪はできても、重なり方が少しでも重なりすぎてもダメ。きれいな五輪はできなかった」(藤縄)。, GPSもなく、F-86Fのレーダーは射撃用で500メートルくらいしか測れなかった。「互いの間隔は目視で測るしかない。約2000メートル先の全長11メートルくらいの機体は点にしか見えないのです」(藤縄)。後輩の現隊長、福田哲雄も難易度をこう指摘する。「天候や体調によって見え方に違いが生じる中、豆粒ぐらいの航空機に対して正しい位置を保持することは、かなり難しかったのではないかと思います。創意工夫で成し遂げられたのではないでしょうか」。, 当時、隊員の本業は指導教官だった。練習中は秘密も守らなければならず、63年秋に始まった練習は限られた。週1~2回、仕事の合間に遠州灘の上空で、時に煙を点線状に出しながら練習した。「分かってしまうので、煙もちょろちょろ。あれは何をやってるんだと笑われたこともありました」(西村)。練習は1年間で50~60回しかできず、直前の関係者へのお披露目でも、黒の煙がうまく出ず不完全だった。1度も完全に成功しないまま、本番前日を迎えた。「これじゃダメだと自分たちがよく分かっていました。ただ、やらなきゃいけないという気持ちでした」(西村)。, チームは10月9日昼ごろ浜松を出発し、入間入り。車で新橋のホテルに移動した。その日は深夜まで、足元が泥だらけになるほどの土砂降りだった。隊員は六本木で夕食をとりながら「明日はダメだろうなあと思ってました」(藤縄)。そして、当日朝。隊員たちはベッドの中で松下からの電話で起こされた。「晴れてるぞ!」。「びっくりしました。真っ青。チリとか全部流されて、空気もきれいだった」(藤縄)。車で入間基地に急いだ。「飛行前のブリーフィングもほとんどなく、さあ、行こう、ぐらいでした。みんな、以心伝心でした」(西村)。男たちは入間を飛び立った。, 江の島上空。NHKラジオを聴いていた松下が命じた。「よし、行こう」。遅れは出ていたが、最終の聖火ランナーが国立競技場に入場してからは正確に進行するはずと判断し、プログラムと赤坂見附までの距離約40キロ、5~6分の道のりを計算してゴーサインを出した。隊形を維持しながら開業直後の新横浜駅などの上空を北東に飛んだチームはどんぴしゃりのタイミングで赤坂見附に進入した。午後3時13分すぎや同16分ごろを示す記録も残っている。, 定位置にくると、松下が指示を出した。「ブルー、スタートターン、ナウ」。一斉に機体を60度傾け、重力加速度2Gで右旋回を開始。続けて「スモーク、ナウ」。5色の煙を出した。煙の起点に突っ込むと煙を止め、一気に急上昇し背面になった。その時、5人の視界に、見たことのない、完ぺきな五輪マークが広がっていた。, 「本当にうれしくて、酸素マスクの中で、できたー! って、大声で叫んでいました。都内の兄の家でテレビを見ていた母は、思わず道に飛び出して“あの赤い輪は息子なんです”って宣伝してたらしいです」(藤縄)、「国立競技場の中も顔の色に見えて、選手やお客さんも見上げてくれているなあと分かりました」(西村)。, メンバーは、松下の「ジョインナップ」の指示で編隊を組み直し、山手線沿いに都心を1周して入間に戻った。その日、東京はほとんど風もなく、世界を感嘆させ、称賛された五輪マークはしばらくの間、青空に浮かんでいたという。, 後日談がある。開会式後、組織委員会から閉会式でもう1度やってほしいという依頼がきた。「松下さんが即答でお断りしました。またできる保証はどこにもない。次に失敗したら、成功したことまで台無しになるからね」(西村)。チームはその後も五輪マークを描いたことはなかった。, 藤縄は今、あの日新橋から入間基地に向かった車中のことを、こう回想する。「みんな、だんだん話をやめて静かになっていったんです。今日失敗しないように、どうすればいいか考えていました。絶対成功させなきゃいけない気持ちだったと思います。そんなみんなの気持ちがかたまったからこそ、成功したんだと思います」。西村は「同じ教育を受け、同じ仕事をして、同じ部隊で生活した。チームワークがよかった」と話す。その仲間たちも、今年5月に松下も逝き、同期の2人だけになった。西村と藤縄は「今度の東京五輪はテレビで楽しみますよ」と元気に笑っている。, ◆西村克重(にしむら・かつしげ)1936年(昭11)8月27日、滋賀・草津生まれ。3歳で中国・奉天に渡り、終戦後に帰国。高校卒業後、航空自衛隊の航空学生1期生に合格。「奉天で陸軍航空隊の複葉機などをみて、あこがれていた」。55年6月2日、藤縄さん、2番機の淡野さんと入隊。浜松基地の後は北海道・千歳基地でF-104戦闘機に乗り、71年に自衛隊を退職。日本航空に入社し、国際線機長として活躍。96年に定年退職。, ◆藤縄忠(ふじなわ・ただし)1937年(昭12)3月25日、東京・日本橋生まれ。小学2年で栃木・足利に疎開。55年春、高校を卒業し、東京商船大を受けたが不合格。「合格していたら、船乗りに」。航空自衛隊の航空学生1期生の募集広告を兄が見つけて応募し合格。55年6月の入隊からずっと西村さんとともに同じ道を歩み、70年に自衛隊を退職。日本航空に入社し、国際線の機長として活躍。97年に定年退職した。, 来年の関連行事でも、ブルーインパルスが何らかの形で登場するかもしれない。関係者は部隊の本拠、宮城・松島基地にギリシャから聖火が到着する20年3月20日の式典などで検討している。7月24日の開会式は午後8時開始のため、登場するとしても9月のラグビーW杯開幕戦のように日没前のような形かもしれない。現チームの福田哲雄隊長は「そのような機会をいただけるなら、大変光栄なこと」と話す。準備も進められている。航空自衛隊は90年代後半からカラースモークの使用を中止。染料が地上のものにつくなどが理由。しかし20年に向けてメーカーと新染料を開発。今夏には試験も行い、地上への影響などを確認した。, 現チームには「復興五輪」への特別な思いもある。松島基地も大震災で冠水。地域とともに復興の道のりを歩いてきて聖火到着地に指名されたいきさつもある。福田隊長は「活気を取り戻した日本、東北を世界の方々に見ていただきたい。また、この成功が地域の活性化につながることを期待しています。歴史的大会になんらかの形でかかわることができるならば、メンバー一同全力で取り組んでいきたいと思います」と語っている。, 航空祭や国民的な行事などでアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門チーム。青と白に塗装された機体がトレードマーク。現在の正式名称は宮城・松島基地の第4航空団所属「第11飛行隊」。1960年3月4日、浜松基地(静岡)で初の展示飛行を成功させ、64年10月の東京五輪開会式のほか、70年3月の日本万国博覧会(大阪)の開会式でEXPO70マークを描いた。98年の冬季五輪(長野)開会式、02年のサッカーW杯開会式(埼玉)、今年9月のラグビーW杯開幕イベント(東京)などでも展示飛行を披露。使用機体はF-86F→T-2を経て、現在のT-4が3代目。, (C)2020,Nikkan Sports News.
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