この被害者らは、2015年から持続的に韓国を訪問して、被害事実を証言し、韓国政府の責任ある措置を求めてきたが、韓国政府が最小限の真相究明を含むいくつかの措置を履行していないとして、国連に陳情を訴えるに至ったと説明した。, 女性の人権を盾に騒ぐ韓国政府ですが、自分たちが行ったベトナム戦争での出来事は無かった事にしています。, 韓国人兵士がベトナム戦争に参加したときにベトナム人女性を強〇したり、強制連行によって従軍慰安婦として生まれた韓国人との混血児を「ライタイハン」といいます。, 韓国軍は、強〇後、女性の容姿で選別を行い、殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強〇する「だるま」 と彼らがよんでいる強〇・虐殺をしたり 火に放り込んで焼き殺したり、ベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として 韓国軍は連れ回し、繰り返し強〇を行った。 弱ったり病気になった女性は邪魔だと言わんばかりに虐殺して処分したのです。, 韓国は自分たちの行いを無かったことにして日本に対して「従軍慰安婦問題」を騒ぎ立ててプロパガンダ映画を作成しています。, 内容を見ると極悪非道な日本兵が蛮行を行っているのですが、事実無根で実は韓国人がベトナム人女性や自国の女性に行ってきた蛮行そのものなのです。, 「韓国軍は、ベトナムで約100カ所、推計1~3万人の大量虐殺事件を起こしていたことが、米国の公文書などで明らかになっています」(外務省関係者), 「3~4人の韓国軍兵士が家の中になだれ込み、私を捕まえて頭に銃を突きつけたんです。裏の家に連れて行かれ、輪姦されました」, 「シエンという名の少女が10人の韓国兵に輪〇された。その後、殺害され、ナイフでバラバラに切り刻まれた」, 1998年に金大中大統領がベトナム訪問で「遺憾の意」を示しましたが、韓国に帰国するとすぐその謝罪を撤回しています。, 2006年の盧武鉉大統領は、事実は認めるが、韓国政府はベトナムには、一切謝罪も賠償も行わない。と発言しています。, 2009年には韓国で、ベトナム戦争参戦者を 「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現しました。, 「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判したのです。, 日韓両政府ともに慰安婦の強制連行の証拠はなく、 自称元慰安婦の証言のみでこの問題は拡散されています。, ベトナムでは韓国人兵士が行った蛮行についてはいくらでも証言が出ているのにもかかわらず、韓国政府は賠償も謝罪もしないのです。, ですが、 その時代に日本にヘリコプターやジープは存在していません。 もちろんクリスマスを祝う習慣などは当時はありません。, ジッパーを下ろしてなど過激な証言も目立ちますが、当時の日本兵のズボンはボタンです。, 自称・元慰安婦の話している内容は、朝鮮戦争やベトナム戦争時のことを指しているのです, ベトナムはもっと世界中に韓国のした悪行を広めるべきです。そして石碑には どれだけ酷い虐殺があったのかを証拠と共に明確にし ベトナム少女像を広めるべきなのです。, 韓国は政府が自ら国民を指導して、歴史を葬り、歴史を歪曲し、 歴史を捏造 しています。, それでいながら歴史認識、歴史認識と喚き立て、大量の精神障害の人を一生懸命、製造しています。, ■ お母さんに戦時中の話を聞いたことがある。 一度日本兵(あるいは朝鮮半島出身の兵士)に、 ライフルで頭を殴られたことがあるんだって。 銃剣で突かれそうになった時に、若い日本の将校が救ってくれたみたい。 オカダって名前の人だって言ってた。 +5, ■ 俺のお袋は、本当に残酷だったのは日本人じゃないって言ってた。 ほとんどの日本人の将校は立派な教育を受けていて、 マナーも素晴らしかったようだよ。, ■ そうだよ。残虐だったのは日本人じゃない。 俺のおばあちゃんやおふくろの話によると、 狼藉を働いてたのは日本人以外の兵士だったようだ。, ベトナム戦争の前の大東亜戦争時代、日本兵だった朝鮮人はフィリピンでも同じことをしていたんです。, 韓国人売春婦が海外で日本人を名乗る為、イェローキャブ と、日本人女性が長い間言われ続けてきたことと似ていませんか。, 韓国は壮大なブーメランに見舞われることになると思います。今回の国連でのベトナムの訴えはその第一歩になるのではないでしょうか。, 「2015年6月、帰化を終えた私は靖国神社に初めて参拝した。日本人になる ということは、この国に万が一のことがあった際には、国のために戦うとい うことを意味する。, だから、日本を守るために戦ってこられた英霊が祀られ ている靖国神社への参拝は、日本に帰化するにあたって、どうしても必要なことに思われた。, 梅雨を控えた青空のもと、拝殿の前で手を合わせ、私はこの国の神々や英霊たちに、これから日本人になることのご挨拶と、長きにわ たってこの日本を守ってこられたことへの感謝を捧げた」 。, 私は、この一文を読んで思わず胸が熱くなりました。 高校を卒業してアメリカへ留学することによって真実を知り、覚醒した呉亮 錫氏の前文だけを載せました。, 反国家の姿勢をとり、反日本の構えをみせる売国民進党の在日帰化人 たちに是非とも読んでもらいたい一文です。, 日本で帰化した在日韓国人が、彼のような真実を知って、本当の日本人に なって頂ければ、日本はもっと住みよい国になります。, http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1121.html 転載, ★国連にてベトナム人被害者が発言「ベトナム戦争の韓国軍の虐殺・蛮行を調査せよ!」 | きゅうじのブログ アメブロ版, 日本にとって、共通の価値観を共有ができない国々の事を、初心者でもわかるように伝えるのが目標です。上級者には物足りないと思いますが、よろしくお付き合いください。
, ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺被害者が、国連(UN)に陳情を訴えるのは、今回が初めてだ。, は7日、被害者2人を代理して、国連特別手続きに陳情書を提出する予定だと明らかにした。, 韓国軍などによる大規模な民間人虐殺行為とその被害者らに対する適切な被害補償がされなかったことについて、国際人権法上の重大な人権侵害行為であったと確認することを要請する方針だ。, 被害者の1人は、当時7歳の幼い頃に銃撃を受けて、腹部を負傷した。家族は全員、韓国軍によって殺されたという。, 韓国政府が最小限の真相究明を含むいくつかの措置を履行していないとして、国連に陳情を訴えるに至った. 名も無き国民の声, 5. Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. ◇ベトナムの原子力発電計画と日越原子力協力の重要性~「一国平和・安全主義」を超えて 名も無き国民の声, 8. 「民主社会のための弁護士会」(民弁)と「ベトナム戦争時期の韓国軍による民間人虐殺真相究明のためのTF」は7日、被害者2人を代理して、国連特別手続きに陳情書を提出する予定だと明らかにした。 2ちゃんねるの軍事関係のスレをまとめています。 ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺被害者が、国連(UN)に陳情を訴えるのは、今回が初めてだ。 【ホンシェルジュ】 ベトナム戦争は、ベトナムだけでなくアメリカやソ連など、各国の思惑がまじりあう複雑な背景から生じた戦争でした。世界中の国々に大きな影響を及ぼしたこの戦争をわかりやすく解説し、おすすめの本をご紹介します。 | Emmy(本の虫、歴史好きライター) 国民全てにお報せしたい情報を
ベトナム戦争体験者の証言(上) / 金子熊夫 外交評論家 エネルギー戦略研究会(EEE会議)会長 テト攻勢でのフエ市での米海兵隊(Wikipediaより) 今年は、太平洋戦争(大東亜戦争)終結70周年であると同時に、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)終結 名も無き国民の声, 4. ベトナム戦争時(1955年~1975年)に、韓国軍がベトナム人を虐殺したり、レイプしたりしていたそうですね。 ベトナム人被害者やその家族が、DNA鑑定や補償を韓国政府に求めていますが、今のところ韓国政府は証言だけでは証拠にならないとして無視しています。 今年は、太平洋戦争(大東亜戦争)終結70周年であると同時に、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)終結40周年でもある。サイゴン陥落(1975年4月30日)と言う極めてドラマティックな形で終わったあの悲劇的な戦争については、立場や年齢によって各人それぞれの思いがあろうが、筆者にとっても特別な思いがある。, 私事ながら、当時駆け出しの外交官であった筆者は、ベトナム戦争最盛期の1966から68年までの2年半、旧ベトナム共和国(南越)の首都であったサイゴン(現ホーチミン市)の日本大使館に政務書記官として勤務していた経験を持つ。その間、文字通り死と隣り合わせのような危険にいくたびも遭遇した。とくに忘れられないのは、1968年1月末の歴史的な「テト攻勢」(旧正月の休戦期間中に突発した共産軍側の一斉蜂起)の際の体験である。, 周知のように、この攻勢は約15年に及ぶベトナム戦争のハイライトで、あたかも太平洋戦争中のミッドウェイ海戦(1942年6月)のように、戦争全体の勝敗を左右する戦いであった。それまでは、米軍は55万という大兵力を投入して、北緯17度以南の南ベトナム全土にわたって猛攻撃を展開していた。さらにB52大型戦略爆撃機によるハノイなど北ベトナムの大都市に対する無差別、絨毯爆撃、いわゆる「北爆」を頻繁に行っていた。しかし、このテト攻勢で一時的にせよ決定的な敗北を喫した米軍は、ついに最後まで劣勢を挽回することはできなかった。, テト攻勢では、首都サイゴンも解放軍兵士(いわゆる「ベトコン」)に制圧され、米国大使館自体に解放軍兵士が突入した。他の主要都市も軒並み攻撃を受けたが、その中で最も激しい戦闘が最も長く続いたのは、中部ベトナムの古都フエにおいてであった。そのフエに、たまたま攻撃開始の2日前から出張していた筆者は、そこで突然、猛烈な市街戦に巻き込まれ、約10日間文字通り生死の危機に晒(さら)されたわけである。, 攻勢開始後、最初の1週間ほどは、共産側(北越の正規軍と南越解放戦線=ベトコン)が圧倒的に優勢で、筆者は現地人たちと共に共産軍の支配下にあり、彼らと連日運命を共にしていたが、その後徐々に米軍と南越政府軍が劣勢を挽回し、目前まで米軍の海兵隊の第一陣が迫ってきた。, フエ大学構内の比較的堅牢な建物に身を潜めていた筆者は、いつの段階でそこから出て、米軍に救出を求めるべきか、大いに迷った。一つタイミングを間違えると、どこからベトコンの狙撃に遭うかもしれない。それまで日本の外交官であることを隠していたが、米軍の味方だとわかれば当然背後から狙われる。かといって、いつまでもベトコンの近辺にいると、米軍の攻撃の対象となる。, まさにぎりぎりの状況で、自らの判断力に頼る以外になかった。そのとき改めて痛感したのは、現代の戦争(主にゲリラ戦争)において「中立」はあり得ない、自分は中立だと思っていても交戦者同士がそれを認めてくれるわけではない、最後は結局どちらかの側に立たねばならず、どちらの側に立つか自分で選択し、はっきり意思表示しなければならないということであった。, 正直に告白すれば、テト攻勢勃発以前に筆者は、公務上は当然米国の政策を支持し、可能な限り支援する立場であったが、内心では多くの日本人と同様に米国のベトナム政策に懐疑的、批判的で、いわば傍観者の立場に立っていた。しかし、フエの体験でそうした考え方の甘さを思い知らされた。これが筆者にとっての第一の開眼である。, 次に、何とか米軍に無事救出され、フエ郊外の臨時の米軍基地にしばらく身を寄せた。まだ北越軍やベトコンが町を包囲している状況で、フエからダナンの米軍基地まで脱出するヘリコプターの空きがなかったからだ。戦死者や負傷兵の輸送が最優先だ。その間も共産側が米軍基地のすぐ近くまで攻撃を仕掛けてくる。, とくに厄介なのは、毎晩の夜襲で、応戦する米兵たちも必死だ。野戦では、動くものは何でもまず撃つ。撃たなければこちらがやられる。米兵たちの多くはつい最近まで大学生だったような若者たちで、睡眠不足と極度の緊張で目を真っ赤にして銃にしがみついている。, 突然、その中の一人が、傍で「観戦」していた筆者に黙って小銃を差出し、撃ってみろと目で合図する。米軍のM16ライフル銃は、ずっしりしていて、ベトコンなどが使うAK47(カラシニコフ銃)より数倍重い。米軍基地で保護を受け、「一宿一飯の恩義」もあるので、ついその銃を手に取りかけたが、思いとどまった。, テト攻勢の直前、東京からベトナムに視察に来ていた防衛研修所のK教官が、米軍の戦闘機に乗ったというので、国会で問題化したことを思い出したからだ。フエの基地にも各国のベテラン従軍記者やカメラマンが多数おり(その中には、友人で、ピュリッツァー賞カメラマンの澤田教一氏もいた)、どこで写真に撮られるかわからない。戦争を放棄した国の外交官がベトコンを銃で攻撃していたとなったら、ただではすまない。, そこで、とっさに思いついたのは、銃を取る代わりに、土嚢(どのう)を作るお手伝いをすることだった。ベトコン側の迫撃砲弾が絶えず基地内に落ちてくるので、米兵たちは、鉄板を二重、三重に重ね、その上に土嚢を沢山積んで、その下で仮眠をとるので、土嚢はいくらあっても足りない。というわけで、筆者は昼間はシャベルで土を掘って土嚢造りに精を出した。これなら直接戦闘に参加したことにはならず、「後方支援活動」だから日本国憲法第9条にも抵触しないだろうと判断した。もちろん当時はまだそのような概念は日本国内にはなかったが。, この話は、今回初めて公表するもので、当時大使にも外務大臣にも報告した記憶はない。いずれにせよ、フエでの10日間の異常な体験は、その後の筆者の外交官としての、というより日本人としての考え方と行動に少なからぬ影響を与えたことは間違いない。, 金子熊夫(かねこ・くまお)外交評論家、エネルギー戦略研究会(EEE会議)会長。 元外交官、初代外務省原子力課長、元日本国際問題研究所長代行、元東海大学教授(国際政治学)。1960年代半ばに旧南ベトナムの首都サイゴンの日本大使館に勤務。また、1970年代には国連環境計画(UNEP)アジア太平洋地域代表などを歴任。1937年生まれ(78歳)。.
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