つれづれベースボール。 2020 All Rights Reserved. 翌1996年は、8月31日に野口茂樹から受けた左手首への死球により残りのシーズンを棒に振ったが、打率.301本塁打21本86打点を残し、満43歳になる年における成績としてはNPB史上最高数値となる成績を残した[要出典]。 球団創設時の中心選手だった第3代4番の中島治康は、1938年秋に打率.361、本塁打10、打点38の成績で史上初の三冠王に輝いた。. 血液型:A型, 1953年(昭和28年)9月29日生まれ、アメリカ・フロリダ州出身。マイアミデードコミュニティー大学からメジャーリーグのモントリオール・エクスポズを経て、1983年のオフに読売ジャイアンツに入団しました。, 日本での通算7年で779試合に出場して打率.321、171本塁打、558打点を記録しています。89年には歴代6位となる打率.378に好成績を残してMVPと首位打者に輝くなど長く主軸打者として活躍しました。, 守備では緩慢な動きを指摘されることもありましたが確実性と長打力を兼ね備えた打撃で補い、本塁打や打点を記録した次のイニングで守備についた際に観客と万歳三唱を行うなどファンの心をがっちり掴んだ選手でもありました。, 通算10年で首位打者を3回獲得した与那嶺要選手や巨人の外国人投手として最多の登板数を誇るスコット・マシソン投手など多くの名選手がいますが、ファンに愛され「お前が打たなきゃ明日は雨」と応援歌を歌われたクロマティ選手が歴代最強の外国人選手ではないでしょうか。, ウォーレン・クロマティの凄さが分かる名言・語録集!巨人史上最強助っ人の伝説エピソードから人生哲学まで, 1934年に創設され、長い歴史を持つ巨人で投手キャプテンを務めた投手がいます。その投手はスコット・マシソン投手です。外国人投手がキャプテンを務めることは異例で、18年シーズンに当時の高橋由伸監督が任命しました。, 異国の地に溶け込む努力を重ね、新しい外国人選手のチームへの加入が決まるとコンタクトをとり、日本野球への対応や日常生活のアドバイスを送り長年指導員のような役割も自発的にこなした人格者でした。, 日本人若手投手の面倒見もよく、シーズンオフにはアメリカの自宅に戸根千明投手を招いて合同自主トレを行い、趣味の狩猟にも同行させました。19年シーズン終盤にマシソン投手がプロ選手としての現役生活を終えることを発表すると戸根選手は自身のSNSでマシソン投手についての尊敬と感謝のメッセージを投稿していました。, 通算421試合、174ホールド以上にチームに貢献したマシソン投手。巨人でプロ選手としての現役生活を終え、次の目標は東京オリンピックで母国・カナダ代表の一員となり日本に戻って来ることと語っています。, ・野手ではクロマティ選手やラミレス選手、投手ではガルベス投手やマシソン投手が長く活躍した。, ・歴代で一番年俸が高かったのは、2003年シーズンのペタジーニ選手の7億2000万円。, ・クロマティ選手はハイアベレージを残し、首位打者のタイトルを獲得、ファンの心も掴んだ巨人歴代最強の外国人選手である。, 巨人の歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 巨人の歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 巨人の歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 巨人の歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!. Copyright©
黎明期. 野球の面白さや魅力を伝えるべく、私、つれボーに加えて複数の野球仲間と共に楽しく記事を執筆しています。
更に巨人軍史上においても、この落合博満が現在においても巨人軍史上最年長4番打者(1996年8月31日42歳8ヶ月)であり、その記録を保持している。, 1996年オフに落合が退団し、入れ替わるように西武ライオンズからFAで清原和博が入団。1997年から2004年頃までは62代松井秀喜、64代清原、66代高橋由伸の3人が主に4番打者を務めることとなった(MKT砲)。松井は入団3年目の1995年に初めて4番に座り、翌1996年も開幕当初は4番を務めたがシーズン途中から4番を落合に譲り3番に回っていた。その後1999年まで、清原や高橋、67代ドミンゴ・マルティネスらが4番を打ったこともあった。各種報道等によれば長嶋監督の「次に松井を4番に据える時は、松井一本で行くとき」という方針によるものであり、大きく育てたい思いからであった[要出典]。松井はその後、2000年の開幕戦で4番に座り、以後2002年までの3年間全試合4番としてフルイニング出場を果たし、2度の日本一に貢献した。2002年オフに松井がFA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに移籍してからは高橋らが4番に置かれたが、4番固定には至らなかった。, またこの時期は、(松井が4番に固定された3年間を除き)4番打者が乱立した時代でもある。そのメンバーにはFA制度を利用してヤクルトスワローズから61代広澤克実、西武ライオンズから64代の清原、トレードによって近鉄バファローズから65代石井浩郎、福岡ダイエーホークスから69代小久保裕紀、他球団で活躍した外国人選手として西武(西武自由契約後、メキシカンリーグを経て)から67代のマルティネス、ヤクルトから68代ロベルト・ペタジーニと、他球団に所属経験のある選手が多くみられた。彼らのほとんどは4番打者として長期間起用され続けるには至らなかったが、2004年シーズン後半から2005年にかけては小久保が4番に座り、ようやく一定の安定をみることとなった。, 2006年に原が監督(第2次)に就任すると、千葉ロッテマリーンズから自由契約で移籍した第70代李承燁を開幕から4番に据え、各1試合ずつ第71代二岡智宏、小久保、高橋が入っただけで打線を固定化した。, 2007年前半も李が4番に座ったが、シーズン中盤には第72代として阿部慎之助が、後半戦になってからは第73代としてこの年日本ハムからFA移籍した小笠原道大が4番を務め、シーズン最終盤では李が4番に戻った。2007年7月29日の広島東洋カープ戦はその時点で巨人に在籍していた歴代4番経験者全員が本塁打を放ち(66代高橋ソロ本塁打、70代李ソロ本塁打、71代二岡ソロ本塁打、72代阿部ソロ本塁打と2ラン本塁打、73代小笠原3ラン本塁打)、その得点のみで9-0で勝利するという珍しい試合となった。なおこの試合の4番は小笠原だった。, 2008年も当初は李が4番を務めたが、後にヤクルトから移籍の74代アレックス・ラミレスが4番に固定された。ラミレスは2009年と2010年は全試合4番スタメンで出場。2011年7月13日の阪神タイガース戦まで469試合連続で4番スタメンを守ったが、この試合で受けた死球の影響で翌14日はスタメンを外れ、75代長野久義が初の4番となった。ラミレスは2011年オフに退団。, ラミレスの退団以降、2012年から2017年までの6年間は、いずれのシーズンも阿部慎之助が最も多く先発四番に起用された。, 2012年に阿部がチーム史上初めて「4番・捕手」として開幕戦に出場、しばらく阿部が4番を務めた後、横浜から移籍の村田修一が76代の4番となったが、同年後半からは阿部が4番で固定され、阿部の休養時のみ村田や高橋、2013年にはホセ・ロペス(77代)、ジョン・ボウカー(78代)など、助っ人が4番に座った。, 2013年8月24日、横浜DeNAベイスターズ戦でこれまで4番で固定されていた阿部が約1年ぶりに4番を降り「3番・捕手」、代わってこの8月の月間MVPを受賞する好調さを見せていた村田が「4番・三塁手」として出場した。, 2014年から2015年にかけては阿部・村田の不調や怪我が重なったことから、2014年にはレスリー・アンダーソン(79代)、フレデリク・セペダ(80代)、など新戦力やベテランの高橋、リーグ優勝決定後には大田泰示(81代)がそれぞれ座り、2015年には阿部が離脱、村田はさらなる不調に見舞われ、坂本勇人(82代)が4番を務めた。しかし、その坂本も故障で離脱すると、中井大介(83代)、亀井善行(84代)と矢継ぎ早に新4番を任命された。しかし、シーズンを通してみれば、4番としての最多出場は阿部が守った格好となった。ちなみに、阿部は2015年に一塁手にコンバートされている。, 2016年は阿部はコンディション不良によって2軍調整となり、高橋監督は新外国人のギャレット・ジョーンズ(85代)に開幕4番を託す。その後、セ・パ交流戦の時期からギャレットに代わり長野が4番を務めていた。しかし、オールスター明け数試合後の打順の見直しにより長野は1番打者に回り、4番にはセ・パ交流戦から復帰していた阿部が返り咲く。阿部は終盤の消化試合2試合を除いて4番を守り抜き、シーズン通算での4番としての最多出場を維持した。, 2017年は「4番・一塁手」として主に起用されたが、87代ケーシー・マギーや村田が起用された試合もあった。その後は岡本和真の飛躍や加齢により、主に代打の切り札として起用され、2019年に現役を引退した。, 2018年は開幕4番はアレックス・ゲレーロだったが、6月2日に初めて4番打者として起用されるとシーズン終了まで四番を任され、「3割・30本塁打・100打点」の最年少記録を樹立した。, 2019年も主に岡本が4番で起用された。前半戦は打率が低迷し、この年遊撃手として初の3割40本塁打を記録した坂本勇人に4番を譲る試合もあったが、後半戦は復調し、2年連続30本塁打を記録するなど、5年ぶりのリーグ優勝に貢献した。, 2020年も岡本が開幕以降先発4番で起用され続けていたが、9月16日にコンディション不良のためスタメンを外れ、丸佳浩が第90代目の4番打者として出場した。, 各年度の開幕4番打者とシーズンを通して最も多くの試合で4番を務めた打者は次の通り。, 各種報道等によれば長嶋監督の「次に松井を4番に据える時は、松井一本で行くとき」という方針によるものであり、大きく育てたい思いからであった, 長野久義が4番となった試合を報じる以下の新聞記事では「75代の4番」「75代目の4番」などと伝えている。, http://www.sanspo.com/baseball/news/110715/bsa1107150505002-n2.htm, http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/15/kiji/K20110715001214010.html, http://www.daily.co.jp/baseball/2011/07/15/0004270892.shtml, http://www.daily.co.jp/tigers/2011/09/02/0004428512.shtml, http://www.sanspo.com/baseball/news/110902/bsb1109020502004-n1.htm, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧&oldid=79625926, 読売巨人軍広報部 『2007年 メディアガイド』 読売巨人軍広報部、2007年、P403. 2 【巨人軍】歴代外国人(助っ人)選手の年俸ランキング!歴代最高年俸はロベルト・ペタジーニ選手の7億2000万円! 3 私が思う最強の巨人軍の歴代外国人(助っ人)選手はウォーレン・クロマティ選手! 4 巨人軍の歴代外国人(助っ人)選手に関する豆知識 出身:アメリカ 今回はそんな巨人の時代を超えた歴代ベストナインおよびベストオーダーを考察し、夢の最強スタメンを組んでみました。 組んでみて妄想するだけで震えました笑 クリーンナップが全て国民栄誉賞という他球団には真似できない夢のオーダーを是非ご堪能ください。 今回はそんな巨人の時代を超えた歴代ベストナインおよびベストオーダーを考察し、夢の最強スタメンを組んでみました。, 組んでみて妄想するだけで震えました笑 野球の面白さや魅力を伝えるべく、私、つれボーに加えて複数の野球仲間と共に楽しく記事を執筆しています。
巨人の歴代選手のランキングでした。 やはり過去のレジェンドたちは恐ろしい成績を残していますね。 過去の選手ほど凄い、と唸らされる選手が多いのは何故なんでしょうか。 当サイトを通じて野球への興味が更に深まって頂けると大変嬉しく思います。, 1,651試合に出場して1,696安打を放ち、打率.304、92本塁打、628打点を記録, 2020年プロ野球の中継を無料でネット視聴する方法は?動画配信サービス別に全球団を徹底解説!, 球団職員になるには?仕事内容や向いている人の経歴や特徴も確認【体育会系の方必見!】, 球団職員の年収や給料・待遇は?就職・転職を考えるならここから始めよう【体育会系の方必見!】, 岡本和真の凄さが分かる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから努力論まで, 周東佑京の凄さが分かる名言・語録集!足の速さだけで日本代表に選出される男の伝説エピソードから努力論まで, 首位打者⑤、本塁打王⑮、打点王⑬、最多安打③、MVP⑨、ベストナイン⑱、ダイヤモンドグラブ賞⑨, 首位打者⑥、本塁打王②、打点王⑤、最多安打⑩、新人王、MVP⑤、ベストナイン⑰、ダイヤモンドグラブ賞②、日本シリーズMVP④, 首位打者①、打点王①、MVP①、ベストナイン⑨、ゴールデングラブ賞④、日本シリーズMVP①, 最多勝利⑤、最優秀防御率③、最多奪三振①、最高勝率③、MVP①、沢村賞③、ベストナイン⑤、ゴールデングラブ賞④. 身長:183cm 川上時代. 生年月日:1953年9月29日 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧(よみうりジャイアンツれきだいよばんだしゃいちらん)は、日本のプロ野球球団である読売ジャイアンツ(以下特記を除き「巨人」と称す)が4番打者を、独自の基準で選別して一覧化しているものである。, 野球の打順について、日本ではいわゆる「クリーンナップ」の中心となる4番にチーム最強の打者を置くことが多く見られ、同球団については、球団の歴史として関連データを記録・整理し、公表されている。, 巨人はこの歴代4番打者には独自基準を設けており、公式試合の打順で4番打者となった選手が全て含まれているわけではなく、以下の2ケースを除外して掲載されている。, なお、この「歴代4番打者」という表現を、球団や報道機関などが積極的かつ公式に使用しているのは読売ジャイアンツだけであり、他の11球団では「歴代4番打者」という概念が公式に表された形での存在の形跡は見られない[2]。, 球団創設時の中心選手だった第3代4番の中島治康は、1938年秋に打率.361、本塁打10、打点38の成績で史上初の三冠王に輝いた。, 戦前から戦後にかけて、「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治が巨人の第7代4番として1658試合(歴代最多。他チームを含めた4番打者の出場数で見ても2259試合の野村克也、1734試合の落合博満に次ぐ。通算出場1979試合の83.8%に相当。)で4番を務め、数々の打撃タイトルを獲得した。, 一方で兵役で川上がいなかった1943年から1946年途中には投手の名前も見られる。これは戦争の影響による選手不足が主な原因であり、例えば11代ヴィクトル・スタルヒン、12代近藤貞雄が4番に入った1944年には前年在職35名中休職16名の状況からさらに3名の退団者と10名の入営者を出し、解散した球団から譲り受けた選手と新人選手で何とかメンバーを組んでいる状態だった[3]。, 1958年に第25代4番となる長嶋茂雄が入団。同年8月6日の対広島カープ戦で初めて4番に座ると以後は長嶋が4番に固定され、新しい時代を迎えることとなる。翌1959年には後に第28代4番となる王貞治が入団。1962年の開幕戦で初の4番に座ると以後は長嶋と王が交互に4番に座り、「ON砲」と呼ばれた。通算で長嶋は1460試合、王は1231試合で4番を任され、巨人のV9時代の中心を担った。ただし、長嶋の現役中は4番を長嶋が打つ事が多く、王が4番の出場数で長嶋を上回ったのは、終盤に長嶋が怪我をしてしまい、また王自身も初の三冠王を獲得した1973年が初めてであった。, そのV9時代の初期の頃には、試合数こそ少ないが、32代吉田勝豊、33代田中久寿男、34代高倉照幸、35代森永勝也ら移籍選手の名前が連なる。当時の打線補強の形跡が垣間見られる(参考[4])。, この時代、長嶋と王が怪我や調整等でスタメンを外れた試合以外で4番打者に座ったのは、36代柴田勲のみである。, その後、1971年から1973年の3シーズンは新たに4番打者がなく、打線の中軸の固定化が見られる。1974年に長嶋が引退し、以後は主に王が4番を務めた。1976年から1979年にかけては日本ハムファイターズからトレード移籍してきた第39代張本勲が王と3、4番を組んだ(OH砲)。, 1980年に王が引退した後、1980年代から1990年代初頭にかけては、「若大将」と呼ばれた第48代原辰徳が中心の時代になる。「ONの後継者」というプレッシャーに耐え、原は4番打者として1066試合に出場し、382本の本塁打数を記録した。その原を支えるように、45代中畑清と50代ウォーレン・クロマティが同じ時期にそれぞれ200試合近く4番を務めた。, 1993年シーズン終了後からプロ野球ではフリーエージェント(FA)制度が導入され、同制度を活用した選手獲得に積極的な方針をとった巨人では4番の流れも大きく変わることとなった。元々張本を筆頭に他球団からトレードで4番に据えられるだけの大物選手を獲得する事は珍しくなかったが、それにFA制度の獲得も加わり、さらには他球団で活躍していた外国人選手の契約期間が満了して自由契約となると彼らも積極的に獲得するようになった。, 端緒となったのは、1994年に球団史上初のFA入団選手となった落合博満である。中日ドラゴンズからFA移籍してきた落合は、1994年から1996年までの3年間、第60代の4番打者として331試合で4番を務めた。落合が在籍した3年間で2度のリーグ制覇を果たした。 Copyright©
1995年には史上最年長で首位打者争いを繰り広げ、8月31日時点で打率.332、最終的にはシーズン打率.311(リーグ4位)本塁打17本65打点をマーク。 優良助っ人外国人からお騒がせ外国人まで多くの選手が海を渡って巨人のユニフォームに袖を通してきました。, 今回はこれまで巨人に所属した歴代外国人選手の成績や最高年俸などを調べ、巨人最強の助っ人選手についてまとめてみました。, まずは1950年以降、在籍した外国人選手を表にしてみました。70年代から増えていることがわかります。, ※USA=アメリカ、PUR=プエルトリコ、TPE=台湾、DOM=ドミニカ共和国、VEN=ベネズエラ、KOR=韓国、MEX=メキシコ、CUB=キューバ, 50年代は日系アメリカ人選手が所属しました。与那嶺要選手は主に外野手として出場し、在籍10年でMVP1回、首位打者3回、ベストナイン7回を獲得する活躍を見せました。同時期に在籍した宮本敏雄選手も打点王を獲得しています。, 75年にはデービー・ジョンソン選手がメジャーリーグ経験のある選手として初めて入団しました。来日2年目には26本塁打を放ちベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、メジャーリーガーの意地を見せました。78年から在籍したジョン・シピン選手は大洋からの移籍選手で、2年連続で打率3割以上を残しました。, 80年代は最強助っ人がやってきます。84年から90年まで在籍したウォーレン・クロマティ選手は通算7年間で打率.321、171本塁打、558打点を記録し、89年には歴代6位の打率となる.378で首位打者に輝き、MVPも獲得しています。 当サイトを通じて野球への興味が更に深まって頂けると大変嬉しく思います。, 【巨人軍】歴代外国人(助っ人)選手の年俸ランキング!歴代最高年俸はロベルト・ペタジーニ選手の7億2000万円!, 2020年プロ野球の中継を無料でネット視聴する方法は?動画配信サービス別に全球団を徹底解説!, 球団職員になるには?仕事内容や向いている人の経歴や特徴も確認【体育会系の方必見!】, 球団職員の年収や給料・待遇は?就職・転職を考えるならここから始めよう【体育会系の方必見!】, ヒルマン監督の凄さが分かる名言・語録集!日本ハムの名将の伝説エピソードからリーダーシップ論まで, 岩本勉の凄さが分かる名言・語録集!「まいど!」でファンを沸かせる野球人の面白い伝説エピソードから人生哲学まで. 野球をこよなく愛する一般人代表を自負しております。
管理人のつれボーです。
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同時期に所属した台湾出身の呂明賜選手も東京ドーム元年の88年に16本塁打を放ちインパクトを残しました。, クロマティ選手がチームを去った後、メジャーリーグ経験者を中心に獲得するも1年で退団する選手や50試合未満の出場に留まる選手が多くなります。その中でも95年にやってきたシェーン・マック選手はスピード感溢れるダイナミックなプレーをセンターで見せ、打撃でも2年連続20本塁打を記録しました。, マック選手以降、チームは自前で獲得した外国人選手が活躍しないケースが続いたことから方針転換を図り、NPB経験者の獲得を進めていきます。西武から移籍してきたドミンゴ・マルティネス選手は、3年間在籍し最後の1年は成績を落としたもののはじめの2年は安定した成績を残し、清原和博選手が離脱した穴を埋めました。, 2000年代は他球団の主力を次々と獲得しました。03年はヤクルトで本塁打王の経験があるロベルト・ペタジーニ選手、04年は近鉄時代に55本塁打を放ったことがあるタフィー・ローズ選手、08年はヤクルトの4番を務めていたアレックス・ラミレス選手が入団しました。ペタジーニ選手は全盛期の活躍とまではいかないものの移籍初年度は34本塁打を放ち、ローズ選手は移籍初年度に本塁打王を獲得しましたが、怪我やチーム内トラブルもあり2年で退団しています。ラミレス選手は在籍4年でMVPを2回、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ1回ずつ獲得し、3番の小笠原道大選手との「オガラミ砲」は相手チームの脅威でした。, 李承燁選手は「アジアの大砲」の異名でロッテに入団しましたが、思ったような成績が残せず巨人に入団しました。移籍初年度の06年は開幕から4番で起用され、打撃3部門すべてで来日最高成績を残し下位に終わったチームで奮闘しました。, 10年代に入ると自前の外国人選手が活躍を見せます。代表格はファーストで出場したホセ・ロペス選手で、13年に巨人自前の外国人選手としては95年のマック選手以来の規定打席に到達し、打率3割をマークした初の選手でした。ゴールデングラブ賞も受賞し、攻守両面で安定したプレーを見せました。ジョン・ボウカー選手はシーズンでは低打率だったものの12年の日本シリーズでは2本塁打を放ち優秀選手に輝き、ギャレット・ジョーンズ選手も打率は高くないものの16年に24本塁打を放ちました。, 活躍した選手がいる一方で期待された成績が残せなかった選手や珍プレーを見せた選手もいます。04年のレッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献したゲーブ・キャプラー選手はセンターのレギュラーとして期待されましたが、攻守両面で精彩を欠きシーズン途中で退団しました。その前年はヤンキースから移籍してきたクリス・レイサム選手がアウトカウントを間違え、レフトフライを捕球後にボールをスタンドに投げ入れ走者が生還する失態を犯しました。, ※USA=アメリカ、VEN=ベネズエラ、KOR=韓国、DOM=ドミニカ共和国、TPE=台湾、AUS=オーストラリア、PUR=プエルトリコ、CAN=カナダ、CUB=キューバ, 野手と同じく50年代は日系アメリカ人選手が所属しましたが目立った成績は残せず、球団史上初のメジャーリーグ経験者投手として入団したクライド・ライト投手が77年に11勝をマークしました。86年にはリリーフとしてルイス・サンチェス(登録名:サンチェ)投手が19セーブを挙げ、88年からはビル・ガリクソン投手が2年在籍し通算21勝を記録しました。, ここまで成績を残せた投手は少なかったですが、96年にバルビーノ・ガルベス投手が球団外国人としては初の最多勝に輝きます。エースの斎藤雅樹投手と16勝でタイトルを分け合い、チームの優勝に貢献、99年までローテーションの一角を担いました。打っても通算10本塁打を放ち、NPB史上唯一の満塁本塁打を2本記録している投手です。同時期に在籍した趙成珉投手は先発に転向した98年に前半戦だけで7勝を挙げましたが、オールスターゲームで肘を故障して離脱しました。, 2000年代は他球団からの移籍投手が活躍します。阪神から加入したダレル・メイ投手は00年にチームトップの12勝を挙げ、ロッテから移籍してきたブライアン・シコースキー投手は中継ぎとして04年に62試合、05年には70試合に登板し崩壊気味だったリリーフ陣を支えました。, 08年は前年にヤクルトで最多勝を獲得していたセス・グライシンガー投手、横浜で守護神を務めていたマーク・クルーン投手が加入し、グライシンガー投手は2年連続の最多勝、クルーン投手は初めての最多セーブに輝きました。09年はヤクルトを自由契約になり加入したディッキー・ゴンザレス投手が来日後最高成績を残し、最高勝率とベストナイン、ゴールデングラブ賞のタイトルを獲得する活躍を見せました。一方でウィルフィン・オビスポ投手が育成枠から支配下登録に昇格し、09年には6勝を挙げ、育成出身投手として初めてクライマックスシリーズと日本シリーズでの勝利投手となりました。, 12年に加入したスコット・マシソン投手は19年まで所属し、来日当初の制球難を克服して8年間で421試合に登板、54セーブと174ホールドを記録しました。13年と16年には最優秀中継ぎ賞に輝き、山口鉄也投手と西村健太朗投手とのリリーフユニット「スコット鉄太朗」は原巨人の黄金期を支えました。先発ではマイルズ・マイコラス投手が3年間で63試合に先発し、防御率2.18で31勝を挙げ15年に最高勝率、17年に最多奪三振のタイトルを獲得しました。, 野手と同じく投手でも活躍できなかった選手は多く、ロッテで左のエースとして活躍していたエリック・ヒルマン投手は2試合に登板し未勝利、左肩の違和感を「肩に小錦が乗っているようだ」と表現して在籍2年目のシーズン途中に退団しました。ダイエーで守護神を務めていたロドニー・ペドラザ投手は03年にわずか7試合の登板に終わりシーズン途中で退団、同じく守護神として期待され05年に加入したダン・ミセリ投手は4試合の登板で2敗を喫し、二軍落ちを拒否するなどした後に球団史上最速で解雇されました。また、ローテーションの一角を期待されていたブライアン・バニスター投手は東日本大震災後にチームに無断で帰国し、そのまま戻ってくることはありませんでした。, 少し変わった投手では、01年に在籍したヘクター・アルモンテ投手は登板の際にリラックスできるという理由で葉っぱを口に加えて登板し話題となりました。, ここでは巨人軍歴代外国人選手を年俸で順位付けしてみました。プロ野球界では投手よりも野手の年俸が高くなる傾向があり、今回のランキングもトップ5は野手が占めました。, 1位はロベルト・ペタジーニ選手で、2003年の7億2000万円が歴代最高年俸となりました。ヤクルト時代に本塁打王を2回獲得した実績を期待され破格の年俸で入団しました。本職のファーストには清原和博選手がいたため、移籍1年目は本職ではない外野で出場することが多くあり、慣れない守備の影響か膝を痛めてシーズン途中に離脱したものの100試合の出場で34本塁打を放ち、本塁打王経験者の実力を見せました。, 2位は07年の李承燁選手の6億円で、前所属のロッテでは「アジアの大砲」と呼ばれていた韓国球界時代の実力を発揮できずに苦しみましたが、巨人移籍1年目の06年はフル出場を果たしました。開幕から4番に座り、チームはBクラスに沈んだものの気を吐き、来日後最高成績を残して年俸6億円の4年契約を結びました。迎えた07年は前年より成績は落ちましたが、30本塁打をきっちりマークしました。, 3位にランクインしたのは04年のタフィー・ローズ選手でした。前所属の近鉄時代には当時日本タイ記録のシーズン55本塁打を放ったこともあり、5億5000万円での契約となりました。守備面の不安もなくセンターを守り、移籍初年度となった04年は45本塁打を放ち本塁打王を獲得、両リーグでの本塁打王経験者となりました。チーム本塁打数259本の日本記録を樹立した超重量打線の中心として活躍しました。, 4位は08年のアレックス・ラミレス選手。大型補強を敢行した07年オフにヤクルトから移籍し、自己最高年俸の5億円で契約しました。移籍初年度から活躍し、打率.323、本塁打45本、打点125の好成績を残し自身初のMVPと打点王に輝きました。巨人からDeNAに移籍するまで主に4番打者として出場し、成績を残し続けました。, 5位にランクインしたのはアレックス・ゲレーロ選手でした。前所属の中日では来日1年目で本塁打王に輝き、長打力のある選手を求めていた巨人に移籍し、中日時代の1億5000万円から大幅アップの4億円で契約しました。怪我や首脳陣とのトラブルなどに加え、15本塁打を放ったものの好不調の波が激しくなかなか実力は発揮できないシーズンでした。, チームの主力として活躍した選手も残念ながら実力を発揮できなかった選手もいましたが、巨人のユニフォームを着た多くの外国人選手の中で、歴代最強の選手は「クロウ」ことウォーレン・クロマティ選手だと考えます。, 職業:元プロ野球選手・読売ジャイアンツアドバイザー
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