mixiユーザー 03月21日 21:40, [250] オークション mixiユーザー 03月20日 22:21, [234] 03月21日 18:25, [245] 04月12日 13:24, [253] mixiユーザー 03月20日 22:05, [232] mixiユーザー mixiユーザー 04月12日 14:58, [257] 2012年03月18日 18:09, [228] mixiユーザー すべての機能を利用するにはJavaScriptの設定を有効にしてください。JavaScriptの設定を変更する方法はこちら。, 現在位置: 03月20日 22:17, [233] 03月21日 21:38, [249] 03月20日 20:55, [230] mixiユーザー 03月22日 18:38, [252] mixiユーザー 03月20日 23:53, [239] 03月21日 00:14, [240] 03月21日 00:45, [241] mixiユーザー mixiユーザー 08月13日 06:32, [266] まとめサイト『De速』は横浜DeNAベイスターズの最新情報と速報性の高いプロ野球情報を中心にまとめています。 情報元は主に2chなんでも実況Jがメインですが独自の記事を掲載することもあります。 mixiユーザー mixiユーザー 11月9日(月)15:00より、「my baystars」アプリに「マスコットカード」第五弾が登場! 今回追加されるカードは、『yokohama girls☆festival 2020 supported by ありあけハーバー』より、横浜denaベイスターズ公式マスコットとして活躍している 「db.スターマン」と「db.キララ」、i☆yokohamaシンボル … 今回は、その「後編」として、「大洋・横浜・DeNA編」をお送りして行く事としたい。, まずは、所謂「湘南カラー」の大洋ホエールズ、川崎球場時代末期の個性派選手達を、ご紹介して行く事とする。, <「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクターの選手達①…「カミソリシュート」「巨人キラー」の平松政次>, 夜中にうなされて、何度も目が覚めたという逸話が有るが、平松が投げる、えげつない「カミソリシュート」は、, <「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクターの選手達②…「タコ足」「松原先生」こと松原誠>, 通算331本塁打、球団初の通算2000安打も達成した、大洋ホエールズ史上に残る強打者だった。, その圧倒的な実績と、現役引退後の「名解説」(?)により、「松原先生」とも称されているが、, 「松原先生」こと松原誠も、「湘南カラー」のユニフォームが、とてもよく似合っていた。, <「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクターの選手達③…「ライオン丸」シピン>, 「ライオン丸」というニックネームで呼ばれ、まさに「湘南カラー」の大洋を象徴する選手だった。, この時代の大洋の選手で、「ライオン丸」シピンを思い出される方も、沢山いらっしゃると思われる。, <「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクターの選手達④…「オバQ」田代富雄>, 豪快な特大ホームランを連発した強打者・田代富雄は、「オバQ」というニックネームで愛された選手である。, なお、何故、田代が「オバQ」と呼ばれるようになったのかといえば、田代が2軍に居た頃、, 田代と、2軍打撃コーチの沖山光利とのやり取りで、田代が、あまりにも間の抜けた答えが多く、, 沖山コーチに「お前は、オバQみたいな性格してるな」と言われたのが、由来だったという。, ともあれ、まるで「お化け」のような特大ホームランを連発する田代富雄には、「オバQ」というニックネームは、ピッタリだったと言えよう。, <「湘南カラー」の大洋ホエールズの、濃すぎるキャラクターの選手達⑤…「湘南カラー」誕生のキッカケだった!?「大ちゃん」こと山下大輔>, 静岡の裕福な資産家の「お坊ちゃん」で、慶応ボーイだった山下大輔は、「大ちゃん」と呼ばれ、大人気だったが、, 大洋の「湘南カラー」のユニフォームは、静岡のお坊ちゃんだった「大ちゃん」が大洋に入団したのがキッカケで、, そういう意味では、山下大輔は、大洋の球団史に大きな影響を与えたが、彼のショートでの守備は天下一品であり、プロ野球屈指の名手であった。, <1978(昭和53)年…大洋ホエールズ、本拠地を横浜スタジアムに移し、「横浜大洋ホエールズ」誕生!!…1978(昭和53)年~1992(平成4)年の15年間は「横浜大洋ホエールズ」の時代>, 1978(昭和53)年、大洋ホエールズは、本拠地を、新装成った横浜スタジアムへと移転し、, 「横浜大洋ホエールズ」は、早速、横浜スタジアム周辺でパレードを行ない、ハマっ子にお披露目されたが、, ユニフォームも、あの「湘南カラー」から、スッキリした印象の、お洒落なマリンブルーを基調とした物に、変更された。, マリンブルーの「横浜大洋ホエールズ」の時代は、1978(昭和53)~1992(平成4)年まで続いた。, 私が、大洋ファンになったのは、この「横浜大洋」時代の末期であり、私としても、非常に思い入れが強い。, <「横浜大洋ホエールズ」のペットマーク「マリン君」~横浜大洋ホエールズ時代(1978~1992)を通して活躍(?)>, 「横浜大洋ホエールズ」時代(1978~1992年)を通して使用され、「横浜大洋」を象徴するキャラとなって行った。, 私としても、大洋といえば「マリン君」の印象が強いが、「マリン君」はホエールズが横浜の地に定着して行くに従い、, 大洋ホエールズの、川崎球場ラストイヤーである1977(昭和52)年に作られた球団歌「行くぞ大洋」も、, 「行くぞ大洋」の、何とも言えないユルさ、野暮ったさ(?)は、聴けば聴くほど、ハマってしまうのだから、不思議である。, なお、横浜大洋ホエールズ賛歌「勝利花」は、野球の応援歌らしからぬ、短調のメロディーであり、これまた味わい深い。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード①…「オバQ」田代富雄と、「ホームランスター」~「マリン君」のヘルメットにも、その名残りが!?>, ここからは、「横浜大洋ホエールズ」時代を読み解く、いくつかのキーワードについて、ご紹介して行く事とする。, 田代は、ホームランを打つごとに、ヘルメットに星型のシールを貼っていたが、これは「ホームランスター」と呼ばれた。, そして、「ホームランスター」は、よく見ると、「マリン君」のヘルメットにも貼られている。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード②…斉藤明夫&遠藤一彦の「Wエース」>, 斉藤明夫と遠藤一彦という、素晴らしい投手が2人も居たお陰で、大洋の投手陣は何とかなっていたが、, というわけで、弱小球団・ホエールズで奮闘した、斉藤と遠藤は、特筆すべき存在である。, 「横浜大洋ホエールズ」は、初年度の1978(昭和53)年は、最終的には息切れし4位に終わったが、夏場まではヤクルトと首位争いを演じ、, しかし、翌1980(昭和55)年には、ドップリと「指定席」のBクラスに沈んでしまった。, 特に、1981(昭和56)年、大洋はダントツ最下位に終わり、巨人戦には4勝20敗2分と、大惨敗を喫してしまった。, そのため、大洋戦は巨人にとっては美味しい貯金箱という事で、「横浜大洋銀行」という、何とも不名誉なあだ名が付いてしまった。, 以後、大洋が低迷すると、しばしば「横浜大洋銀行」と陰口を叩かれてしまう事となったのである。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード④…高木豊・加藤博一・屋鋪要の「スーパーカートリオ」>, 1985(昭和60)年、大洋の近藤貞雄監督は、1番・高木豊-2番・加藤博一-3番・屋鋪要という、, いずれも足の速い打者を、1~3番打者にズラリと並べ、彼らを「スーパーカートリオ」と名付けた。, 高木豊(42盗塁)、加藤博一(48盗塁)、屋鋪要(58盗塁)の3人で、「計148盗塁」を記録した。, という事で、「スーパーカートリオ」は、球史に残る俊足トリオとして、今もなお語り継がれている。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード⑤…「スーパーマリオ」こと、カルロス・ポンセ>, 毎年、チャンスに強いバッティングと長打力を披露し、大洋ファンに愛された名選手であった。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード⑥…はた山ハッチ(=やくみつる)~大洋ファンを前面に押し出した漫画家>, なお、はた山ハッチは、別名を「やくみつる」と称し、彼は2つのペンネームを使い分けていた。, しかし、私にとっては、「はた山ハッチ」は、今でも大洋ファンの漫画家という印象が強い。, ちなみに、私は1998(平成10)年に横浜ベイスターズが38年振り優勝を達成した際、一度だけ、あるイベントで、やくみつる氏にお会いしている。, その時、著書『ベイスターズ心中』にサインをして頂いたが、今後も、彼には引き続き、ベイスターズを応援し続けて頂きたいものである。, <「横浜大洋ホエールズ」を読み解くキーワード⑦…「月刊・横浜大洋」⇒「月刊ホエールズ」~とても貴重な、大洋ホエールズ専門誌>, ところで、「横浜大洋ホエールズ」は、1981(昭和56)年以降、球団情報が満載の専門誌を発行していた。, そして、当時の大洋ファンにとって、「月刊ホエールズ」は、大洋のまとまった情報が入手出来る、唯一の専門誌として、大変貴重であった。, <「ミラクルジャイアンツ・童夢くん」(原作・石ノ森章太郎)で、マリンタワーにぶち当てる(?)巨大ホームランを放った、大洋の巨漢(?)ドード>, それは、当時、小学生だった私が夢中になって見ていた野球アニメ「ミラクルジャイアンツ・童夢くん」での、あるエピソードである。, 「童夢くん」は、東京ドームという球場の特性を活かした「魔球」を次々に開発し、セ・リーグの各打者をバッタバッタと打ち取って行く、, スーパー小学生投手・新城童夢を主人公としたアニメであり、当時、子供達に大変人気が有った。, 横浜スタジアムで、何と、マリンタワーにぶち当ててしまうという、超特大の場外ホームランを放ち、視聴者の度肝を抜いた(?)。, 「もし本当に、横浜スタジアムで、マリンタワーの方向に打っても、方角的に、絶対にホームランにならない。あの方向は、一塁側の大ファールになる」と、解説(?)していた。, それはともかく、あの大ホームランは、あれから30年以上が経った今も、私の脳裏に強烈に残っている。, 後に、マリンタワーに行った時に、「ドードが、ホームランをぶち当てたのは、ここか…」と、私は感慨に浸っていた(?)。, <1992(平成4)年シーズン終了後…「横浜大洋ホエールズ」の歴史に幕~「横浜ベイスターズ」誕生!!~新マスコットキャラクター「ホッシー」も誕生>, 1992(平成4)年のシーズン終了を以て、数々の名選手と、沢山の思い出をファンに残してくれた「横浜大洋ホエールズ」は、その歴史に幕を閉じた。, 結局、「横浜大洋ホエールズ」は、1度も優勝出来なかったが、個性豊かな選手達が、ファンを楽しませてくれた、本当に魅力有る球団であった。, その「横浜大洋ホエールズ」ラストゲームでは、遠藤一彦も現役引退し、ナインから胴上げされた。, そして、1992(平成4)年シーズンオフ、「横浜大洋ホエールズ」は、「横浜ベイスターズ」と改称し、新たなスタートを切った。, こうして、歴史有る「ホエールズ」という球団名は無くなってしまったが、その原因の一つとして、, 親会社の「大洋漁業」(マルハ)が、世界的な捕鯨禁止の流れには抗えず、「ホエールズ」という球団名を名乗りにくくなった、という事も有ったである。, そして、新生「横浜ベイスターズ」の新たなマスコットとして、「ホッシー」が誕生した。, 「ホッシー」は、その名の通り、星型の顔(?)が特徴であるが、「ホッシー」は、誕生年である「1993」という背番号を背負い、, <「横浜ベイスターズ」の新応援歌「WINNING」~ベイスターズの若手選手と、アイドルグループ・CoCoが共演し、いきなり垢抜けた応援歌を披露!!~球団歌「熱き星たちよ」も誕生>, 「横浜ベイスターズ」誕生に伴い、あの野暮ったくも味わい深かった「行くぞ大洋」に変わり、, 「横浜ベイスターズ」の若手選手(佐々木主浩・盛田幸妃・野村弘樹・谷繁元信・石井琢朗・新藤達哉)と、, 当時の人気アイドルグループ、CoCo(三浦理恵子・羽田恵理香・大野幹代・宮前真樹)が共演し、, なお、余談であるが、石井琢朗は、この時、既にCoCoを脱退していた、瀬能あづさと結婚している(※後に離婚)。, <1993(平成5)年の「横浜ベイスターズ」ファン感謝デーで、「ホッシー」の妹と弟の双子「ホッシーナ」「ホッシーゾ」がデビュー!!>, 以後、「ホッシー」「ホッシーナ」「ホッシーゾ」の3人は、力を合わせ、ベイスターズを盛り上げ、, <ベイスターズファンの漫画家としてブレイクした、みずしな孝之~代表作『ササキ様に願いを』>, その跡を継ぎ、独自路線でブレイクを果たしたのが、代表作『ササキ様に願いを』という、, なお、みずしな孝之のデビューのキッカケは、「月刊ホエールズ」の投稿漫画コーナーであり、, 彼もまた、「やくみつる」同様、べいすたーずのお陰で世に出た漫画家であると言えよう。, <1998(平成10)年…「マシンガン打線」「中継ぎローテーション」「大魔神・佐々木」で、横浜ベイスターズが38年振り優勝・日本一!!~「ハマの大魔神」が流行語に>, 1998(平成10)年、「マシンガン打線」と称された強力打線に、「中継ぎローテーション」という豊富なリリーフ陣、, そして、絶対的な抑えの切り札、「ハマの大魔神」として、他球団から恐れられた佐々木主浩などの強力メンバーを揃え、, 横浜ベイスターズは、あの1960(昭和35)年の「三原マジック」での奇跡の初優勝以来、, 実に38年振りの優勝を達成し、その勢いのまま、日本シリーズでも西武を4勝2敗で破り、一気に日本一にまで駆け上がった。, 優勝を祈願した横浜ファンが、数多く訪れ、そして、見事にベイスターズが優勝を果たした後、, 2002(平成14)年、長年、球団経営していた、親会社の「マルハ」が、遂に球団経営から撤退した。, TBSによる球団経営は、ずっと迷走しっ放しであり、ベイスターズは、毎年ダントツ最下位を低迷する、酷い有様になってしまった。, まさに、「暗黒のTBS時代」であり、1998(平成10)年には、連日、超満員だった横浜スタジアムも、毎日ガラガラになってしまった。, そんな「暗黒のTBS時代」で、孤軍奮闘したのが、「ハマの番長」こと、三浦大輔である。, 毎年、ダントツ最下位に低迷するベイスターズで、三浦は腐らずにエースとして投げ続け、, 2008(平成20)年オフに、FA権を取得した時も、「俺は横浜の三浦大輔だ」と言って残留し、ベイスターズファンを喜ばせた。, もしも、三浦までもが出て行っていたら、ベイスターズは完全に崩壊していたと思われる(※殆んど崩壊していたが)。, あの酷い暗黒時代で、黙々と投げ続けた三浦は、本当に素晴らしい投手として特筆すべき存在である。, <2012(平成24)年…DeNAが球団経営を引き継ぎ、「横浜DeNAベイスターズ」誕生!!~マスコットも「ホッシー」ファミリーから「DBスターマン」へ引き継がれる>, 2012(平成24)年以降、「モバゲー」で一山当てた、IT企業の「DeNA」が、ベイスターズの経営権をTBSから買収した。, そして、球団名は「横浜DeNAベイスターズ」と改称され、新たなスタートを切ったが、, これに伴い、ベイスターズのマスコットも、「ホッシー」ファミリーから、ハムスターがモチーフの「DBスターマン」に引き継がれた。, 「DBスターマン」は、随分とコロコロした体型で、手足も短いが、「キャラ萌え」の塊のような存在である。, <「DBスターマン」のガールフレンド(?)「DBキララ」も登場!!~その後、「バート」「チャッピー」も加わり、「DeNAファミリー」を形成>, しかし、どうやら「DBキララ」は、「DBスターマン」が一方的に片思いしている女の子(?)のようである。, それはともかく、「DBキララ」も大変可愛らしく、今や横浜スタジアムの人気者である。, 今や、「DeNAファミリー」は大変賑やかになったが、ヤクルトの「つば九郎」も表敬訪問(?)に訪れ、羨ましそうにしていた。, という事で、ホエールズ~ベイスターズの長い歴史を、マスコットやペットマーク、個性派選手達で振り返ってみたが、, 是非とも、ベイスターズは近い内に3度目の優勝を成し遂げて欲しいと、私は強く願っている。, マスコットで振り返るプロ野球史⑥ 大洋・横浜・DeNA編 ~マリン君とホッシーとDBスターマン~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~, 法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。.
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