3月28日(木)19時00分 -田中絹代賞おめでとうございます。最初に聞いたときはいかがでした?- 「『何の話をしているんだろう?何を言っているんだろう?』って思いました。前に日本映画批評家大賞でゴールデングローリー賞をいただいたことがあるんですけど、そんなに賞に執着はないし、ただ好きで映画を撮ってきたということだけだったので。 一番先に知らせたのは家族。妹と弟がいますから。妹が一番喜んでいました。私が日活ロマンポル … 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。 ( 2019年3月 ) マークアップをスタイルマニュアルに沿った形に修正する必要があります。 3月9日(土)17時00分 元ロマンポルノ女優、m-1挑戦!脳梗塞・子宮がんを乗り越えた白川和子が掴んだ「幸せ」 (テレ朝post) ©テレビ朝日. テレ朝動画とは ; よくある質問 ... 松葉屋の女郎・おそで(白川和子)は、娘のおちよ(松村郷子)の声に引き寄せられて女郎屋を飛び出し家に戻るが、おちよの姿はなかった。そのころ先生(中村敦夫)一行は、寺に納められ… >>詳しくはコチラ. やりにくいわね. 19/03/09 野村昭子さんは来週3月12日にテレ朝で放送の「徹子の部屋」に出演します。 最近この手のニュースが多いね. この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。. (新宿ゴールデン街劇場) 主演女優の白川さんの記事が連日のように男性週刊誌やスポーツ紙を飾るようになり、“団地妻”はシリーズ化。日活社内では「白川和子を出せば必ず当たる」といわれたほど。 しかし、人気絶頂だった1973年、白川さんは17歳年上の日活社員と結婚。 太陽を信仰する不思議な行者、“先生”(中村敦夫)は祠の前で、木綿針の行商女“おばさん”(市原悦子)に出会うが、その祠の中では、仏像が目から血の涙を流し続けていた。恐れた村人…, 遠く離れた江戸と上州で、同時に異変が起った。柳橋の芸者・染香(左時枝)と、上州漆ヶ原の代官・山地(新田昌玄)の妻、琴路(小山明子)の人格が突如、入れかわったのだ。先生(中村…, 先生(中村敦夫)らは、父の仇を求めて旅する若侍・真之助(伊藤幸雄)と出会った。真之助は、幼い時、病気の母・志乃(弓恵子)を祈とうした旅の僧・弁覚(藤岡重慶)に父を殺されて、…, 油問屋・百舌屋の娘・うめ(泉じゅん)は、血まみれのもうひとりの自分の影におびやかされていた。先生(中村敦夫)は、それはうめが自分の死を予感しての“影の病い”だと霊視する。実…, 松葉屋の女郎・おそで(白川和子)は、娘のおちよ(松村郷子)の声に引き寄せられて女郎屋を飛び出し家に戻るが、おちよの姿はなかった。そのころ先生(中村敦夫)一行は、寺に納められ…, 旅宿・さいか屋の若旦那の孝之介(風戸佑介)は女郎のお葉(大関優子)と深い仲になり、父親の清(林孝一)を困らせていたが、ある日、ふたりは心中死体となって発見された。清兵衛の遠…, 天下一の陶芸の名匠・陶夢斉の窯のあった窯ヶ窪に赤い雪が降り、人々は脅えた。山番の仁助(山谷初男)の幼い娘・おゆき(大川かすみ)は赤い雪が降るとひきつけをおこして泣き叫んだ。…, 先生(中村敦夫)は役人に追われる百姓娘・おさき(吉本真由美)の足の裏に“ふみ”という字が浮かび出ているのを見た。鳥追い女のおたみ(野口ふみえ)は、そのおさきを、十八年前に悪…, ひとりでに家具が動き出すという不気味な家に、嵐の夜、難をさけて奇妙な人物が集った。米問屋に押し入って主人夫婦を殺し二千両を奪った辰次と鬼吉兄弟、彼らを捕えた同心の宮本(剣持…, 侍に追われる身重のお京(早川絵美)と出会った直後、おねむの腹が突然大きくなった。先生(中村敦夫)は、お京が殺される直前、腹の子を助けたいと祈り、お京の子がおねむの腹に移った…, 若侍の菅谷(大林直樹)は、二年前、江戸吉原の女郎屋の下働き・白梅(淡成恭子)と恋におち、白梅そっくりの人形を作らせて国もとに帰ってきた。以来、菅谷は身受けの金を月々貯えては…, 白蛇の滝に行に出かける途中、先生(中村敦夫)が手にした旗竿が超人的な力で何物かに魅きよせられる。旗は樹令数千年という巨木の切り株でピタリと止まった。先生が切株に手をあてると…, 昼あんどんの同心・平山主水(小坂一也)は、絵師の浮世亭(松村彦次郎)を捕えるが、その時から自分の意志に反し、勝手に手が動いて浮世亭の絵とそっくりの悪事を告発する絵を描き出す…, 小料理屋でのけんかをのぞきに行った正十(火野正平)がケガをした。とんできた茶碗が眉間に当たったのだ。居合わせた老人・仁平(岡田英次)に助けられて宿に戻った正十を見て、先生(…, 馬子の孫市(横山あきお)は、関八州見廻り役として安中宿に赴任する途中の山岸友之介が、浪人の黒井軍十郎(清水紘治)に殺されるのを見た。孫市はこの一件を代官所に届けに行くが、そ…, 病床についていた米問屋・越後屋の隠居の藤兵衛(須藤健)が死に、遺言で千両が銭湯で三助をしている朝吉(鶴田忍)に贈られた。藤兵衛には、バクチ狂いの息子の利助(本郷直樹)と、浮…, 評判の絵師・英斎が描いた美人画に異変がおこった。絵の中の芸者・〆香の姿がこつ然と消えたのだ。しかも、英斎と〆香は四日前に心中していた。先生(中村敦夫)は〆香の妹で半玉の胡蝶…, 三年前、何者かに殺された安田一輝が率いていた一輝塾の門下生達は、藩政改革のため、家老の井手陣基を討ちとろうと計画を練っていた。そんな城下町にやってきたおばさん(市原悦子)は…, 一年半前に殺された山番・権八の幼い息子・芳平(松本正樹)は、父の死以来、殺しの犯人を見ると目をまっ赤にして「人殺し」と絶叫するという超能力を持っていた。権八の兄の十手持ち・…, 水飢饉で苦しむ下村は、水門の権利を握る上村との間に争いがたえなかった。そんな矢先、下村の村はずれに住む老婆・常(日高澄子)は、先が二またに分れた占い棒で水脈を探しあて、江戸…, 配信されている動画は放送内容とは一部異なる場合がございます。また、予告なく終了する場合がございます。ご了承ください。. 白川和子ゲスト出演日 dメニューニュースを適切に表示するために、JavaScript設定をONにしてご利用ください。, ピンク映画に出演後、1971年、経営難だった日活が社運をかけて製作した日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』の主演女優に起用された白川和子さん。映画は連日立ち見が出るほどの大ヒットを記録し、“日活ロマンポルノの女王”、“裸のジャンヌダルク”と称され、日活ロマンポルノ界のアイドル的存在となる。, だが、世間の風当たりは強く、防衛庁に勤務する父は辞職を覚悟し、妹は結婚が破談になったという。その後、日活社員と結婚。しかし当時、日活ロマンポルノはダーティーフィルムと呼ばれていたこともあり、団地生活での周囲の主婦たちからの風当たりも強かった。, さらに自身のがん闘病など、さまざまなアクシデントに見舞われながらも女優として活動を続け、今年毎日映画コンクールで「田中絹代賞」を受賞。その白川さんにこれまでの波瀾(はらん)万丈の人生を語ってもらった。, 「『何の話をしているんだろう?何を言っているんだろう?』って思いました。前に日本映画批評家大賞でゴールデングローリー賞をいただいたことがあるんですけど、そんなに賞に執着はないし、ただ好きで映画を撮ってきたということだけだったので。, 一番先に知らせたのは家族。妹と弟がいますから。妹が一番喜んでいました。私が日活ロマンポルノをやっていたから妹は結婚が破談になったりして大変だったんですよね。両親が生きていたら一番喜んでもらえたと思うんですけど、もう亡くなっていますからね。, そして日活時代に一緒に戦った田中真理さんと片桐夕子さんに知らせたんですけど、本当に喜んでくれました。色々なことがありましたからね」, 「そうですね。波瀾万丈でしたけど、自分ではそんな風にはあまり思ってないのね、波瀾万丈とか。多分自分に超えられないものは身にふりかかって来ないと思っているから、今来ている大変さは乗り越えるためのものなんだなという感じで、一つ一つ乗り越えてきましたからね、山を。まだまだですね、今、何合目ぐらいでしょうかね?」, −お父様が防衛庁に勤務されていたそうですが、時代も今と違いますから大変だったのでは?−, 「大変でした。当時、世間は私を責めるよりも家族を責めましたね。特に父は防衛庁を辞めようか悩んでいました。それで母が私と父の間に入ってくれたんですけど、本当にいろんな意味で迷惑をかけてしまいました。私を責めてくれればいいんですけれども、あの当時ですから世間の目も厳しかったし…。本当に私は荒波の中に泥の船にでも乗っていくような感じでした」, 大学時代に小さなプロダクションの社長にスカウトされ、ピンクものを上演している劇団のオーディションに合格した白川さん。入団3カ月目には大きな役も回ってくるようになる。, ちょうどその頃、週刊誌から三島由紀夫さんとの対談とグラビアでヌード写真掲載の話が舞い込む。当時、女子大生が週刊誌のグラビアにヌードで掲載されるということは世間を騒がせることになるのは確実だったため、白川さんはなかなか決断できなかったという。しかし、三島さんに「肉体の美も精神の美も同じものですよ」と励まされて撮影を決断する。そのヌード写真がきっかけでピンク映画から出演オファーが。, 「私は16歳のとき、高校で演劇部に入って初めて見た舞台に市原悦子さんが出られていて、女優になるって決めたんですよ。自分の人生はこれだって。演じることが好きだから、どんなジャンルであれ、カメラの前に立ちたいという思いが強かったんです。演じたいという思いが。それでいつかはきっと市原悦子さんと必ず共演できる日が来ると信じて。, 自分でそういう夢を描いて『今はこういう形で仕事をしているけれど、どんなジャンルでも全部ベストを尽くそう』って全力でやっていました。だから当時はよく『着ていても女優、脱いでいても女優』なんて生意気なことを言っていましたよ(笑)」, −最初にピンク映画に出演されたときはまだ男性経験もなかったそうですが、よく決断されましたね−, 「当時の私は女優としても演技についても貪欲でしたし、映画も体験したいと思っていましたからね。でも性愛シーンなんてどうやったらいいかわからなかったので、監督に言われるまま、額にシワを寄せて、口を開けて…という感じでした。処女喪失のシーンは監督に太ももをつねられたときの顔ですからね(笑)。, そんな感じですからどうしてもコツがつかめなくて、これはもう実地見学しかないと思ったんですよね。それで友だちと一緒に鶯谷にあった連れ込み旅館に行って、壁に耳を当てて盗み聞きをしたりもしましたね(笑)」, 「世間では200本って言っていますけれども、そんなには出てないと思いますよ。数えたことはないですけどね。ただ主役はほとんどやっていないです。脇役だったから何本も掛け持ちができて、いろんな役がやれました。, あの当時のピンク映画は助監督さんが1人だけで、メイクさんもいないし、衣装さんもいなかったんですよ。自分で全部そろえなければいけないし、メイクもヘアも自分でしなければいけないというなかで技術を学んだんですね。全部自前だったので、着物なんて質流れを買いに行ったりしてね。そこですごく私は勉強したという気がします。だから私に付き人さんがいたりとか、ヘアメイクさんやスタイリストさんの方がいるというのは、今でも似合わないんですね(笑)」, ※白川和子プロフィール1947年9月30日生まれ。長崎県出身。大学在学中に劇団「赤と黒」に入団。劇団とは別に5年間で約200本のピンク映画に出演。1971年、日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』の主演女優に抜擢(ばってき)され人気を博す。, 1973年に結婚していったん引退するまでロマンポルノ約20作品に出演。1976年に女優復帰して以降、映画、テレビドラマ、舞台に多数出演。2009年にはお笑い芸人のジジ・ぶぅとコンビを組んでM-1グランプリ(テレビ朝日系)に出場。ワハハ本舗所属。, 1971年、経営難を迎えていた日活は、起死回生をかけてポルノ映画の製作を決断する。この方針には日活社内でも賛否両論に分かれ、辞めていく社員も多かったが、社運をかけたロマンポルノの製作準備は着々と進められ、白川さんにオーディションを受けてみないかという話が舞い込む。, 「最初は何を言っているんだろうって思いました(笑)。当時、ピンク映画はダーティーフィルムと呼ばれていましたから。だからオーディションに行ったとき、私も若かったとはいえ生意気なことを言ったんです。, 私たちは細々とピンク映画をやっていたわけなんですね。それが、撮影所のある大手がやり始めたら、私たちはつぶされちゃうんじゃないかって、『私たちの職場を荒らさないでください』と言いたいことを言って帰って来ました。だから期待はしていなかったのですが、台本を取りに行ったら、主役だったので、ビックリしました」, 「それまでやっていたピンク映画とはくらべものにならない大掛かりなセットに驚かされました。まるでハリウッドみたいだと思いました。衣装さんとメイクさんも何もかもがそろっていましたし。ピンクとロマンポルノはどこが違うんだろうと考えながらも、とにかく女優の底力を見せてやろうと意気込んでいました。, それにいろんな事情で辞めていった人はいるけれども、残っている人たちは『映画の灯を消したくない』と思って頑張っている人たちなんですよ。その残った人たちの思いを肌で感じたんです。みんなの熱い思いだけは自分の中にエネルギーとして秘めて頑張ろうという感じでした」, 日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』は爆発的な大ヒットとなり、連日、立ち見客が出るほどの記録的な興行成績を達成。白川さんの記事が毎日のように男性週刊誌やスポーツ紙を飾るようになり、白川さんがロマンポルノ映画に出演していることを知らなかった父にバレてしまう。, 「激怒した父は『申し訳が立たないから防衛庁を辞める』と言うし、母は『娘がロマンポルノの女優じゃ世間を歩けない』と言っていました。私は芝居をやめるくらいならもう死ぬしかないと思っていたので、父に『今はこの仕事をしているけれど、10年後には必ずお父さんの思う女優さんの仕事ができるように頑張るから10年待ってほしい』と言って、父はもう泣く泣く見て見ぬふりをするという状況でした。, そのとき父に『深みのある人間になれ』って言われたんですね。父が言いたかったことは、人としてまず自分を磨け、そして技を磨け。これが両輪でしょうけど、まず人としてどうあるべきかというのを常々言っていたので、それがやっぱりすごく大きいですね。だからここまで映画に携わって生きてこられたんだと思います」, 1作目の大ヒットで団地妻シリーズは次々と製作され、「和子を出せば必ず当たる」と日活社内で言われるほど主演映画はことごとくヒットを記録。引退するまでの1年半の間に合計20作品に出演した。, −「日活の救世主」「ロマンポルノの女王」「裸のジャンヌダルク」などと称されましたね−, 「そうですね。ただ、私の中では全くないんですけどね。でも、1作目の団地妻を撮って、次の作品になったときにものすごく神経を使いました。男性の欲望の中には『脱がせたい、裸を見てみたい』というのがあるじゃないですか。それを1回見せているわけですから、そこから先をどうやって女優として演じていくかというのが問題でした。, 身一つですからね。衣装を着ていれば、その着ているもので役柄のキャラクターがわかるけど、脱いでしまうと自分のからだひとつでこの女性をどうやって表現しようかって、ものすごく神経を使いました。手の動きだとか…」, 「辞めていった方もいましたし、仕方なくやっているという方もいました。特に相手役の方なんかは仕方なくお仕事としてされている方もいたかもしれませんね。私は独身だったし、若いから『青春だ』なんて思っているけど、相手役の方にはだいたい奥様がいたり、家庭があったり、その中でこの仕事をやっていらっしゃるわけですからね。そういう方には大先輩に対して失礼ですけど、今思えば、いたわりというか、撮影現場がやりやすいようにと考えてやっていたと思います」, 「23歳でした。でも私より大先輩たちじゃないですか。その方たちの中にはやむなくロマンポルノで相手役をされている方もいたと思います。いろんなところの劇団の方がいらして、私よりははるかにお勉強もされているし大先輩なわけですよ。, 私はと言えば高校のときにちょっと演劇部で3年間かじったくらいで、基礎ができていないから、共演させていただいた先輩からはたくさんのことを勉強させていただきました。もちろんスタッフさんからもたくさんのことを教えていただきましたね。私はそこで学ぶしかないって。, だから、自分で言うのもなんですけど『私は職人だったな』って思います。ほかの人の演技を見て。盗むというか、磨くというか…。だから常に私は自分が出ていなくても監督さんの隣にいて、ジーッと周りの方たちが演じるのを見ていました。それしか私には学ぶ方法がなかったんです。養成所も出ていなければ研究所も出ていない。ただピンク映画をやっていた、現場をやっていたというそれしかなかったので」, 「そうですね。大学祭は引っ張りだこでした。時代が時代でしたからね。昭和46年は学生運動があって、最初に行ったのが東北大学だったんですよ。『なんで私たちが国立の大学に呼ばれるんだろう?』って思ったんですけど、楽しかったですよ。, 最後に司会の方に『白川和子さん何か一言』って言われて『日活ロマンポルノを見て平和な社会を築こうよ』って言ったんですよ。そうしたらウケちゃってウケちゃって(笑)。あれはシャレで言ったんですよ。あまりにも殺伐とした時代でしたからね」, 「平和な時代を」と訴えた白川さんだが、プライベートでは波乱の日々が待ち受けていた。次回は人気絶頂での引退、結婚、団地生活で主婦たちから受けた風当たりの強さ、子どもたちとの悪戦苦闘の日々を紹介。(津島令子).
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