筆者の情報公開請求とプレジデント社との共同取材により、自衛隊幹部は公務員の中でも異様な低学歴集団であることが判明した。しかも、それは米軍や韓国軍にも劣るレベルだという。, まず目立つのは大卒の低さである。大卒以上の幹部(尉官以上)は45.9%しか存在しない(2017年10月末時)。大卒率ほぼ100%のキャリアの国家公務員や米軍の現役幹部の83.8%(15年時)と比べると異常な低さだ。, 次に修士以上も酷い状況だ。米軍の現役幹部の41.5%が修士号以上を取得している。しかし、自衛隊幹部は僅か5.02%のみ。特に航空自衛隊幹部は3.64%でしかない(18年4月時)。, そして、注目すべきは高卒の多さである。なんと自衛隊幹部の51%が高卒以下であり、一佐ですら3%の80人が高卒であった(17年10月末時)。中卒の一佐も3人いた。一佐とは、諸官庁では課長級であり、連隊長ともなれば数百~1000人の部下をまとめる職である。, では、なぜそうなってしまうのか。それは自衛隊が第1に、諸外国の軍隊の中でも知性を軽視しているからだ。米軍の場合は基本的に将校は学位を保有せねばならず、保有しない将校でも大尉になれば一定期間までに学位を取らねばならないとなっている。将軍では2つや3つの修士はザラである。自衛隊の場合は、そうした規定もなく、また積極的に国内外の大学に幹部を留学させる仕組みも乏しい。防衛省を含む各省庁のキャリア官僚は、基本的に海外の大学院に留学させるが、自衛隊では非常に限定される。国内の大学院へ行けばはみ出し者扱いされるという。, 第2は、自衛隊の専門知識や学問に対する軽視だ。特に陸上自衛隊では、職場の机の上に書籍(軍事や戦争の専門書でも)を置いているだけで上司からにらまれることが多々あり、検閲の場合は私物として隠さねばならない。業務に直接関係のないものを置くのは美しくないためだ。これでは、自ら外部の教育機関で学ぼうとする意欲を持つ人間はつまはじきにされてしまう。, © 2008-2020 PRESIDENT Inc. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。, 「ハンバーガー1個1060円」シェイクシャックが強気の50円値上げに踏み切れるワケ, 「Google出身で資産は100億円」ビジネス系YouTuberはなぜウソをつき続けられたのか, 「今すぐ10万円損」と「50%の確率で損しないが、50%の確率で今すぐ20万円損」どちらが賢い選択か, 「失職、婚約解消、5年間ひきこもり」将来有望だった28歳会社員を転落させた上司のひとこと, [男を語る腕時計] ものづくりに一家言ある男ならA.ランゲ&ゾーネのアニバーサリー限定モデルを, ▼NO.1 ビジネス誌・プレジデントはこちらをクリック。書店・コンビニでも買えます!. しかし、自衛隊幹部は僅か5.02%のみ。 特に航空自衛隊幹部は3.64%でしかない(18年4月時)。 そして、注目すべきは高卒の多さである。 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年(昭和23年)7月22日 - )は、日本の軍事評論家[1][2]、航空自衛官、政治活動家。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長[3]。, 第29代航空幕僚長、太陽の党代表幹事兼国民運動本部長[4]、次世代の党副代表[5]を歴任。, 福島県郡山市田村町の農村に生まれる[6]。その後地元の中学校をへて福島県立安積高等学校へ進学。1967年(昭和42年)3月、福島県立安積高等学校を卒業。防衛大学校に入校し、1971年(昭和46年)3月に卒業(第15期、電気工学専攻)。, 防衛大学校卒業後、航空自衛官となる。職種は高射運用(地対空ミサイルの指揮)で、操縦士免許はなく(飛行隊隊員歴なし)航空機搭乗員のみ経験。以下の経歴は防衛省人事発令及び関連書籍(防衛年鑑・自衛隊年鑑)より引用。, 「専守防衛(今の法律)では抑止力(思いとどまらせる力)にはならない。」「防御のみを考えていては、防御すること自体が一歩遅れてしまう危険性が有る」と訴えた[27]。, 「警察職務執行法7条を流用した自衛隊法90条」を「国際法を順守する内容」に改正し、「ROE(交戦規定)を明確にすべきだ」と主張している[28]。, 中身(本当の性能)が分からない商品(F-35)を、販売業者の言うがまま買うことに反対し、適正価格で購入する様に要請した[29]。, 2004年9月15日、アパグループの会合「日本を語るワインの会」に航空総隊司令官(当時)として出席[注 1]し、「中国に対抗する勢力を作り、それを中国に認めさせるためには、日本が自立した国となり核武装を行うことが必要なのかもしれない」、「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」と発言[30][注 2]。, 『WiLL』への寄稿では、「NATOの枠組みの中で行われ、NPT体制下でもすでに機能しているニュークリア・シェアリング・システムは、日本の国状にあった方法であり、『核をシェアできないなら、日本は独自で核を持つぞ』とアメリカに迫る交渉カードになる」と論じた[31]。, 2009年8月6日に広島県で開催された講演「ヒロシマの平和を疑う」でも、「核兵器を廃絶しても平和が来るとは思っていないし、核廃絶自体も現実的には困難だと思う。」という認識を示し、「核兵器は非常に悲惨な被害を及ぼす。それゆえ双方が報復を恐れる。核戦争には勝者はいない。つまり核兵器は先制攻撃に適さず、あくまでも報復の恐怖を背景とした抑止の兵器である。」、「日本は核保有を議論する事すら許されないが、3度目の核被害に遭いたくないから核武装をするという論理はおかしくない。当然アメリカや中国は反対するだろうが、それに対し粘り強く交渉し勝ち取っていくのが外交である。」、「核の悲劇を繰り返さないために、日本は核武装すべき」と主張した[32]。, 核兵器禁止条約には「核廃絶は平和ではなく戦争に繋がると主要国の指導者は理解している。核保有国が参加していない以上日本も参加すべきでない」と否定的[33][34]。, 空幕長時代の2007年5月25日の定例会見で、クラスター爆弾は日本の長い海岸線の防御に有効であり、防衛手段として必要と発言。クラスター爆弾は子爆弾を多数含んでいるため、使用後に不発弾として残る事が問題視されているが、「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防御手段をもっておくべきだ」述べた[35][36]。なお日本政府はこれ以降、クラスター爆弾に関する条約を批准するため、2008年11月28日の安全保障会議で自衛隊が保有するすべてのクラスター弾の廃棄を決定した。, 空幕長就任前である2003年7月から2004年9月まで、航空自衛隊の隊内誌『鵬友』[注 3]での連載「航空自衛隊を元気にする10の提言」[注 4]にて、「東京裁判は誤りであった」「南京大虐殺があったと思い込まされている」とする主張を掲載。, 自著『自らの身は顧みず』にて、「私は心底国家国民の将来を思って、問題とされる論文を書いた。今の自虐史観が払拭されなければこの国は駄目になってしまうという危機感を抱いている。しかし私の国家国民への熱い思いへの回答は、私の更迭というものであった。そして保守政党『自由民主党』は、またも保守政党から遠い政党になってしまった。また少し左に寄ってしまった。自民党は、今後さらに強力に村山談話を奉っていくことになるだろう。しかしそれでも私はこの国の将来に希望を捨てていない」と述べた[37]。, 2008年4月17日、自衛隊イラク派遣に際して「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」が起こした訴訟で名古屋高等裁判所(青山邦夫裁判長)が「違憲の確認と派遣の差し止め、及び損害賠償を求める。」と判決を言い渡し、「傍論として武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、日本国憲法第9条に違反する活動を含んでいる。」と指摘[38][39]。, 翌4月18日、田母神航空幕僚長(当時)は記者会見で「判決が現地で活動する隊員に与える影響」を記者から質問され、「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数はそんなの関係ねえという状況だ」と発言[40]。, 4月25日、この発言が国会などで問題視された事を受け、「発言の真意は判決によって自衛隊が直ちに行動できるわけでない、航空自衛隊は国会で決められた法律に基づき、政府の命令で派遣されており、違憲判決で直ちに撤収できるということでなく、あくまで政府の命令で動くという意味で、われわれの行動に関係しない、という意味だった」と説明。その上で、「お笑いタレントと同じような表現となって、不適切だった」と述べた[41]。, 石破茂防衛大臣(当時)は、当時流行していたお笑い芸人小島よしおのギャグを意識して言ったのではないと本人から聞いたということや、会見録からも茶化して言ったという感じではないということを衆議院安全保障委員会で弁解した[42]。, ただし、一種の舌禍事件となったため本人の意図に関係なく「そんなの関係ねえ」との発言のフレーズだけが、その後も多くのマスコミで繰り返し引用され報道された[43]。, 国会でのこの発言に関する質問主意書が提出されたが、政府は、国側勝訴の判決と説明を加えた上で、憲法九条に違反するとの傍論の部分は「判決の結論を導くのに必要のない傍論にすぎず、政府としてこれに従う、従わないという問題は生じないと考え」ており、田母神の発言は「政府と同様のこのような認識に立った上で〔中略〕必ずしも正確な表現ではないが、自らの言葉でこのような発言をしたものと承知している。また、防衛行政については、シビリアン・コントロールの下、法令に基づき、適切に行われている。」と答弁している[44]。, 田母神論文問題による更迭後の2008年12月16日に刊行された自著『自らの身は顧みず』では、「そんなの関係ねえ」発言の意図は笑いを取るつもりであったが、一部のマスコミから「危険人物」と言われてしまったという[45]。また、同年12月21日の名古屋市内での記者会見にて、航空自衛隊イラク派遣部隊の空輸活動が名古屋高裁で違憲とされた事について、「全く関係ねえです」と再び小島よしおのギャグを引用。会見後に行われた講演(日本世論の会愛知県支部主催)の冒頭で、「あの時に『オッパッピー』までやっておけばよかった」と発言[46]。, 2008年11月に第170回国会参議院外交防衛委員会に参考人招致された際、「集団的自衛権を認めるべき」とする改憲論を述べた。質問にたった浅尾慶一郎から「集団的自衛権の行使を認めるべきだという趣旨で書かれたのではないということですか」と問われたのに対し、「特にそこまでは訴えておりません」と述べるも、「国を守ることについて、これほど意見が割れるようなものは直した方がいいと思います」という答弁をしている。, 2009年5月2日に日本青年会議所大分ブロック協議会で開催された護憲派、改憲派[47]による憲法タウンミーティングに改憲派として参加。現行憲法について、「何がやりたいか明確でなく、自分の身も守れない永久子ども憲法だ。今のままでは国益を守れない」、「軍人は好戦的と言われるが、自分の部下を死なせたくないから、戦争には慎重だ」と述べ、「憲法9条に『陸海空軍はこれを保持する』と書いたらいい」と主張した[48]。, 自著『自らの身は顧みず』にて、「日本には反日的言論の自由は無限にある。日本のことをいくらでも悪く言うことができるし、それによって国会が紛糾することもない。一方、親日的言論の自由は極めて制限されている。特に自衛隊に関することと歴史認識については言論が封じられ、言っただけで問題を引き起こす。今回の私の論文がその典型である。問題になるのが分かっていて何故言うのかという疑問があるだろう。それは、問題にしないということは少しずつ反日に同調するということを意味するからだ。これまでの歴史の推移を見れば、それは明らかである。そのとき少し譲歩して収めたとしても、次回はもっとつらくなる。もっと言論が不自由になる。この繰り返しでは日本はやがて崩壊してしまう」と述べている[49]。, また、敵のミサイル基地を攻撃することや、核兵器について、自衛隊に所属していたあいだは議論すること自体が難しいとも感じていたと述べ、攻撃能力や核兵器保有を決定するのは政治であるが、議論することすらも許されないであれば日本は独裁国家と同じであると述べた。, 2008年12月26日号の雑誌フライデーでは「2年前に五百旗頭真防衛大学校長が、新聞紙上で自衛隊のイラク派遣反対の意見や小泉総理(当時)の靖国神社参拝反対の意見を公表しました。防大校長も自衛隊員ですが、その発言の責任を問われる事はありませんでした」と発言した[50]。, また、第7代防衛大学校校長の西原正も在任期間中に小泉首相の私的懇談会「対外関係タスクフォース」に参加しており、当時の五百籏頭真校長も福田内閣の外交政策勉強会、防衛省改革会議に参加するなど政策提言者としての行動を行っている。なお、2004年3月の海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式では石破茂防衛大臣は「自衛官は政治に関与してはならないが、政治に対して関心を持つべきだと私は思う。(略) 専門的な立場で意見を申し述べることは諸官の権利であり、同時に民主主義国家における自衛官の義務だと思っております。」(「文藝春秋」2009年1月号)と述べている[51]。, 2009年8月2日には、幸福実現党の大川きょう子宣伝局長(当時)との対談記事が全面広告として産経新聞に掲載され[52][53]、「日本には軍事に関する言論の自由がない」[52]「国連中心主義はおかしい」[53]等と主張した。なお、選挙期間中に幸福実現党が新聞各紙に掲載した大川隆法による文章では、靖国神社問題と絡めて田母神を擁護する内容もあった[54]。, 2009年2月28日、若宮会講塾主催の講演会「拉致問題と国防」において、「自衛隊を動かしてでも、ぶん殴るぞという姿勢を北朝鮮に見せなければ拉致問題は解決しない」と述べた。講演に先立つ記者会見でも同様の発言をし、「『ぶん殴る』とは具体的には何か」と質問されると、「自衛隊を使って攻撃してでもやるぞという姿勢を出さないと、北朝鮮は動かない」と答えた。, 家族会事務局長(当時)の増元照明、特定失踪者問題調査会代表荒木和博らとのパネルディスカッションでは「よその国の軍と同様に自衛隊が動けていたら、工作船を沈めることができ、拉致被害は相当少なかったと思う」と述べた[55][56]。, この発言に対して北朝鮮の国営通信社「朝鮮中央通信」は、田母神を「日本軍国主義勢力の代弁人を自称し、内外の糾弾にさらされている極悪な右翼反動分子」とし、「反朝鮮対決と戦争の狂信者だけが吐くことのできる許しがたい暴言」、「朝鮮半島をはじめアジアと世界を征服しようとする日本の反動層の再侵略野望が頂点に至っていることを示すもの」、「朝鮮の自主権に対する挑戦、アジアの平和と安全に対する脅威」と非難した[57]。, 2011年7月末に東京都で開かれた「福島支援シンポジウム」にて、「危ない危ないと言われるが、実際そんなに福島の放射線は危なくない。原発の上を飛ぶカラスが落ちましたか。原発近くの海で魚がどんどん浮きましたか。危なくないということがだんだん実証されてきている」と述べた[58]。原発の稼働を巡る論争については、「私は原発推進派。一流の国を目指す上で原発は必要」と主張した[59]。, これらの発言から、原発に批判的な考えを持つ小林よしのりとは対立するに至っている[60]。, 2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた[61]。, グローバルスタンダードに合わせて日本の国内制度を改変することを批判する。特に米国流の内政改革には批判的で、1990年代以降の規制緩和や市場原理主義は経済の長期低迷を招いたと主張する。また、デフレ脱却には従来の規制緩和と緊縮財政ではなく、公共事業を中心とした積極財政に転換することこそが有効であると述べた[62][63]。, 「徴兵制の軍隊は、志願制より弱いのです。志願制で間に合うのであれば、徴兵制は採用すべきではないのです」として徴兵制度には否定的立場をとっている[64]。, 2012年10月16日、沖縄で米軍兵士2人による性的暴行傷害事件に対し「平成7年の女子高生暴行事件も朝の4時だったそうです。朝の4時ごろに街中をうろうろしている女性や女子高生は何をやっていたのでしょうか」と発信し[67]、朝四時なら女性はレイプされても当然なのか、などと非難が殺到。また平成7年の沖縄米兵少女暴行事件被害者は高校生ではなく小学生女児であり、犯行時刻も朝4時ではなく夜8時であると指摘[68]されたが、田母神は今なおツイートを削除していない。, 2008年10月31日、「日本は侵略国家であったのか」という題で、「大東亜戦争は日本の侵略戦争ではなく、蔣介石国民党やアメリカを操ったコミンテルンによる策謀が原因であり、むしろ欧米諸国に侵略されていたアジアの国々の独立の道筋を結果として作り上げた」といった内容の論文を発表。, この論文の主旨が政府見解(村山談話、小泉談話)と明らかに異なる歴史認識と示されるとともに、憲法との関係でも不適切な部分がある、それを外部に発表したこと、自衛隊最上層部への申請なく応募したとして、浜田靖一防衛大臣から航空幕僚長の職を解かれて航空幕僚監部付となったうえで、60歳定年が適用され、同年11月3日をもって自衛隊を定年退官する事態となった[69]。浜田はこれについて、田母神が自ら辞職する意志もなく、また処分手続きに協力する見込みもないことから、田母神の空幕長としての定年である2009年1月21日までに懲戒手続きが終わる見込みがないため、早期に田母神を処分するためであったと説明している[69]。自衛隊員の中には「どこまで制服組の発言が許容されるかのパイオニアになろうと瀬踏みしている印象があった。すごいなと思う」と述べると供に心配の声が上がったという[70]。, 退官行事は行われず、皇居への参内も認められなかった[注 5][71]。幕僚長解任後、退職金約7000万円を受領[72]。浜田靖一防衛大臣から自主返納を促されていた[73]が、田母神は返納しない考えを示した[72]。同年11月11日、参議院外交防衛委員会に参考人として招致され、問題となった論文について民主党(当時)の浅尾慶一郎より質問を受け、論文内容を否定するつもりはないことを改めて強調した[74]。また、同年12月23日に日本会議熊本が主催して熊本市内で行われた「村山談話の撤回を求める熊本県民集会」講演で「制服自衛官の99%が私を支持していると思う」と主張した[75]。12月、防衛省は「文民統制の面から重大」とする報告書をまとめ、当時の人事教育部長らを注意処分とした。, 2009年2月19日、日本の前途と歴史教育を考える議員の会に招かれて自民党本部で行った講演では、改めて自分の正当性を主張。石破茂から「空幕長ともあろう人があんな偏った歴史観では困る」と苦言を呈されたことに触れ「偏っているのはあなただと言いたい」と発言。更迭についても「辞表を書かなかったのは『ごめんなさい』と言いたくなかったからだ。一部調査では6〜7割が私を支持しており、もう少し頑張った方が良かったかもしれない」と強調。出席者からは「そうだ」「興味深い話を聞いた」と賛同の声が上がったという[76]。, 日本テレビが行った電話によるRDD方式[注 6]世論調査では政府の田母神に対する更迭措置に対し、「適切だと思う」が約60%、「適切だと思わない」が約22%と、更迭を肯定する数字が高かった[77]。, ライブドア(リスログ)での投票結果(有効投票数2,000以上)では、約72.4%の支持。Yahoo!アンケートでは58%が田母神論文を支持した[78]。テレビ朝日の「朝まで生テレビ」での視聴者アンケートでは、6割以上が田母神論文を支持。8割以上が「憲法に自衛隊の存在を明記すべきだ」と回答するという結果が出ている[79]。, 懸賞審査委員長を務めた渡部昇一や、西尾幹二などの言論人は『WiLL』誌上などで支持した。また与党の自民党の国防議員の集まりでも田母神を擁護する声が相次いだという[注 7][80]。, また、更迭後は全国の講演で引っ張りだこであったとされ、2009年2月の講演回数は計24回であった[81]。, 自衛官時代から積極的に個人的な持論や主張を発言しており、他の自衛隊員は「どこまで制服組の発言が許容されるかのパイオニアになろうと瀬踏みしている印象があった。すごいなと思う半面、いつか失敗するのではと心配だった」と述べていたという[70]。, 田母神と同様に発言が原因で自衛隊要職を解任された高級幹部に統合幕僚会議議長 (当時) の栗栖弘臣がいる。, 航空自衛隊幹部自衛官のサークル航空自衛隊幹部学校幹部会「鵬友」発行委員が発行する『鵬友』第29巻第6号(平成16年3月号)に寄稿した「航空自衛隊を元気にする10の提言」パートIIの内容で「身内の恥は隠すもの」と記している。, 2009年11月11日、防衛省防衛監察本部は、「真の近現代史観」懸賞論文に航空自衛官97人が応募していた問題について「航空自衛隊が組織的に一民間企業の活動に協力したと見られても仕方なく、行政の中立・公正性の観点で慎重に検討しておらず適切ではない」「航空幕僚監部から数多くの部隊に懸賞論文への応募を促し、第6航空団や航空救難団では組織として、あるいは職務命令により応募させたと考えられるものもある」との監察結果を公表した。, 2014年1月7日、2014年東京都知事選挙に無所属で立候補する意向を固め[87]、衆議院第一議員会館にて出馬会見を行った。会見には石原慎太郎、加瀬英明、すぎやまこういち、中山成彬、西村眞悟らが出席[88][89]。予てから頑張れ日本!全国行動委員会などで運動を共にしていた水島総が選挙対策本部長(=選挙対策本部の責任者)を務め[90]、街頭演説では石原慎太郎、平沼赳夫、デヴィ・スカルノ、百田尚樹、三橋貴明らが応援演説を行った。また、葛城奈海ら女性弁士による応援演説も多く、女性弁士らを「田母神ガールズ」と称する報道もあった[91]。, 都知事選に出馬を要請された時、自前の後援会すら持っていなかった為、水島総が、自ら選挙対策本部長に名乗り出た。田母神は、水島に政治資金の管理(幹事長)から選挙スタッフの募集までの一切を任せていた[99]。, 落選後、「いったん政治の世界に足を踏み入れた以上は、堅気の世界に戻れない」という意思を田母神の都知事選でのたたかいを労う会合で表明[100]。2014年に産経新聞出版から著書『田母神戦争大学』を出版し、また同名の講演を行って、国政政党「日本真正保守党」を立ち上げると公式に宣言した[101][102]。2014年8月25日には、自身の国政進出のプランを記した書籍『田母神新党』をワニブックスより刊行。, 2014年9月25日、西村眞悟と共に当時休眠状態にあった太陽の党に参加。国民運動本部長に就任した[103]。, 同年11月26日、太陽の党は結いの党との合流に否定的な日本維新の会石原グループが結成していた次世代の党に合流し解散。同党の副代表に就任した。, 11月28日次世代の党公認で2014年衆議院議員選挙に東京12区より出馬すると表明[104]。, 12月14日、東京12区は連立与党公明党の太田昭宏国土交通大臣の活動区域であるが、自民党を含む保守層の一部には公明党、並びに支持母体の創価学会に否定的な見方をする者もおり公明党へ対決姿勢を示したが、落選。重複立候補していた比例東京ブロックでは、次世代の党が議席をとれず比例復活もならなかった[105]。, 2015年 2月19日、都知事選選挙対策本部の会計責任者だった50代男性が、田母神の政治資金1億数千万円のうち約3000万円を、私的に使い込んでいたと発表した[106]。, 田母神はこの人物に関し、「男性(会計責任者)は、自衛隊で先輩だった事務局長が連れてきた人間で、信頼し任せっきりになってしまっていた。寄付を頂いた皆さまには申し訳なく、監督責任を感じている」と話した[106]。, 3月10日、警視庁に会計責任者に対する業務上横領罪の告訴状を送付[107][108]。その旨をツイッターで報告した[109]。, 11月27日、資金管理団体に、約5000万円の使途不明があったと報じられた[110]。2014年分の政治資金収支報告書を総務省が公開した[111]。, 2016年3月、都知事選における選対本部長 水島総の告発を受け、東京地方検察庁特別捜査部(以下「東京地検特捜部」)が、政治資金を私的に流用した疑いで田母神の事務所などを捜索した。元選挙対策本部長は「3人が私的に資金を流用していたとする証言がある」と主張。田母神の代理人を務める弁護士は「会計担当者の横領であり、本人も認めている。この会計担当者を刑事告訴するために、使途不明金の内訳を調査している最中だった」と話している [112][108]。, その後の調べで、政治資金収支報告書の記載から関連する3つの政治団体で計約5500万円が「使途不明金」になっていることが判明した[113][114][115]。田母神の代理人弁護士は「3団体の通帳は会計責任者が管理しており、会計責任者が現金を引き出して横領したとみている」と説明している[113][114][115]。, 2014年の東京都知事選の後、選対本部は、慰労金として、少なくとも3人の運動員に現金を配っていたことが判った[116][117]。田母神は事務局長を務めた男性から「選挙の慰労として計2000万円を配ろうと思う」と相談を受けたが、額の大きさから反対した。しかし、その約10日後、現金を受け取った1人から「ありがとうございました」と伝えられた。その時点で現金が配布されたことを知ったという[117]。, 2016年4月14日、都知事選における公職選挙法違反の疑いで東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された[118][25]。, 2017年5月22日、東京地裁にて懲役1年10月、執行猶予5年の有罪判決[119]。7月には元選対事務局長にも懲役2年、執行猶予5年の有罪判決が下された[120]。田母神はその後判決を不服として控訴したが、2018年3月13日、控訴審判決で東京高裁は一審の地裁判決を支持し、控訴は棄却された[121]。田母神はさらに上告したが、同年12月18日、最高裁が上告を棄却し[122]有罪判決が確定した。田母神は判決を「民主主義国でこんな事があっていいのか。司法の闇を見た思い」と批判[123]。, 長嶋茂雄に憧れていて[124]、部下の指導方法として、出来る限り怒らないことを信条としている。怒ってばかりいては、部下が上司の気を使うだけの人間になってしまうと。うるさく指導してばかりでは、部下が落ちこぼれてしまうと[125]。, 漫画やアニメに理解があり、「日本の漫画やアニメは、日本が誇る最強コンテンツ」、「しかし、優れた漫画やアニメをつくるためには、巨額の費用が必要」、「だから国が、資金面で支援を行っていくべきだ」と訴えている[126]。, 落語が好きで、防衛大学校時代は東京・渋谷の東急文化寄席に通った[128]。
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