裁判官は、当時の調査には限界があったと判断した。この判断については、ちょっと趣旨が違うかもしれないけど、刑事事件で証拠品を後世の科学の進歩で再検証出来るよう適正に保管して再検証することで、えん罪を防ぐことに繋がると思う。その時はベストでも、その後の進歩でもっと深く  被害者は本当に酔いつぶれて側溝に落ちていたのか?新たな証拠を裁判所はどう判断するか?振り出しに戻った4度目の再審請求。鹿児島地裁の審理が始まる。 !』がスタート。遂に視聴率で抜かれるようにもなった。, 苦戦の続いたドリフは1975年夏に「夏休み」と称して1ヶ月半活動停止をしメンバーで合宿を敢行。リフレッシュの末、やがて志村が認知され、いよいよ「笑いに関しては素人の集まりでしかなかったドリフだったが、今思えば、この志村だけが、本格的なコメディアンの才能をそなえていたのかもしれない」(『だめだこりゃ』)といかりやが評する志村の才能が開花し始める。, これをきっかけに志村の快進撃が始まった。「ディスコばあちゃん」「ヒゲダンス」「カラスの勝手でしょ」などを次々とヒットさせ、ドリフは再び息を吹き返したのだ。, しかし一方で、この志村のブレイクは、ドリフの笑いそのものを大きく変えることになった。, 前述のとおりこれまでメンバーの「関係性」で笑いを作っていたドリフが、個性と動きで笑わせる志村が主役のキャラクターコントに変わっていった。, 「コント全篇が志村けんのひとり舞台」となり、その中でギャグが展開されていた、と居作は分析する。, 「荒井が抜けたとき、ドリフの笑いの前半は終わったという気がする」といかりやは述懐する。「志村加入以後は、人間関係上のコントというより、ギャグの連発、ギャグの串刺しになっていった」(『だめだこりゃ』)。, そしてこの志村のブレイクはメンバー間の人間関係にも微妙な変化をもたらしてしまった。, ボーヤあがりだったため「おい、志村」などと呼ばれていた志村が、「けんちゃん」「志村くん」と呼び名が変わり、やがて「志村さん」と呼ばれていく。, お笑い芸人として成長し、芸人としての自我と自信を持ち始めた志村と、いかりやとの間に笑いのギャップが生まれるようになってきた。今まで、言われたとおりにやってきた志村が親に反抗するように、いかりやの意見に背くようになっていった。, フジテレビでは『オレたちひょうきん族』が開始され、その勢いが注目され始めた頃だった。, いかりやが「俺はもう疲れた」「まかせるから、そっちで何とかやってくれないか」と告げたのだという。, それを受け居作は、毎週木曜日に行われていた会議からいかりやを休ませることにしたのだ。, 他のメンバーも異存はなかった。しかし、仲本工事だけは「絶対モメると思うよ」「長さんって、そういう人だから」と、反対した。, 「疲れた」と口にするのはいかりやの口癖のようなものだった。疲れているのは解っている、けど、頼れるのは貴方だけだ、そう言われてまた奮起する。それがいかりやにとっては心の拠り所だったのだ。しかし、この時は、額面通りに受け取られ、「休め」と言われてしまう。, 今まで子どものように自分を頼ってきていたメンバーやスタッフから“肩たたき”にあった。, 以降、ドリフのコントは加藤茶と志村けんが中心となって作られていくようになった。ちなみにこの時期からフジテレビで放送されていた『ドリフ大爆笑』でも、「いかりや・仲本・高木」と「志村・加藤」それぞれのコントが多くなり5人揃ったコントがほとんどなくなっていった。, やがて『ひょうきん族』の勢いが加速し、遂に1985年『全員集合』が終了。総集編を挟み、加藤茶、志村けんによる『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が既定路線のようにスタートしていった―――。, もちろんザ・ドリフターズはこの後も活動を続けるが、以前のような結束が戻ることはなく、各自のソロ活動、ユニット活動に移行していった。いかりや長介はその後、子離れするかのごとく、お笑いの世界から離れ、性格俳優として大成していく。, 新しい親としていかりやを選び、芸人として育てられた志村は反抗しながらやがて親を越え、親殺しするかのようにドリフを巣立ち自立した。, そして、その親の果たせなかった意思を継ぐように60歳を越えてもバカをやり続け、生涯お笑い一筋の人生を邁進しているのだ。(初出:「水道橋博士のメルマ旬報」2012年12月25日), 春のGⅠシリーズの幕開けを告げる高松宮記念。今年は観客の声援はなく、GⅠとしては初の無観客競馬となった。前日の夜からレース当日の朝にかけて降った雨の影響が残り、馬場状態は重馬場、時計のかかる馬場でのレースとなった。, 今回は1400mや1600mを中心に使われてきた組も参戦。それらの馬に対してどのような評価を下すのかに注目が集まっていたが、KAIBAの本命はタワーオブロンドン、対抗はダノンスマッシュと1200mでの実績馬を上位に推奨。加えてタワーオブロンドンの鞍上、福永祐一騎手は中京芝1200mで複勝率54.7%という好成績を残していたことも、本命への後押しとなった。, 好スタートを決めてすんなりとハナを奪ったのは、モズスーパーフレア。前半600mを34.2秒という楽なペースでラップを刻んでいく。注目のタワーオブロンドンとダノンスマッシュは中団馬群からレースを進める形となったものの、馬場が合わなかったのか直線では伸びを欠き、それぞれタワーオブロンドンが12着、ダノンスマッシュは10着、残念な結果に終わった。, ゴール前に目を移すと、内で粘るモズスーパーフレアに襲いかかったのは、3番手を追走していたクリノガウディー。そこにダイアトニックとグランアレグリアも加わり、4頭が並んでの大接戦に。写真判定の結果、クリノガウディーが1位入線と電光掲示板に表示されたが、残り100m地点でダイアトニックとモズスーパーフレアの進路が狭くなった事象について審議ランプが点灯。審議の結果、クリノガウディーが2頭の走行を妨害したとして、4着に降着。2位入線だったモズスーパーフレアが繰り上がりで優勝。騎乗した松若風馬騎手とともに、うれしいGⅠ初制覇となった。, 土曜日に阪神競馬場で行われた毎日杯。雨の影響が残り、稍重でのレースとなったが、皐月賞に向けた最終チケットをゲットしたのはどの馬だったのか振り返っていく。KAIBAの本命はアルジャンナ。2走前の東京スポーツ杯2歳Sでは後にホープフルSを勝利するコントレイルの2着という実績があったので、それを重視したのだろうか。, 対抗のサトノインプレッサ以下のストーンリッジ、ダノンアレーまで上位4頭が、過去10年の複勝率で48.1%と好成績を残しているディープインパクト産駒だった。, ペースを握ったのはメイショウラツワン。2番手にアーヴィンド、3番手にダノンアレーと隊列はすんなり決まったが、前半1000mの通過は59.6秒とハイペースでのレースとなった。本命のアルジャンナは6番手、対抗のサトノインプレッサは最後方からレースを進める。, 直線に向いてもメイショウラツワンがリードを保つが、ジワジワとアルジャンナが差を詰める。しかし、そのアルジャンナに一旦は蓋をされた形となったサトノインプレッサが残り200mで進路が開けると楽々と抜け出してゴール。3戦3勝で重賞初制覇を果たした。, アルジャンナは今回も勝ち切れずに2着。3着にはダノンアレーが入り、上位3着までは全てディープインパクト産駒が入線。KAIBAの予想も的中はした。, 41年前、鹿児島県大崎町で義理の弟を殺害した罪などで服役した92歳の女性が、再審=裁判のやり直しを求めているいわゆる「大崎事件」で、女性の弁護団が、無実を示す新たな証拠が見つかったとして、裁判所に4度目の再審の申し立てを行いました。, これを受けて弁護団は30日、鹿児島地方裁判所に4度目となる再審の申し立てを行い、新たな証拠として複数の鑑定書を提出しました。, 鑑定書では、救命救急の医師が遺体の写真を分析した結果、低体温などの影響で腸から大量に出血していたことが確認できたことから、死亡した原因は遺体が見つかる前に起きた自転車の事故だったと結論づけられ、弁護団は「首を絞められて殺害された」とする過去の判決の内容と大きく矛盾するとしています。, 弁護団の鴨志田祐美事務局長は「今回はいちばん強力な新証拠を携えることができた。年齢の問題もあるので充実かつ迅速な審理を求めたい」と話しています。, 無観客で行なわれたチャンピオンズリーグ(CL)のラウンド16第2戦「パリ・サンジェルマン(パリ)対ドルトムント」は、ネイマールとフアン・ベルナトのゴールにより、2−0でパリが勝利。これにより、トータルスコアを3−2としたパリが4シーズンぶりにベスト8進出を果たした。, ボール支配率は50%対50%、シュート数はパリが9本(枠内4本)でドルトムントが12本(枠内2本)、パス本数はパリが519本(成功率87%)でドルトムントが612本(成功率81%)、走行距離ではPSGの108.322kmに対してドルトムントが108.623km。, これらのスタッツが示すとおり、スコアだけを見ればパリの順当勝ちに見えるこの試合は、実は内容的にはほぼ互角の戦いだった。, おそらくその答えは、試合終了と同時に両足を痙攣させてしまったエディンソン・カバーニと、歓喜のあまり涙を流したネイマールの姿に集約できる。, 2トップの1角としてプレーしながらシュートがわずか1本に終わったカバーニではあるが、この試合においては守備面で大きく貢献。ファーストディフェンダーとしてだけでなく、ネイマールが攻め残りする場面では、それによって生まれる中盤のスペースを埋めるという重責を果たしていた。, クラブ歴代トップの200ゴールを記録するカバーニが、チャンピオンズリーグ(CL)のノックアウトステージのようなハイレベルな相手との試合で不可欠な戦力であることを、あらためて証明した格好だ。, 同じくチーム3番目の走行距離(10.47km)をマークしたネイマールも、この試合では普段とは比べものにならないほど、必死になって守備に奔走した。, ネイマールが献身的にディフェンスするたびにベンチから沸いた拍手は、チームをひとつにし、全体の士気を高める効果もあった。そのことは、前半28分のダイビングヘッドで決めた先制ゴール以上に、クローズアップされてしかるべきポイントと言っても過言ではないだろう。, 加入3シーズン目にして初めてCLのノックアウトステージでプレーしたネイマールが、ようやくその存在価値を示したのだから、まさに面目躍如の活躍ぶり。ネイマールの獲得に史上最高額となる2億2000万ユーロ(約290億円)を投資したナーセル・アル=ヘライフィー会長も、ほっと胸を撫で下ろしたことだろう。, つまりこの試合のパリは、第1戦で欠如していたインテンシティと集中力を90分間持続させることができていた。崖っぷちに立たされてようやく目を覚ましたことを称賛すべきではないが、少なくとも今シーズンのパリの試合のなかではベストマッチだったことは確かだ。, そういう意味で、カバーニ、ネイマール、アンヘル・ディ・マリア、パブロ・サラビアのアタッカー4人を同時起用する4−4−2をこの大一番で採用したトーマス・トゥヘル監督の戦術は、ほぼパーフェクトに機能したと言える。, とりわけ、立ち上がりから先制ゴールを挙げるまでの時間帯は前からのプレッシングが見事にハマり、敵陣にドルトムントの11人を封じ込めてほとんどサッカーをさせなかった。, その間に相手ゴールを脅かしたのは25分のカバーニのシュートシーン1回のみだったが、攻撃こそが最大の防御。第1戦で2ゴールを喫したアーリング・ブラウト・ハーランドから2シャドーのジェイドン・サンチョとトルガン・アザールを遠ざけたことで、ドルトムントに攻撃の糸口を与えることはなかった。, もちろん、ハーランドを完璧に封じたマルキーニョスとプレスネル・キンペンベのCBコンビのハイパフォーマンスぶりも、この試合の勝因のひとつだった。故障明けに実戦経験を積めなかったキャプテンのチアゴ・シウバをメンバー外にして、マルキーニョスをCBで起用したトゥヘルの采配が見事に的中したと言える。, 昨シーズンのラウンド16で戦犯となったキンペンベも期待に応え、その時に流した涙を無駄にしなかった。同じことは、トーマス・ムニエの代わりに右SBとして任務を遂行したティロ・ケーラーにも言える。, そのほか、2ゴール目を決めるなどあいかわらずCLの舞台に強いことを証明したベルナトもマン・オブ・ザ・マッチに相応しい活躍を見せ、レアンドロ・パレデスとダブルボランチを組んだイドリッサ・ゲイェもグループステージのレアル・マドリード戦(第1節)以来のパフォーマンスを見せて信用を取り戻すことに成功した。, 体調不良により後半64分から登場したキリアン・エムバペのプレーがトップフォームからほど遠い出来に終わったことは誤算だったが、求めていたものを選手全員が表現してくれた指揮官にとっては、まさに会心の勝利だったに違いない。, 逆に、敗れたドルトムントのリュシアン・ファーブル監督は、プランBを持ち合わせていなかったことが敗因のひとつとなった。, 今シーズンのドルトムントは、4−2−3−1から3−4−2−1に布陣を変更したことが復調のきっかけとなったことは間違いないが、少なくとも1ゴールを決めれば延長戦に持ち込める状況が続いた後半も3バックに固執し続けた点は疑問が残る。エムバペが不振であることが判明した時点で、CBを3枚から2枚に減らして捨て身の攻撃を図る選択も考えられたはずだ。, いずれにしても、押し込まれた後半も最後まで集中力を切らさずにしのぎきったパリは勝者に値した。昨年11月1日の敗戦(対ディジョン)以来、公式戦28試合で唯一喫した第1戦の敗戦で突如その立場を危うくしたトゥヘルも、ひとまず危機を脱出した格好だ。, しかしながら、まだカルロ・アンチェロッティ監督時代とローラン・ブラン監督時代のパリに立ちはだかった4シーズン連続ベスト8の壁を突破したわけではない。ウナイ・エメリ前監督の2シーズンとトゥヘル1年目の昨シーズンまで3度続いたラウンド16の壁を、ようやく突破したにすぎないのである。, 少なくとも欧州制覇を最大のターゲットとするアル=ヘライフィー会長を納得させるためには、トゥヘルはパリが残すCL最高成績のベスト4(1994−1995シーズン)に駒を進める必要があるだろう。, 新型コロナウイルス(COVID-19)の影響により、ラウンド16の4試合を残したところで中断された今シーズンのCL。まだいつ再開されるのか見通しさえつかないのが現状ではあるが、無事再開されたあかつきには、準々決勝以降のパリの戦いぶりに注目が集まる。, 9年前の出来事は人々の記憶に、この国の歴史に残り続ける。そして2020年の同じ日、高校野球史に残る決定が下された。第92回センバツ高校野球大会が史上初の中止となる発表がなされたのだ。出場が決まっていた球児が決定を聞いた後、グラウンドの隅で涙する姿がTVやネット映像で流れ、多くの日本人やスポーツ関係者が胸を打たれた。開幕の約一週間前という直前、しかも想像していた「無観客試合」ではなく「中止」だったからだ。長崎県諫早市の創成館・稙田(わさだ)龍生監督(56)の「見えない敵に負けた」という言葉は、野球やスポーツファンの頭からしばらく離れることはない。, リーグ1部と2部の入れ替え戦が当初は「無観客開催」だったにもかかわらず、突然「中止」となったのだ。しかも、センバツ高校野球と違って、ほとんどのメディアには登場せず、多くの人々は今もこの事態を知らないままでいる。, 今回の入れ替え戦で2部から這い上がってきた1部への挑戦者、北海道旭川市を拠点とする「ヴォレアス北海道」を運営するVOREAS,INC.の代表を務める。, 今回の現状認識を広めるため、また事態打開のため、急遽東京へやってきた池田氏に話を伺ってみた。, ーまず、事実確認をさせて下さい。当初は無観客試合での入れ替え戦が「中止」に至った経緯を教えていただけますでしょうか。, 池田 まず、多くのメディアに注目いただきありがとうございます。ですが、本来はこのような話題で注目されることは本意ではありません。入替戦で今までの積み上げてきたすべての成果を、これまで関わっていただいたすべての方々へご報告したかったんです。, 僕らは本当にバレーボールが好きで、地元の北海道が大好きなんです。大好きなスポーツで、大好きな北海道を盛り上げたい。ただ、ただそれだけなんです。ところが、今回やっとの思いで掴んだ機会が目の前から突然消えてしまった。その事実を一人でも多くの方に知ってもらいたいんです。, トップリーグ連携機構経由での関連省庁からの新型コロナウィルスの注意喚起情報の共有のための通知。, ヴォレアス北海道の最終戦である帯広市でのホームゲームについても、資料通達に沿って、それ以上の感染防止策を社内で独自に協議し、実施計画を作成。, 当時まだ感染経路、予防方法がはっきりしていないと記憶してましたが、選手、スタッフの中で感染者が一人でも出た際に敗戦決定、大会経費の弁済義務、との表記には驚きました。, ※当通達を受けて、チーム練習における一般公開を自粛させていただくよう指示しました。, 練習会場・試合会場を含め、チーム関係者との握手やハイタッチ、写真撮影を行わない旨を発表しました。, ・入替戦の実施要請(とにかくやって欲しい、代案や会場確保に協力する旨のメールを送付、返信なし), 各チームへの一斉メールを受信し、お手元の「緊急理事会での結論について」に記載されている内容を目にしました。, (2)に記載の、「ただし、今後国内での、、、」という一文については、このメールにて知り、すぐに電話にてVリーグに対し、この文章に対する意見を述べさせて頂きました。, その内容は「状況は理解するものの、可能な限りの規模縮小を含めた対応を行い、リスク回避を徹底した上での開催を強く求めること」「当期間に拘らず、万が一の場合には、日程変更等による大会開催の要請」です。こちら返答なし。, その後、3月に入り、大会開催に向けての実務レベルでの各種調整を行いながら、Vリーグとのやり取りがありました。, 事務局長からの電話で、堺市の体育館で開催ができない可能性があり、別の体育館をあたっている旨、1日前倒しての関西圏での開催は可能か、関西圏の全ての体育館をあたっているが、行政としてNGの可能性が高く(実際のアクションについては不明です)、実施が難しい等の説明がありました。早まるのは正直困るが、中止を避けられるならやって欲しい、フライト変更など実務含めこちらも確認しますとの連絡。, 再度の電話にて、3/14-15にての開催は不可、実施なしにする意向である旨の連絡をもらいました。, 早いタイミングでのプレスリリースを望んでいる様子でありましたが、ヴォレアス北海道の意向を汲まないままの発表は控えて頂きたい旨、再度協議するお時間が欲しい旨を伝え、早急に面会を依頼。最短で10日(火)に面会可能との連絡がありましたが、週明け月曜日に再度協議させて欲しいと依頼。要望書の提出を考えている旨も伝えました。, 代表の池田、降旗GMとも協議をして、いずれにせよ月曜日の朝の便で訪問しようと話して上京を決めました。, 10:30 Vリーグからの一斉メールにより、12:00にプレスリリースをする旨の連絡がありました。, 11:30 都内にあるVリーグ機構事務所に訪問し、事務局長に対しリリースストップの要請および再度の協議を依頼, 周辺4自治体の市・町長、北海道・旭川バレーボール協会連名の緊急要望書の深夜に提出。, 理事会決定事項とし、中止の方針から変わらず。※一部、救済措置については再考の余地有としながらも、私達からの提案が前提であり、理事会提案の権限は無く、その前段階、運営会議で理事会決議事項とするまでのプロセスを想定すると現実的にはかなり厳しい状況である。, ーこの流れを聞くと、中止のプロセスや正式な理事会決定ではないのではと疑問に思いましたが。それで記者会見や多くの関係者から声が上がっているのですね。, 池田 おっしゃる通りなんです。中止へのプロセスの不透明さと十分なコミュニケーションがない中で、決定が下されたことには懐疑的にならざるを得ません。, 今回のような不測の事態に適用される緊急時対策規程では、関係者及び、有識者からの情報収集をする事と中止の試合に関しては原則再試合の考えが定められているにも関わらず、先ほどご説明したとおり、延期や実施に向けた我々からの提案や意見(2/27付)に対し、リーグからは一切返信がありませんでした。そうした中、3月6日の13時半ころ突如として「大阪でのチャレンジマッチ開催が危ぶまれている状況であること」「代案として1日前倒しをしての神戸での開催を検討していること」の連絡が入りました。, 航空機の手配変更という重大な調整を含む判断となるため「状況を確認して報告すること」「延期という判断がなく、この案を受け入れない場合に中止決定となる可能性があるならば、何が何でも参加できるよう調整する旨」「早計な中止決定をしないでいただきたいという改めての要望」を伝え電話終了。調整の最中であった17時半ころ再度電話がありチャレンジマッチを中止にするという連絡がリーグから入りました。わずか4時間程度です。, この決定事項に対し再度我々と協議して頂くために、3/7土にアポイントの相談し、3/10火であれば時間が取れるとのお約束を頂いたにも関わらず、3/9月の12:00にリーグから全国に向けて中止のリリースが流されたわけです。このような点から、リーグによるクラブとの議論やコミュニケーションのあり方に疑問を抱かざるを得ない状況です。, また、中止の決定については2月28日緊急理事会決定事項としながらも、その後の判断が代表理事会長に一任されたという議決に関する連絡もリーグからは一切聞かされていません。もちろん、緊急時対策規程第2条(2)には、「緊急協議」が「天災地変やその他の理由により構成員の参集か、困難な場合は、電話等の代替方法により議論を行い、代表理事会長が最終判断を行う」とあります。しかし、この最終判断を認否するのは第4条(2)にあるとおり緊急理事会です。第7条(4)にも「開催が不可能と判断される場合は、理事会の決定により大会の打ち切りを行う」と記載されております。, 何より、2月28日緊急理事会決定の但し書き部分に対しては緊急理事会終了後の電話報告の際には知らされず、各チームへの一斉メールにて書面確認をした際に初めて知ったりしました。その直後に内容について我々ヴォレアスが再考を強く求めていること、また、2月27日に送付したメール内容が他の理事の皆さんに伝わった上でそれらを理事会で検討してくれたのかどうかについて全く明らかになっていません。また、まだこの時点では、大相撲やプロ野球のように、感染予防策を撤退した上での無観客試合といった方法も検討・実施されていたので、チャレンジマッチもそれらに倣う形で開催を検討する余地が大いにあったと思っています。, もちろん、コロナ対応で難しい判断をしなくてはいけない事は重々承知しています。だからこそ慎重なプロセスを経て、例えばJリーグやBリーグなど他リーグのように、リーグとしてチームとファンの為に、クラブとのコミュニケーションを大事にして欲しかったと思っております。, 池田 我々の要望書に対する返答に対しても、中止の理由に移動等による感染のリスクが書かれてありますが、そこまでの厳戒体制の姿勢をとるのであれば、他チームの練習などに対してもNBAのように中止にすべきでは?と思うのです。Vリーグ公式SNSでも各チームの練習の様子をシェア、RTされており、なんとも言えないところです。, 4月以降の戦力を確保出来ない為と記載がありますが、こちらについても根拠が不明なんです。リーグでは選手の契約期間に関しては特に定めが無く、仮に4月に定めた際にチームから意見があって議論される点かと思います。仮にどちらかの意見が反映されていたとするならば、我々にはそういったコミュニケーションはなく、疑問です。, 池田 2月28日の緊急理事会決定事項にリーグ打切り理由として、3月末に天皇杯(日本バレーボール協会主催試合)がある為、日程が確保出来ないと記載があります。しかし、大会開催期間内での再試合(今シーズンですと3月15日まで)が難しいと記載があります。つまり、原則、全ての試合を大会開催期間内としながらも、中断したリーグ戦の再開については大会開催期間外での試合延期を検討している事を示唆していますが、チャレンジマッチについては開催期間内を中止理由の一つにしており、こちらも疑問が残ります。, 3月末に行われる天皇杯(日本バレーボール協会主催試合)を中止にした(3月2日付)事も理由にあげられておりますが、こちらに関してはトーナメントであり男女合わせて48ものチームが同一会場に集まりますので、比較対象にはならないと考えます。, ちなみにVリーグ規約第9条「V1の資格要件」では、原則Vリーグ機構が主催するチャレンジマッチ(入れ替え戦)によって判定する。ただし、チャレンジマッチによらない場合は過去2シーズンのV2における成績が優勝又は準優勝である事を必要条件とする。とされており、2.28緊急理事会での決定にも、チャレンジマッチを中止とした場合の入替を行わないとした理由根拠が不明です。, 池田 そうなんです。私達は過去のシーズンにおいて3部リーグで連続優勝、今シーズンも19勝1敗(首位との直接対決を残し、僅差2位でリーグ打切り)という成績です。V1必要条件のS1ライセンスも取得しており、検討の余地があるのではと考えます。規約によるとV1の参加資格を問う規程は9条しかなく、更にチャレンジマッチの位置付けもあくまで競技力の担保の根拠としており、チャレンジマッチが絶対の昇格条件となっておりません。但し書き以下ではチャレンジマッチを行わない場合は、過去2シーズンのV2での成績が優勝又は準優勝を必要要件としております。解釈論ですが、この2シーズンのV2での成績の根拠は競技力の担保の理由としての要件ですから、必ずしも2シーズンの成績が共に優勝、準優勝が条件ではないと考えます。必須条件であればこのような表記ではないと思いますし、実際にもこの条件以下のV1昇格昇格の実例もありますし、当時も理事会決議事項としているはずです。とすると、絶対条件ではない事が実例から解釈できます。また、V1リーグが10チームで行う旨の規約もありません。, 2月20日の通達では選手、スタッフのうち一人でも新型コロナウィルスに感染した事実が発覚した場合、無条件の敗退、試合経費の弁済など非常に重いペナルティーが提示されております。これは試合中止時の規約を参考にしていると思われますが、2月20日当時は新型コロナウイルスの対策や傾向についてまだまだ不明確な不測の事態にも関わらず、この様な重いペナルティーが設定されている事自体に不信感を持っている人もいます。, 規約に基づいて、解釈しているつもりですがやはり今回の決定に関しては疑問が残ります。, 池田 我々の要望書に対してリーグより救済措置(11チームでのV1リーグ)に値する特段の合理的理由を提示するよう回答がありましたので、その資料を作成しつつ、現在のV1リーグの会場確保に支障が出ないようあらゆる可能性を見越した対戦表の作成、チームへのヒアリング等、できる限りの時間を費やしてます。ですが、ほとんど対戦カードが決まっている状況からの変更は正直、良い反応はありません。また、要望書に賛同していただいた関係各所へのお礼と状況の説明、再開を願い活動を続けるチーム、スタッフを鼓舞しつつ、お問合せ、取材していただいた各メディア様への対応、スポーツ関連有識者への相談等の活動をしております。, また、パートナー企業のサツドラホールディングスの富山社長が発起人となり、詳細説明と中止撤回のデジタル署名を開始していただいており、既にウェブでの署名にもかかわらず2,500人以上の実名での署名が集まっていると聞いております。以下のような取り組みなのです。, 「バレーボール、2019-20 V・チャレンジマッチ中止決定の撤回及び詳細説明を求めたい」というものですが、ご興味ある方はぜひ一度クリックしてみて下さい。, 池田 今日現在も増え続けています。また「こういう時こそ地域の為に明るいニュースが必要、スポーツの力とはそういう事だ。」と言って下さった松岡・東川町長、「あらゆる協力を惜しまない」と言って下さった鷹栖町・谷町長、「必要であれば共にリーグへ一緒に出向きます」と言ってくださった比布町・村中町長、本当にこういった賛同者には感謝してもしきれません。, ー最後に池田さんからバレーボールファンに、スポーツファンに、多くの人たちにメッセージを頂けませんでしょうか。, 池田 私たちはバレーボールをプレイすること、そして見てもらうことが仕事です。もちろん、その大前提に命のリスクがあってはいけないとも強く思っています。, しかしながら、そのリスクを0にする事は出来ません。であるならば、延期を含め限りなく0に近い状態を考えて前に進むしかないと思います。現在の世界情勢を考えると、結果論としては確かに近日中での試合の実施については難しいのかもしれません。ですが、開催に向け当事者で考え抜くこと、それもやむなしの中止であれば何らかの救済を検討していただくこと、もう一度、当時の状況での判断について再考することは、ファンファースト、興行化を進める今後のバレーボール界において必要不可欠だと思っています。, 私たちはこの様な状況だからこそ、スポーツの力で少しでも明るい話題を提供すること、特に新型コロナウィルスの現状や対策で大変な思いをしている地元の北海道のために、今後も継続してそのような役目を担える努力を続けて参りますので、今後ともご支援、ご声援のほど宜しくお願い致します。最後まで私のお話を聞いて下さり、本当に感謝しております。ありがとうございます。, 以上、ここまでの経緯の事実確認もあり長い記事となったが、静かに語る池田氏と裏腹にその胸の内に流れる熱いものが伝わるものであった。, ここ数年、国内のNF(中央競技団体)の不祥事などが続き、コンプライアンスやガバナンスが日本のスポーツ界でも問われてきたが、今回のVリーグの出来事の本質はどこにあるのだろうか。, このインタビューの後だが、3月27日バスケットボール男子・Bリーグは新型コロナウイルスの感染拡大を受け、残りの今季レギュラーシーズンや年間王者を決めるチャンピオンシップ、1部のB1と2部のB2の入れ替え戦など全試合を中止すると発表した。優勝チームは今シーズンはなく、各地区の順位も確定することとなった。また、東京オリンピック・パラリンピックは正式に延期が決まった。, 同じアリーナスポーツとして、ここ数年バスケットボールとの差が生まれた感のあるバレーボールのリーグ運営。とはいえ、集団球技において男女とも五輪で金メダルを獲得した栄光の歴史を持つバレーボール。その復活は意外にもこういった国内リーグの運営が鍵を握っているのかもしれない。果たして、今回の問題はどのような解決を経ていくのだろうか。, 「なるようになるさ」と、将来のことなどほとんど何も考えずとも就職、結婚ができ、家庭を築いて、やって来られたのは昭和期。「なるようにはならないな」と気づかされ、経済、社会、家庭不安にさらされ、やって来られなくなった人が増えたのが平成の30年間だ◆そしていま、長き老後をどうお金をやり繰りし、生きるかが大きなテーマになった。仕事は選ばなければ、70歳でもそれを超えてもある。しかし、人生を仕事(たとえ好きな仕事であっても)だけで終えては、やはり潤いや豊かさに欠ける。残りの歳月を考えたとき、どこかで仕事を打ち切り、老後を楽しみたいもの◆定年後のいい生き方を説く楠木新さんの新刊『定年後のお金』(中公新書)を読むと、定年まで勤め上げた人は老後不安におびえることなく、自分のやりたいこと(趣味、地域活動、ボランティア、学び直しなど)にお金を使うべきだ、とのアドバイスである◆仕事以外のもう一人の自分を見つけ、自分なりの世界を持つ人は、必要以上の物欲がなく、お金をうまく使っている。老後資金は一定程度あればいい、もっと老後を楽しみなさい、と述べている。, 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、大相撲春場所は史上初めて無観客で開催された。ファンが観戦できなかっただけでなく、力士もさまざまな制約を受けた15日間。厳戒態勢を敷いたことで、なんとか無事に乗り切った。一方、バスケットボール男子のBリーグは無観客で開催したが、選手らの不安の声がより高まったことで、今季の残り日程を全て中止するという事態に。結果は対照的ながら、どちらも無観客での開催の難しさが浮き彫りとなった。, 八角理事長(元横綱北勝海)が感極まったように声を詰まらせた。初めての無観客開催となった大相撲春場所を締めくくる協会あいさつ。「千秋楽にあたり、謹んでごあいさつ申し上げます。本日…」。口元を引き締めて黙り込み、手元の紙に向けていた視線を無人の館内へ。ファンや関係者に感謝する言葉を継ぐのに、10秒ほどの間を要した。, 多くのスポーツが中止や延期を強いられる中、初日1週間前の3月1日に無観客での開催を決めた。初日のあいさつで神事としての大相撲の成り立ちを説明した八角理事長は「無観客でも平安を祈願してやる覚悟があった。国民を代表して平安を祈る、まさしくそれが大相撲の役割だと思っている」と明かす。, 危急の時期に、大相撲だからできることがある。信念に基づいて中止を避けた。一方で安全はもちろん何よりも優先される。力士ら協会員に新型コロナウイルスの感染者が出た場合はすぐに中止する方針で臨んだ15日間は、異例ずくめの厳戒態勢だった。, 力士らの移動は電車やバスなど公共交通機関を避けて全員がタクシーなどを利用。費用はすべて協会が負担した。朝夕2度の検温が義務付けられ、37・5度以上が2日続いた場合は休場させると決めた。40度近い熱が続いて途中休場した幕内の千代丸は、場所中にPCR検査も受けた。結果は陰性。感染者が出れば中止という緊張感で張り詰めていた関係者全員が胸をなで下ろした。, 不要な外出は禁じられ、会場のアリーナに来る以外は宿舎で過ごすしかない。会場に一度入ると再入場ができないため、関取衆の付け人を務める若い力士の中には朝から夕方までアリーナにとどまらざるを得ないケースも。力士が少ない片男波部屋の玉鷲が付け人が足りずに自分で荷物を持って帰るなど、普段の場所では見られない光景も多かった。, 行司や呼び出しなどを含めて各部署から代表者を集めた「無観客開催運営プロジェクトチーム」をつくり、連日会議を開いて運営面の問題をささいな点まで話し合い、情報を共有した。関取衆からは「夜も毎日親方と食事なので気持ちが休まらない」「スマートフォンを見るしかやることがない」とこぼす声も聞こえたが、危機感は大相撲に携わる誰もがともにしていた。, 結果的に千秋楽までを無事に乗り切った。朝乃山の大関昇進という明るい話題も、場所を開いたからこそ。静かな土俵で戦った力士からは、普段は当たり前に感じている声援に感謝する声が多く上がった。ファンのありがたみがあらためて実感させられる場所でもあった。 (海老名徳馬), 無観客開催となった大相撲春場所で土俵入りする幕内力士=8日、エディオンアリーナ大阪で, 約1カ月ぶりに試合ができた喜びよりも、戸惑いが大きかったのだろう。14日、バスケットボールBリーグ1部(B1)の千葉−宇都宮。無観客で実施された試合後、日本代表の司令塔、千葉の富樫勇樹は複雑な表情を浮かべていた。, 1試合平均の観客動員数がリーグトップの千葉。本拠地の船橋市総合体育館で行われたこの日の試合は、5000人を超えるファンが訪れるはずだった。フリースローがネットを揺らす音が響き、淡々と試合が進む異様な雰囲気。宇都宮の比江島慎は「声援があってこそ試合は成立する。大勢が見てくれていた方がモチベーションは上がるので、試合への気持ちの持っていき方は難しかった」と吐露した。, 当時、既にプロ野球の開幕延期が決まり、選抜高校野球大会は中止の判断が下されていた。その中で無観客での開催を選んだBリーグ。だが、再開初日の14日にはB1北海道の3選手が体調不良を訴えて川崎−北海道が、15日は審判の発熱で千葉−宇都宮がいずれも中止に。「日本を元気づけたい」という理念のもと、再開に踏み切った決断は裏目に出た。, 富樫以外にも疑問の声を上げる関係者は少なくなかった。千葉の大野篤史ヘッドコーチは「選手同士のコンタクト(接触)が多く、汗も飛ぶスポーツ。(感染を危惧する)こちらの思いをくんでほしい」と訴え、北海道の折茂武彦は「この状況で試合をやることに本当に意味があるのかと思う」と首をかしげた。17日に開かれた臨時実行委員会で再度の中断を決定。それでも不安はぬぐいきれず、一部の海外選手が帰国や退団する事態に発展した。, リーグは27日、今季の残り全試合の中止を発表し、シーズンは閉幕した。選手や関係者の安全は確保できることになったが、プロリーグであるゆえに興行でもある試合の中止は各チームにとって収入面で大きな打撃となる。順調にファンの裾野を広げ、4季目で訪れた初めてとも言える試練。大河正明チェアマンは「日本のプロバスケットボール界を発展させていくべき立場としても、バスケットボールを愛する一人の人間としても非常につらい決断になった」と話した。(中川耕平), 27日発売の写真誌「FRIDAY」で未成年との“ラブホ飲酒”を報じられたSnow Manのリーダー、岩本照(ひかる、26)が一定期間芸能活動を自粛すると29日深夜、ジャニーズ事務所の公式サイトで発表された。1月22日にCDデビューしたばかりで復帰時期は未定。事務所は「新型コロナウイルスの影響により不安定な情勢の中、申し訳ございません」と陳謝した。グループ活動は残りのメンバー8人で継続する。, デビュー曲をミリオンヒットさせたSnow Manのリーダーが、デビューからわずか2カ月で表舞台からしばらく姿を消す。, ジャニーズ事務所は29日深夜に公式サイトで、岩本の芸能活動自粛を発表。再開の時期は未定で、「自分の立場や環境に対する理解を深めることによって、社会人として信頼していただくことができる人間へと成長できるよう、努めてまいります」と説明した。, 27日発売の「FRIDAY」によると、岩本はJr.時代の2017年11月、東京・渋谷にあるラブホテルの一室で行われた男女5人ずつの飲み会に参加。女性側には未成年が3人いたが、岩本はその事実を知りつつ気にしていなかったという。, 中国、タクラマカン砂漠のロバ。一般にロバはスピードや敏捷性と結び付けられることは少ないが、かつて驢鞠(Lvju)というポロの一種で使われていたようだ。(PHOTOGRAPH BY TOMMY HEINRICH, NAT GEO IMAGE COLLECTION), ポロは「王たちのスポーツ」と呼ばれる。馬に乗った出場者がチームを組み、球を打ってゴールに入れるこの競技は、刺激的な娯楽として何世紀にもわたり王侯貴族たちを楽しませてきた。, しかし、ポロを愛好する資産家たちは、必ずしも馬に乗っていたわけではない。最新の研究により、古代中国の貴族の女性はロバにまたがってポロを楽しんでいたらしいことが分かった。その熱中ぶりは、大切にしていた「愛馬」たちと共に葬られるほどだった。(参考記事:「生きたロバをトラの餌に、動画が炎上、問題点は」), このほど、中国と米国の研究者たちが、考古学の学術誌「Antiquity」の最新号でこの発見を報告した。「驢鞠(Lvju)」と呼ばれた、ロバによるポロが行われていたという初めての物的証拠だ。ロバによるポロに関しては、当時の文献や絵画には記録されていたが、これまで考古学的な資料が確認されたことはなかった。(参考記事:「中国でロバ皮ブーム、アフリカで密輸が急増」), ポロは、中央アジアの遊牧民の間で生まれた馬上の遊びから発達したと考えられている。約2400年前の中国には、ポロの原形が存在したことが考古学的証拠から分かっているが、この競技が大きな盛り上がりを見せたのは、その1000年後の唐(紀元618~907年)の時代だった。(参考記事:「ウマの驚きの事実が続々発覚、大規模ゲノム研究で」), 馬を使ったポロの記録は、唐の美術や文学作品において数多く見られる。また、唐代の墓には、霊廟の壁画や陶磁器の小像など、ポロに関わる遺物や美術品が多い。だが、この時代を専門とする学者たちは、ずっと不思議に思っていることがあった。古代のポロを描いた中に、馬ではなくロバと思われる動物が、競技場で驢鞠と呼ばれる競技を繰り広げる姿があるのだ。, ロバをかたどった唐代の小像。(PHOTOGRAPH COURTESY T. WANG), 「中国の絵画には女性を描いた例がたくさんあります。高い地位にあると思われる女性たちが、ロバに乗ってポロに興じているのです」と話すのは、米国フロリダ州にあるポロ博物館の広報担当、ブレンダ・リン氏だ。, 今回、唐代にロバを使ったポロが行われていたという初の考古学的証拠が見つかったのは、中国の西安で878年に亡くなった貴族の女性、崔氏の墓だ。近年になって考古学者が墓を開けたところ、埋葬から現在までの間に盗掘に遭っていた。, 貴重な物はほとんど盗み出されていたが、石の碑文や鉛のあぶみ、そして一見価値のなさそうなさまざまな動物の骨など、残っている物もあった。ミトコンドリアDNA解析から、崔氏と共に埋葬された動物たちのうち、少なくとも3体はロバだと判明した。(参考記事:「中国 死者の世界」), このロバは荷を運ぶ役目だったのか、それともポロに使われていたのか。解明のため、研究チームは骨を分析した。まず放射性炭素年代測定法で、ロバは崔氏と一緒に埋葬されており、後の盗掘者が置いていったのではないことが確認された。さらに同位体分析で、キビなどの雑穀と思われる植物を豊富に与えられていたことが分かった。, 古代エジプト、共和制ローマ、漢などの世界を変えた強国から、カルタゴ、クレタ、オルメカなどの謎が残る文明まで、古代世界の勢力の変遷や時間の流れを視覚的に理解できる!, HEDGE GUIDE 編集部 仮想通貨チームは、仮想通貨投資やブロックチェーンなどフィンテックに知見が深い編集部メンバーが、仮想通貨に関する最新ニュースやコラム、仮想通貨に関する基礎知識を初心者向けにわかりやすく解説しています。/未来がもっと楽しみになる金融メディア「HEDGE GUIDE」, 原口アヤ子さん(92)は、41年前の昭和54年、鹿児島県大崎町で義理の弟を殺害したとして懲役10年の刑が確定し、服役しましたが、一貫して無実を訴えていて、3度目の再審請求では、地裁と高裁で再審が認められましたが、最高裁でその決定が取り消される異例の経緯をたどりました。.

将棋 形勢判断 ai盛岡 マイルチャンピオンシップ コース

コウノドリ 梅毒 何巻, 南浦和中学校 サッカー部 いじめ, ウイニングポスト 92014, 謎の魚 なんj, 星野源 曲, クエーカー 日本, サリオス 次走 ダービー, 天皇賞秋 予想オッズ, サムスン 株主構成 みずほ, アメリカ 人口 グラフ,