Shinji Ono. 小野伸二. プロサッカー選手 . トレーニングに合流。「シンジ」の愛称でチームに親しまれる小野選手に新天地での心境を伺った。, 太陽がジリジリと照りつける、夏到来を思わせる正午過ぎ。トレーニングを終えた小野選手は、やや緊張気味の編集員を笑顔で迎え入れてくれた。来豪から明日で, 年)、そして浦和レッズのキャンプで訪れたことがあり、いずれも今日のような気候であったことを思い出すという。, 分、小野選手が途中出場すると、この瞬間を待ちわびた1万468人の観客から大声援が起きた。オーストラリアで初めて正式なサッカーの試合が行われた土地、パラマタに、新たな歴史が刻みこまれた。, の小野伸二選手獲得には、ポポビッチ監督の後押しがあった。技術はもちろん、世界の大舞台でプレイした経験、そしてプロ意識。これらすべてがチーム全体にとってよい影響をもたらすだろうと考えたからだ。, 日も経っていないですし、フルで試合に出場していないので、なんとも言えないのですが、どんどんやっていくうちに、それを日課にできたらと思っています。, リーグを盛り上げるメンバーのひとりとして加入した元イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロ選手が在籍する。, 日のトレーニングの方が大変と感じます。試合は試合で、また前日、当日にならないとモチベーションが違うと思うので。しかし偉大な選手と戦えるのは、僕だけでなく、他の選手にも刺激になるので、楽しみですね。, 。結成されたばかりのチームには計り知れないポテンシャルがあるが、そこに経験豊富な小野選手が加わることで、化学反応が起こることは間違いないだろう。, に移籍。ボールコントロールの正確さから、「ボールと会話できる選手」とも呼ばれている。. 小野 伸二. Copyright © 2019 Japanese + Entertainment Paper Cheers. アクセス数:742. オーストラリア人が作った小野伸二のファンムービーが感動的でカッコイイ 現地のオーストラリア人によって制作された動画で、小野選手へのリスペクトとファン愛が感じられる素晴らしい動画です。 オーストラリアAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに所属する小野伸二選手は、ホームにブリスベン・ロアーを迎え、自身のホームでの最後のリーグ戦となる試合を終えた。小野伸二はサポーターに残留を望まれながらもチームを退団する。, ゴール裏のサポーター席には、小野の似顔絵が入った大きな弾幕と、日本語で「ありがとう」と書かれたメッセージフラッグが掲げられ、試合会場では、小野伸二の5000枚のお面が観客に配られた。, 小野の背番号21と同じ前半21分には、試合中にもかかわらず小野選手に感謝を告げるための花火と紙ふぶきが巻き起こる。後半終了間際に途中交代しピッチを後にする際には、スタンディングオベーションと拍手に包まれた。, Aリーグで、小野選手が試合で活躍する度に実況は「genius(天才)」と叫び、ネットのコメントにはそのまま「TENSAI」という言葉が使われた。, オーストラリアのサッカープロリーグであるAリーグが誕生したのは2004年のことだ。その頃のオーストラリアのメジャースポーツといえば、クリケットにラグビーそして水泳。サッカーは決して人気のあるスポーツではなかった。, しかしAリーグの誕生をきっかけに、少しずつではあるがサッカーの人気度は上がっていく。2006年にAFC(アジアサッカー連盟)にオーストラリアが加盟したことで、よりレベルの高いアジアのクラブチームと、あるいはこれまでは、大陸間プレーオフで勝ち上がることでしか得られなかったワールドカップ本大会への出場権を掴むきっかけが得ることができた。そして見事にオーストラリアはW杯アジア予選を勝ち抜きワールドカップ出場を果たす。, 2012年には、Aリーグをさらに盛り上げるために、マーキープレーヤーシステムを利用してデル・ピエロやへスキーと言った、海外から知名度のある有名選手を相次いでAリーグに呼び寄せる。小野伸二もその一人だった。, マーキープレーヤーシステムとは、Aリーグが規定しているサラリーキャップ(チーム全員の年俸合計がA$210万以下にならなければならない)という制度の制約を受けずに、高額な年俸設定をした選手でも起用できるようにした仕組みのことで、集客力向上を目的としている。, 小野が加入したウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCは、2012年に創設したばかりという若いチームだった。それにもかかわらず、小野選手を中心としたチームはリーグ戦で勝ち点を積み重ね、リーグ参入初年度にもかかわらずレギュラーシーズンで優勝という結果を果たす。, 小野選手は、見事にマーキープレーヤーの役割を果たしたのだ。ネット上では、Aリーグサポーターによる以下のようなコメントが見ることができる。, 「マーキープレーヤー中で最も起用で成功したのは小野選手であり、小野選手が抜けた後に別のマーキープレーヤーが来たとしても、小野選手ほどの役割は期待できないだろう。」, かつて1993年にJリーグが発足し、ジーコやレオナルド、ドゥンガにストイコビッチなどといった有名で技術があり成熟した選手を加入させることで、Jリーグの促進や日本サッカーの技術基盤を創っていったように、Aリーグが今、その軌跡をなぞっているように思えてならない。, 今からさらに10年後、Aリーグ出身の欧州で活躍する選手が登場してくることだろう。そのとき、オーストラリアのサッカーファンにとって小野選手は、Aリーグの基盤を作った人物の一人だと認識されているに違いない。僕たちにとってのジーコのように。, シドニー・ワンダラーズFCやAリーグの他のチームが、アジアチャンピオンズリーグを舞台として、小野選手が所属するコンサドーレ札幌と対戦し、見事に打ち勝つことが、小野選手への恩返しとなるだろう。, ブラウザゲーム「escape from XP」でWinsows XPにさよならを告げよう。. 2006年にオーストラリアにプロリーグであるaリーグが誕生し、 今シーズンは、観客動員数、テレビ視聴率は過去最高となったそうです。 その原動力となっているのが、今シーズン海外から移籍してきた、小野伸二、デル・ピエロ、ヘスキーの3選手です。 生年月日 : 1979/9/27: 身長/体重: 175/74: 出生地 ※ 静岡県: Jリーグ初出場: 1998/3/21: Jリーグ初得点: 1998/3/25: 日本代表 出場試合数: 56回 ※外国籍選手は国籍 HomeGrown=ホームグロウン選手 (ホームグロウン制度とは) 前所属チーム. Shinji ONO. 1979年生まれ。静岡県出身。fc琉球所属。 浦和レッズ、フェイエノールト(オランダ)、ボーフム(ドイツ)、清水エスパルス、wsw(オーストラリア)、北海道コンサドーレ札幌で活躍。ワールドカップには3大会連続出場。 今さらだが小野伸二に対する海外からの評価が素晴らしすぎる! - サッカーおもしろネタ、ブンデスリーガ、プレミアリーグ、選手紹介、香川真司を中心に自由にいろいろな記事を書いております。 ホテル隔離の海外帰国者に新陽性者増加. 今沢サッカースポーツ少年団-今沢中-清水商 … All Rights Reserved. 1979年生まれ。静岡県出身。fc琉球所属。 浦和レッズ、フェイエノールト(オランダ)、ボーフム(ドイツ)、清水エスパルス、wsw(オーストラリア)、北海道コンサドーレ札幌で活躍。ワールドカップには3大会連続出場。 「ありがとう、小野伸二、そして、さようなら。」 オーストラリアAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズfcに所属する小野伸二選手は、ホームにブリスベン・ロアーを迎え、自身のホームでの最後のリーグ戦となる試合を終えた。 小野伸二の圧倒的な「存在感」と「人間力」 2012年12月7日 ... 「オーストラリアを不寛容な国のように思わせる」 アクセス数:938 【今さら聞けない経済学】生き返ったケインズ理論. 太陽がジリジリと照りつける、夏到来を思わせる正午過ぎ。トレーニングを終えた小野選手は、やや緊張気味の編集員を笑顔で迎え入れてくれた。来豪から明日で10日目を迎えるが、シドニーの生活には慣れたのだろうか。, 心地よくやっています。困ることもないですし、特に不便なこともありません。そして何より天気がいいですね。, 「暖かくてトレーニングにはありがたい」と語る小野選手にとって、シドニーはこれで3度目。過去にはアジアチャンピオンズリーグ(2007年)、そして浦和レッズのキャンプで訪れたことがあり、いずれも今日のような気候であったことを思い出すという。, 来豪からわずか5日でA-リーグ開幕戦を迎えた10月6日。相手は昨年の王者、セントラルコースト・マリナーズ。59分、小野選手が途中出場すると、この瞬間を待ちわびた1万468人の観客から大声援が起きた。オーストラリアで初めて正式なサッカーの試合が行われた土地、パラマタに、新たな歴史が刻みこまれた。, やっぱりこのチームの一員になれたんだな、そう率直に思いました。天気が悪い中、来てくれて本当にうれしかったです。でもちょっとスター扱いでこのチームに入ったので、そういった意味では変なプレイは見せられないですし、毎試合が僕にとって試練だと感じています。変なプレッシャーとは捉えず、よい方向に持っていけたらと思っています。, 途中出場のさいには、ポポビッチ監督と念入りに話す姿が見られ、コートに入るやいなや、自ら積極的にチームメイトに声をかけるシーンが多く見られた。, 細かい指示ではありませんでしたが、トップ下で攻撃にうまく絡むような形を作るように、自分の思いを伝えました。, 去年の優勝チームに互角以上の戦いができたと思うし、新しくできたチームにしては準備ができていたと思います。みんな自分の持っているものを出し切ろうという思いが非常に強く、諦めない気持ちがひとり一人強い。やっぱりみんなタフだな。あとは練習ですね。みんなと連携を深め、お互いが気づいたことをどんどん話しあえば、もっと強くなると思います。, WSWの小野伸二選手獲得には、ポポビッチ監督の後押しがあった。技術はもちろん、世界の大舞台でプレイした経験、そしてプロ意識。これらすべてがチーム全体にとってよい影響をもたらすだろうと考えたからだ。, 実際にそれができているかは、まだ来豪から10日も経っていないですし、フルで試合に出場していないので、なんとも言えないのですが、どんどんやっていくうちに、それを日課にできたらと思っています。, そう意気込む小野選手は、トレーニング後、チームがフィールドを去った後もひとり残り、ポポビッチ監督と念入りにクリップボードを見ながら話し込む姿があった。ウェスタンシドニーの期待を背負う小野選手、そしてそれを全面にバックアップするポポビッチ監督。ふたりの間には何か強い絆、信頼関係が感じとられた。海外での生活が長いだけあって、英語を流暢に話せるミッドフィルダーは、チームにもうまくとけ込んでいるようだ。, とまどいがない訳ではないですが、ある程度のことは理解できていると思いますし、伝えたいことは、伝わるよう努力しています。伝わっているかは分かりませんが…。, 「努力」。この言葉は小野選手にとってとてもふさわしい言葉だ。サッカーがうまくなりという一心で、練習を日々怠ることなく続けた少年時代。2001年に移籍したオランダ(フェイエノールト)では、『2001年、最もオランダ語が上達した外国人』に選ばれた。そして今回シドニーへ発ったさいも、周りに頼らず、できることは自分で調べ、自分でやりたい、そういう思いが強かった。インタビューの後には自ら調べあげ、不動産屋とアポをとった物件のインスペクションにひとりで行くという。, トップレベルのスポーツ選手にとって食生活は大変重要なこと。新天地での食生活について聞いてみた。, まだホテル住まいなので、近所をふらっと歩いて食べています。イタリアンやタイ料理など。パラマタには日本食がありませんね。でも外食は思っていたより高いイメージです。ウェイトが激しく変動しないように、体調を崩さないようにはしていますが、それを毎回気にしながら食事をすることはありません。, 10月20日には大注目の第3試合、シドニーFC戦が、WSWの本拠地、パラマタスタジアムで開催される。シドニーFCには、小野選手とともに、今季A-リーグを盛り上げるメンバーのひとりとして加入した元イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロ選手が在籍する。, 試合の準備面から見ると、自分を出し続けないといけない1日1日のトレーニングの方が大変と感じます。試合は試合で、また前日、当日にならないとモチベーションが違うと思うので。しかし偉大な選手と戦えるのは、僕だけでなく、他の選手にも刺激になるので、楽しみですね。, オーストラリアのサッカー事情をさらに向上させたい、そんな思いで結成されたWSW。結成されたばかりのチームには計り知れないポテンシャルがあるが、そこに経験豊富な小野選手が加わることで、化学反応が起こることは間違いないだろう。, 少しでもここで長くプレイできるように、1試合でも1秒でも長くプレイできるように、やっていければと思っています。, 日本と違って不便に感じること、大変と思うことはたくさんあると思うけど、ひとつ一つ乗り越えて行けたらいいです。苦労は得てして幸せなことなんだと思うんです。苦労という与えられた環境からどう成長するかが重要。課題を与えられることは、個人の捕らえ方次第だけど、幸せなことなんじゃないかって思います。, シドニーでサッカー人生の新たな幕を開けた小野伸二選手。彼の輝かしい姿を見に、ぜひ試合に足を運んでいただきたい。, 静岡県出身。33歳。小学生時代から天才サッカー少年として知られ、13歳でU-16日本代表に初選出される。その後も各年代の代表チームで中心的存在として活躍し、98年には清水商業高校から浦和レッズに入団、合計9得点をあげ、新人王とJリーグベスト11を受賞。同年、フランスワールドカップに最年少出場を果たす。01年、オランダ・フェイエノールトに移籍し、1年目から中心選手として活躍。同年、日韓ワールドカップに選出され、ベスト16に貢献する。06年、浦和レッズに復帰し、チームを天皇杯優勝へと導く。08年、ドイツ・ボーフムに移籍。10年、地元清水エスパルスに移籍し、ベテランメンバーとしてチームをまとめる。2012年9月28日、今季より参入が決まったウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍。ボールコントロールの正確さから、「ボールと会話できる選手」とも呼ばれている。, ウエスタンシドニー・ワンダラーズで2年間活躍し、レジェンドの名を残して、オーストラリアを去った小野伸二選手が、次のステージに選んだ札幌の地に足を踏み入れた。, 14日のサンフレッチェ戦を見事勝利で飾り、オーストラリアでは初の快挙となるACL準々決勝へと駒を進めたWSW。最高のプレゼントをチームに残して日本帰国をすることとなった小野は、6月半ばから新天地コンサドーレ札幌に合流する。小野のラストゲームを御覧ください。, AFCチャンピオンズリーグと平行して過酷なスケジュールをこなしてきたリーグ戦終盤ではあったが、蓋を開けてみれば2位通過でファイナルシリーズに駒を進めることができたWSW。しかしファイナルシリーズを迎える前に4月15日のAFCアウェイ戦、22日のAFCホーム戦の試合が残っているため余談を許さない状況が続く。そしてAFCホーム戦の3日後から、いよいよファイナルシリーズへと突入。小野のプレーをオーストラリアで見ることができるのも、残すところAFCを含めてあと3試合のみとなった。小野が移籍した昨シーズンは、リーグ, AFCチャンピオンズリーグ(以下ACL)が開幕し、未経験の過密スケジュールで乱調気味と言わざるを得なかったWSW。3試合連続での黒星から迎えた、3月12日のACL、貴州人和(中国)とのアウェイ戦を何とか勝利で収めることができ、復活の兆しを見せつつある。今後、小野のプレーを見ることができるのは、3月14日時点でリーグでは24節を含め、残り4試合のみ。このまま2位をキープしてファイナルシリーズに突入することに期待したい。.