最強のライバル関係を描く上で、森監督がキーワードとしたのが「孤独」だと言う。「天才性のある2人。天才とそこに及ばない人の差とはなんなのかと考えた時に、『いかに孤独に耐えうるか』ということだと思いました」。劇中では、彼らが盤を挟んで向き合う姿とともに、定食屋で一緒に笑顔で食事をするシーンも。「孤独な2人の魂が、盤面と、定食屋で少しでも交わるということを描きたかったんです」。 孤高の天才・羽生善治と村山聖が結んだ「特別な関係」。「会いたい」と思い合った知られざる絆とは?. 広告掲載│ 羽生善治さんと言えば、将棋界で最も有名と言ってもいい棋士です。 その強さは史上最強ではないかとも言われ、これまでに数々の名勝負を繰り広げてきました。 そんな羽生善治さんですが、天才の中の天才というだけあっておもしろいエピソードがたくさんあるのをご存知でしょうか。 大崎のノンフィクション小説をもとに、病と闘いながら、将棋の道をまっしぐらに駆け抜けた村山聖の実話を描く本作。村山役を松山ケンイチ、羽生役を東出昌大が演じる。 村山聖と羽生善治。将棋界の伝説とも言える村山聖と羽生善治のエピソードを名言とともにご紹介します。将棋界になくてはならない村山聖と羽生善治。どんなエピソードがあり、どんな名言が残されているのでしょうか。将棋ブームの今こそ知りたい伝説です。, ここ最近、藤井聡太四段の活躍で空前の将棋ブームとなっています。天才とも言われる藤井聡太四段。その対戦成績は伝説に残りそうな勢いですが、実は藤井聡太四段の前にも伝説となり、天才と呼ばれたプロの棋士がいたことをご存知でしょうか。その棋士の名前は村山聖。村山聖を主役にした映画も公開されましたので、村山聖の名前を知っている人も多いのではないでしょうか。村山聖は羽生善治のライバルと呼ばれた人物です。今回は、そんなプロ棋士村山聖と羽生善治の名言やエピソードなどをご紹介していきます。村山聖にも羽生善治にも、伝説的な名言やエピソード、対局などがあったのです。, 伝説のプロ棋士である村山聖は昭和44年に誕生しました。しかし、わずか5歳の頃にネフローゼ症候群であると判明するのです。この病気は腎臓の病で、難病に指定されているものだったのです。そのため、病院で過ごすことが多かった村山聖。将棋と出会ったのは、そんな入院生活の中でのことだったようです。将棋と出会った村山聖は、将棋の魅力にあっという間にとりつかれます。体に障ると言われても、朝から夜までずっと将棋に夢中になっていたのです。, 出典: http://dekigoto-tanoshii.blog.so-net.ne.jp, 将棋の世界では、師匠が必要となってくるようです。村山聖の両親が息子のために師匠探しを始めるものの、まだ早いと言われてしまいます。しかし、村山聖は難病を抱えているのです。そのことを思った両親は必死に師匠を探し、やがて森信雄と出会います。森信雄と出会った村山聖は1986年にプロ棋士としてデビューをするのです。, 天才プロ棋士と言えば羽生善治ではないでしょうか。羽生善治の名前は将棋に興味がない人でも知っているという人が多いかと思います。羽生善治は将棋の世界にある7つのタイトルをすべて持っているというまさに天才プロ棋士なのです。こんな天才プロ棋士がいると、ライバルなんて存在しないのでは、と思われがちですが、実は羽生善治の世代にはトップレベルの天才プロ棋士たちが多いのだとか。天才が生まれる世代。そんなものがあるのかもしれませんね。, 羽生善治は、他のライバルたちが思いもしない方法で対局に勝つことがあるのだそうです。将棋を知らない人たちにとってみれば、決まりきった手段しかないのではないかと思われる将棋の対局ですが、プロのライバル棋士たちでも考えつかないような対局とはどのようなものなのでしょうね。羽生善治のそんな手段を「羽生マジック」と呼んでいたときもあるのだそうです。それほど珍しい対局なのかもしれませんね。, 映画では村山聖のライバル役として羽生善治が登場しています。演じたのは東出昌大。この東出昌大の映画での姿が羽生善治そのものだと、かなりの話題になりました。東出昌大は羽生善治の対局を熱心に勉強したのかもしれませんね。画像を比べてみると東出昌大と羽生善治の姿がそっくりなので驚かされます。, 村山聖vs羽生善治といえば、当時から何かと話題にされるライバル同士だったようです。西の村山聖、東の羽生善治とも言われていたのだそう。何かとライバル視される二人。年齢も近かった二人。村山聖vs羽生善治をライバルとして話題にすることで、将棋界を活性化させたかったのかもしれませんね。年齢は羽生善治のほうが1歳下のようですが、将棋界に先に入ったのは羽生善治。羽生善治がプロの棋士としてデビューをし、その次の年には村山聖も四段昇段したのだそうです。村山聖vs羽生善治の対局はライバル対局として、注目されたのかもしれませんね。, 村山聖vs羽生善治と騒がれる二人。しかし、そこまで会った回数が多いわけではないのだそう。実はこの村山聖vs羽生善治という対局は公式戦では14対局ほどしか行われていないのだそうです。ライバルとライバルと持て囃されていた二人ですが、村山聖vs羽生善治の対局が思ったより少なかったのは意外ですね。段位も、村山聖は入退院が多く不戦敗の試合がおおかったようです。それもあり羽生善治のほうが段もリードしていたようですね。, 対局自体はさほど多くなかったようですが、二人のエピソードはいくつか残されています。二人がじっくりと話をしたときのエピソードをご紹介しましょう。羽生善治が村山聖とゆっくり話をしたのは、羽生善治が対局で関西を訪れたときだったようです。3日の関西滞在の間、1日だけ時間のあった羽生善治は、村山聖のもとを訪れます。そのとき、村山聖は羽生善治と食事をしたようです。どちらが食事に誘ったのでしょうか。年上の羽生善治か、それとも・・・?二人はそこで食事しながら語り合ったのでしょうか。棋士二人の会食と聞くと、将棋について語り合ったエピソードなどが残っていそうですが、実はこのとき二人が話したのは映画の話などだったようです。対局を離れると将棋の話をしないのでしょうか。なんとも天才らしいエピソードですね。, プロ棋士になると、扇子などのグッズが売り出されます。このときに、扇子にはその棋士が書いた言葉も印字されているようです。藤井聡太四段も書かれた言葉がテレビで紹介されていましたね。, 村山聖は名言と呼ばれる言葉を、いくつか残しています「将棋は頭の良し悪しを競うものではない。心の強さを競うものだ」将棋は、頭がいい人がするゲーム。そんなイメージがある私たちにとって、驚かされる名言でもありますね。多くの集中力を必要とする将棋。確かに、この名言のとおり、心が強くないと負けてしまうのかもしれませんね。, 羽生善治は名言集という本まで出されています。常にトップを走る天才だからこそ、1つ1つの言葉が名言として残されるのかもしれませんね。「追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。」まさに天才と呼ばれる人の名言と言えるのではないでしょうか。言葉に重みがありますね, 現在でも、藤井聡太四段の食事が「勝負メシ」などと言われ、騒がれていますね。藤井聡太四段が食べた食事は、通常の何倍もの売り上げになるのだとか。対戦成績だけでなく、食事まで注目されてしまうのですね。, 勝負メシと呼べるのかわかりませんが、村山聖が気に入っていた食事があるようです。そのお店は関西将棋会館の近くにある食堂なのだとか。羽生善治を行きつけの食堂に連れて行ったというエピソードもある村山聖。もしかしたら、このお店につれていったのかもしれませんね。村山聖のお気に入りは焼き魚定食だったようですよ。, 羽生善治は、対局のある場所によってオーダーする食事が違うようです。この場所に来たら、この食事というものがあるのかもしれませんね。ホテルニューアワジで行われた対局のときは、きつねうどんをいつもオーダーしているようです。もしかしたら、対戦成績によってオーダーするものを変えているのかもしれません。対戦成績が良ければ、同じものを、対戦成績が悪ければ違うものをオーダーするというようにしているのでしょうか。, 対局中の食事は、出前が普通のようです。きっと主催しているところから費用は出るのだろうと思っていましたが、なんと棋士の自腹のようです。ここでお弁当などを持参する人はいないのでしょうか。お弁当持参の棋士がいたら、対戦成績もですがお弁当の中身も注目されてしまいそうですね。, 最近の将棋ブームは驚くものがあります。将棋会館は子供たちで溢れ、注目の棋士が遊んだというオモチャは飛ぶように売れるのです。地味なイメージのある将棋界からすれば、この人気は歓迎するべきものなのかもしれませんね。, 村山聖と羽生善治は、映画化されたことで再度注目されるようになりました。今の将棋だけではなく、少し前の将棋界についてもスポットが当たる機会になりましたね。, 実は名言のほかに将棋界には「終盤は村山に聞け」という言葉があったのだそうです。皆がこの対局は「詰む」と予想している中、一人だけ「詰まない」という予想をした村山聖。結局、このときの対局は村山聖の予想通りになったのだそうです。それ以来、先々を見通せるのは村山聖だという意味を込めてこう呼ばれるようになったようですね。, では、結局二人の対戦成績はどうだったのでしょうか。村山聖の6勝7敗。あと一戦交えていたらイーブンになっていたかもしれませんね。この二人は本当にいいライバルだったのではないでしょうか。, いかがでしたか?今回は村山聖と羽生善治の名言やエピソードについてご紹介してきました。100年に1人の逸材と呼ばれた二人。一人は29歳という若さでこの世を去り、一人は史上初の7冠を達成し現在でもトップに君臨しています。村山聖が存命であれば、将棋界はもっと盛り上がっていたかもしれませんね。, 将棋『村山聖 vs 羽生善治』ライバル同士の感動エピソードまとめ。名言ありのページです。Cosmic[コズミック]はファッション・カルチャー・芸能エンタメ・ライフスタイル・社会の情報を発信するメディアです。大人へ向けた記事をまとめて読むことができるWebマガジンを無料で購読いただけます。, http://dekigoto-tanoshii.blog.so-net.ne.jp. プライバシーポリシー│ 映画では松山と東出が、その特別な関係性を体現。森監督は、「のり移り方がすごかった」と“憑依”したようだったと述懐する。「松山くんが劇中でしていたネクタイは村山さんの遺品だし、東出くんのかけているメガネは、羽生さんが7冠を獲った当時のもの。本人が一緒に戦ってきたものと役作りできるというのは、フィクションとはまた違った“のり移り方”があった。精神的にもグッと本人になっていったと思います」。 天才・羽生善治のすごさを100個の伝説的エピソードでまとめてみた【決定版】 『いろは坂事件』羽生善治、佐藤康光、森内俊之の将棋界の珍事まとめ 羽生 善治(はぶ よしはる、1970年〈昭和45年〉9月27日 - )は、日本の将棋 棋士。 永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の称号資格保持者、および名誉nhk杯選手権者の称号保持者 。 二上達也九段門下。 棋士番号は175。 専門誌「将棋世界」編集長時代に生前の村山と交流のあった大崎は、実際の2人の関係性について「本当に尊敬し合っていた」と話す。「村山くんが亡くなった次の日に、羽生さんは(村山のいた)広島まで飛んでいるんです。密葬ということだったので、会えなくても、玄関払いでもいいから行きたいと。村山くんも羽生さんが大好きでね。亡くなる寸前に、村山くんは『どうしても羽生さんに会いたい』と病院を抜け出して、羽生さんのいる広島の解説場まで出向いているんです」。 利用規約│ 羽生善治六冠「あっ、あいています」、郷田真隆五段「行きます」 2020/11/02; 棋士の「どんな縁起をかつぎますか?」 2020/11/01; 羽生善治六冠(当時)「三浦君とは初対局になりますが、行方君のような特殊な雰囲気はない正統派だと思いますね」 2020/10/31 Copyright © MOVIE WALKER Co., Ltd. All Rights Reserved. 羽生善治が初デートでとった『まさかの行動』が話題に 「最高すぎる」「いいエピソード! 12月21日(土)11時27分 grape 夫である 羽生善治 さんやペットのウサギについてTwitterに投稿している、元女優の羽生理恵(@usaginoheso)さん。 村山聖と羽生善治。将棋界の伝説とも言える村山聖と羽生善治のエピソードを名言とともにご紹介します。将棋界になくてはならない村山聖と羽生善治。どんなエピソードがあり、どんな名言が残されているのでしょうか。将棋ブームの今こそ知りたい伝説です。 さらに大崎は「孤独だけれど、お互いに自分のことを知り合えるただ1人の人だと思っていたのでは。羽生さんは孤高のタイプだけれど、村山くんとは心が通じ合っていたと思う。いまだに羽生さんは、村山聖様宛で年賀状を出しているそうです」と彼らの固い絆について、じっくりと語る。