1 : 風吹けば名無し 2013/02/19(火) 16:39:49.87 ID:XGre+YgC ジャップ(1945)「耐え難きを耐え」 なぜなのか 2 : 風吹けば名無し 2013/02/19(火) 16:40:25.32 ID:yITgE4UD … All rights reserved. アメリカ「ロシアに原爆の威力見せつけたろ!(これ以上犠牲者を出さないためにとった苦渋の選択だった)」, プライベートジャイアンでもアメカス投降兵士思いっきりコロコロしてたしそんなもんやろ, けどこんな戦車が日本に上陸して戦ってたかもしれんと考えるともうちょっと頑張って欲しかったなと思ったりもする, ベトナムやイラクのアメリカ軍の悪行はさんざん知ってるのに第二次大戦の時のアメリカ軍は人道的だったとは思えん無い, 第二次世界大戦なんてぶっちゃけメインストリームは独ソ戦で欧州戦線や太平洋戦線なんておまけみたいなもんやで, ネトウヨは日本がアメリカにはめられたとか騒いでるけどアメリカは日米交渉中に軍事予算削減してるからな, 拷問は助かろうと思って適当なこと抜かすアホがおるから効果的やないと判断されたみたいやで, ソ連がドイツ兵捕虜をシベリアで裸で生活させて、寒さを凌ぐ穴は自分で掘らせつつたまに水かけていじめてたみたいな話聞いたけどマジなんかな, 大脱走見てる限りナチスの捕虜に対する扱いはめっちゃ寛大にみえるけど史実でもあんなんやったんか?, ナチスの教義では東欧・ロシア人はアジアの毒液を欧州にまきちらす野蛮なけだものやからね, よく聞くゴボウ食わせたら「ファ!?根っこ食わされるやんけいじめや!」ってなったのはマジなん, ワイ日本史嫌いで正しいか不安なんやが真珠湾攻撃で開戦宣言聞かずに攻撃したのってなんでなん?, まあでも名将比較だとプロイセン伝統の将校団を有するドイツに分があるのは間違いないやろうな, 機動防御はソ連の攻勢軸を完全に読み切るという離れ業が必須だしなおかつ広範な戦線で攻勢がはじまったら防ぎようがない, ぶっちゃけ独ソ戦はまだやり方によっては勝てた可能性がある戦争やけど太平洋戦争は3万回繰り返しても絶対勝てない戦争やからどうすれば勝てたとか話してても虚しくなるだけなんだよなぁ, 日本陸軍はガイジで蛮族のイメージがあるのに日本海軍はエリートで高潔なイメージがあるよね, 攻防両面の輸送作戦に無知で、情報能力の欠陥は絶望的である。戦略・輸送・情報にこれほど極端な欠陥を持つ軍隊は戦史上でも稀有な例である。, 米兵「戦争は終わったぞ~日本に帰してやるから出てこ~い」日本兵「ウソや!出ていったら殺される!」, http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1486792798/, なんJ民「ちな武士の家系」「ワイは旧華族」「豪商」「大地主なおGHQに土地取り上げられたもよう」 , 3018年古文「クソワロタ」「あガガイのガイw」「草」「あぁ^~」受験生「・・・」, ドイツを打ち破ったのはアメリカではなくソ連。アメリカ人でも未だにアメリカがドイツを倒したと思っている奴が居る。, 貧乏が悪いから戦争をして暴走しても良かったじゃなくて、貧乏なら裕福になればよかっただけの話なんだけどそれが難しかったんだろな, スレのコメントの軽さを見てると実際あったと言うよりなんかTVのなかのことみたいに話すね 戦争を軽く見てるみたいでムカつく こんな奴らばっかなら 爆弾落とされてしまえと思う なぜこんな人ばかりなの? みんな気持ち悪い, >>82のビラは原爆投下後に撒かれたことがわかっているって長崎の原爆資料館に書かれてたぞ, アメリカも日本人捕虜は拷問加えた上での虐殺しまくりだぞ。リンドバーグが日本人への虐殺を記録に残している。また日本人の耳を切り取りネックレスにしたり、日本人の頭蓋骨でトロフィーを作ったりと動物扱い。, 捕虜の割合が低いのは餓死・戦病死が大半だから。投降する体力もなく死に絶えた兵士の割合が多いだけでアメリカ兵が殺したわけではない。むしろアメリカ軍は日本軍よりも日本兵に対して人道的。レイテ作戦に参加した日本兵30万は9割近く戦死(ほぼ餓死)したがアメリカの捕虜になった27万人のうち死んだのは10%未満。, 原子爆弾だから原爆だろう?下に建っていたのが産業奨励館。後の原爆ドームね。ちなみに、本当の炸裂地点の真下は島外科。. 日本の大学の学長で、もっとも活発に執筆活動も続けているのが学習院大学の井上寿一さんだ。専門は日本政治外交史。この数年を振り返っても、『第一次世界大戦と日本』(講談社現代新書)、『終戦後史 1945-1955』(講談社選書メチエ)、『昭和の戦争 日記で読む戦前日本』(講談社現代新書)、『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(講談社現代新書)、『機密費外交 なぜ日中戦争は避けられなかったのか』(講談社現代新書)など毎年のように内容の濃い新書を出している。, 『戦争調査会』と『機密費外交』はすでにBOOKウォッチで紹介している。いずれも先の戦争に関して、あまり知られていないことを掘り起こした労作だった。, 最新刊が本書『論点別 昭和史 戦争への道』 (講談社現代新書)だ。昭和の戦争と社会を理解するための10の謎に迫る!というキャッチフレーズがついている。以下の10の論点についてコンパクトに検証している。, この中で、おそらく最も読者の関心が高いのは、最後に登場する「アジア――侵略か解放か?」だろう。昭和の戦争をどう見るか。その根幹になる大テーマだ。, 名称を「大東亜戦争」とする人々は「解放論者」、「アジア太平洋戦争」と呼ぶ人はおおむね「侵略論者」と区分けされてきた。, もっとも、この問題は、すでに政治レベルでは決着がついているといえる。先ごろ亡くなった中曽根康弘氏は1983年、国会答弁で首相として初めて「侵略戦争」を認めている。その後の「村山首相談話」や「小泉首相談話」でも、このスタンスが継承されてきた。中曽根氏はその後も、「紛れも無い侵略戦争だった」「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」と繰り返している。読売新聞の渡邉恒雄主筆も、同紙の「検証 戦争責任」で、日本は「満州侵略」からスタートし、「日中戦争、日米戦争へと、破滅への戦争を拡大させ、四五年の敗戦に至った」と先の戦争の大きな流れを総括している。, しかし、国内の右派の中には今も根強く「解放論」がある。本書によれば、戦後最も早く「解放論」を展開したのは作家の林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」だという。1963年から2年間にわたって雑誌「中央公論」で連載された。これに異論を唱えたのが、特攻隊体験もある哲学者の上山春平氏。64年3月号の「中央公論」で、「植民地解放戦争と見るよりは、むしろ植民地再編成をめざす戦争と見るほうが、事実に即している」と批判した。林・上山論争はやがて忘れられたが、似たような論争は繰り返されている。, 90年代に入ると、作家の深田祐介が『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』(91年)を出した。43年11月に開催された「大東亜会議」は、大東亜共栄圏内の戦争協力体制の強化を目的としたものだった。タイ、フィリピン、ビルマ、中国南京政府、満州国、自由インド仮政府の代表者が東京に集まった。深田の本の帯の惹句によれば、「欧米植民地主義からの解放をうたった史上初のアジア・サミット」だった。準備の過程では、会議参加国から戦争協力を調達する代わりに、独立を付与することが検討されていた。, しかし、深田自身が、大東亜会議の理念とフィリピンの現実との「眼も眩むほどのギャップ」を作中人物に語らせている。, 米国の歴史家ジョン・W・ダワーはすでに87年、『人種偏見――太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』(TBSブリタニカ)で、大東亜共栄圏における「アジア人隷属」の例を挙げていた。第一は「露骨な人種主義」。日本兵による些細なことに対するビンタ、罵倒、暴行。第二は「日本化」の押し付け。日本式のお辞儀や宮中遙拝、カレンダーでの皇紀表記の強制。第三は日本語の「共通語」化。これが「大東亜共栄圏」の現実だった。, 井上さんは、96年に出版された波多野澄雄氏の『太平洋戦争とアジア外交』を高く評価する。戦時外交を主題とするもっとも包括的でわずかな隙もない史料実証性に富む研究書だという。そこにはこんなことが書かれているという。, このテーマで思い出すのは、すでにBOOKウォッチで紹介した『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)である。戦後に行われた会議の内容を、半藤一利さんがまとめなおしたものだ。参加者は対英米戦争開戦時に、陸軍中央部(陸軍省と参謀本部)の中堅参謀だった14人。仲間内という気安さもあり、生々しく正直な肉声が目立つ。, なぜ「南進」をすることになったのか。本書に登場する元エリート軍人は、資源政策や軍事戦略上の重要性を語るのみだ。誰一人、「大東亜戦争はアジアの民族解放の聖戦だった」などとは口にしない。半藤さんの「解説」によれば、陸海軍とも、最終目標は東南アジア諸国が算出する石油や鉄鉱石の資源獲得だった。, 『太平洋戦争とアジア外交』の波多野氏も断言する。「日本政府は、民族解放や植民地支配の是非を争点に戦争に突入したのではなかった」。真の戦争目的は「大東亜」の地域の国防資源の確保と経済支配だった、と見ている。, 本書の10の論点は、一話完結の形式なので、どの章からでも読める。結果的にすべての章を読んでもらえれば著者として本望、と井上さんは記している。. 船舶の建造と損耗で見る太平洋戦争 概要 太平洋戦争における工業力の戦いを、日米の船舶建造・損耗から調査し記述する。 まぁ肩肘張らずに気軽に読んでほしい。 軍用艦艇編 アメリカに勝つためには何より … 戦争になったら戦地行って戦ったるわっていうなんj民どれくらいおる? 415: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/11(土) 15:49:26.46 ID:VgIl8RrH0 >>312 第二次世界大戦では米英を中心とした連合国が勝利します。しかし、これとは逆に枢軸国が勝利した戦後世界を描いたsf小説がドラマ化され話題になっています。この不思議な物語について少しだけ紹介していきましょう。もし日本が戦争に勝っていたらこの小説は… なんJまとめサイトです. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 1941(昭和16)年12月8日から1945(昭和20)年9月2日の間の約3年9カ月間にわたり、日本と、アメリカ・イギリス・オランダ・中国(当時は中華民国と言いました)を中心とする国々との間で起きた戦争です。, アジア・太平洋の広大な地域が戦場となった結果、敵味方双方でおびただしい数の犠牲者を生み、日本の降伏によって終わりを迎えました。, 1940(昭和15)年にヨーロッパのドイツ・イタリアと軍事同盟(三国同盟)を結んだ日本は、アメリカ・イギリス・中国などの連合国と敵対していました。, 1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻し、「第二次世界大戦」が勃発。以降、ドイツ・イタリアはヨーロッパの大部分と北アフリカを主な戦場として戦います。, 一般的に天皇の「玉音(ぎょくおん)放送」が流れた8月15日が「終戦の日(終戦記念日)」とされていますが、これはあくまで日本国内および韓国など一部で通用する日で、国際的に正式に戦争が終わった日は9月2日です。, 日本の中国大陸進出[1894頃~]↓ 満州(中国東北部)の獲得[1931-1932]↓日中戦争勃発・泥沼化[1937]↓資源不足↓東南アジアへの進出(南方進出)[1940-1941]↓ アメリカの圧力・ABCD包囲網[1940-1941]↓日米交渉失敗[1941]↓開戦[1941], 日清戦争、日露戦争で、日本は中国進出への足がかりを築きました。中国で得られる経済的利益と、ソ連に対する防衛という二つの理由を中心として、その後も日本は中国へ積極的に関与していきます。, 1931(昭和6)年に中国東北部の満州を日本陸軍の謀略によって手に入れると(満州事変)、さらに南へと影響力を伸ばします。, 1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)にて日中両軍の小競り合いが発生(盧溝橋事件)。これをきっかけに中国(当時の中華民国)との全面戦争へ突入します。, 予想に反して戦争が長期化すると、日本は軍需物資が不足。資源確保を目的として、東南アジアへ進出すると、アメリカ、イギリス、オランダがこれに強く反発。, 資源供給の再開を求めてアメリカと交渉をするものの、中国からの全面撤兵など強固な条件を突き付けられた日本はこれを飲むことができず、開戦に至りました。, 開戦[1941.12]↓緒戦の快進撃[1941.12-1942.5]↓戦局の転機[1942.6-1943.2]↓戦線の崩壊[1943.3-1944.7]↓連合軍日本本土へ迫る[1944.10-1945.2]↓沖縄戦[1945.3-6]↓ポツダム宣言から終戦へ[1945.7-9], 太平洋戦争は、1941(昭和16)年12月8日早朝、日本軍が当時イギリス領だったマレー半島(現在のマレーシア)へ上陸し、その直後ハワイ・真珠湾(パールハーバー)を奇襲攻撃したことで始まりました。, 開戦直後、日本軍は猛烈な勢いで東南アジアおよび太平洋の島々を攻め、欧米の植民地であったそれらの地域を攻め落としました。, 年が明けた1942(昭和17)年2月、アジアにおけるイギリスの一大拠点であったシンガポールが陥落。, また、開戦の最大の目的であったオランダ領東インド(蘭印、現在のインドネシア)の油田地帯を攻略しました。, 各地で連合軍に勝利をおさめ、開戦から半年弱で東南アジア全域と北半球の太平洋のほぼ西半分を勢力下に収めました。, 1942年6月、ハワイ西方の「ミッドウェー島」を攻略しようとした日本の空母部隊が、アメリカ軍空母部隊の待ち伏せを受けて大敗北(ミッドウェー海戦)。, 続いて8月、オーストラリア北方の「ガダルカナル島」で日本軍が築いていた飛行場をアメリカに奪取されたことから、それを取り戻そうとした日本軍との間で、幾度にもわたる激しい戦いが起きました。, 日本軍は結局このガダルカナル島を取り戻せず、1943(昭和18)年2月に撤退します。, 開戦直後に占領した太平洋の島々は、次々にアメリカ軍を中心とする連合軍に攻め落とされ、各地で突撃と全滅を意味する「玉砕(ぎょくさい)」が繰り返されました。, 1944(昭和19)年7月、日本の太平洋における最も重要な拠点であった「サイパン島」が陥落。, これを機に、日本本土はアメリカの最新鋭爆撃機B-29の射程圏内に入ることとなり、連日空襲に見舞われるようになります。, 1944年10月にアメリカはフィリピンに上陸。南方の資源地帯からの輸送はほとんど遮断されるようになり、日本は戦争に必要な物資をほとんど調達できなくなりました。, そして1945(昭和20)年3月、連合軍はついに沖縄へ攻撃を開始。4月1日に沖縄本島に上陸し、激しく反撃をする日本軍を島の最南端へ追い詰め、6月23日に沖縄における日本軍の組織的な戦闘は終了します。, ソ連を頼ってアメリカとの仲介を依頼しましたが、それはうまくいかず、7月に連合軍は日本へ降伏を突きつける「ポツダム宣言」を発表。, 日本政府が宣言を「黙殺」する間に、8月6日に広島へ、9日には長崎へ原子爆弾が投下され、一瞬にして都市が壊滅しました。, 同じく9日、中立を保っていたソ連が満州へ侵攻。 いよいよ耐えられなくなった日本は、天皇のポツダム宣言受け入れの決意表明によって、終戦を決定します。, 8月14日に連合国へ通知し、15日、天皇の肉声を録音した「玉音(ぎょくおん)」が放送され、日本本土と植民地・占領地へ日本の敗戦が伝えられました。, 8月15日を過ぎてもソ連の満州・千島列島・樺太への侵攻は止まらず、満州では57万人以上の日本軍将兵や公務員等が拉致され、極寒のシベリアで強制労働に就くことになります(シベリア抑留)。, 「太平洋戦争」は戦後、日本を占領統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって使用するよう変更を強制され、定着するようになったものであり、この戦争をどのように呼ぶかはいまだに議論があります。, 当時日本が呼んでいた名称を使うべきであるという意見がある一方、「大東亜戦争」は「大東亜共栄圏」の建設という戦争目的が色濃く反映された名称と言え、戦争目的や、ひいては日本の侵略行為の肯定につながるという考えもあります。, 一方で、「日清戦争」「日露戦争」のように交戦国の名称を入れるだけの方が、受け入れやすいという考え方もあります。, この場合は交戦国が複数に及ぶので、地理的広がりで呼ぶことになります。戦場は太平洋だけではなかったので、「アジア・太平洋戦争」とする動きもあります。, また、戦争の期間を取り、満州事変(1931年)から続く一連の戦争、ということで「15年戦争」と呼ぶ意見もあります。, 本サイトでは、これからこの戦争について知っていきたいという方を対象にしているので、最も定着している「太平洋戦争」を使用しています。, これから皆さんが学ばれる中で、どのような呼び方がもっともふさわしいか、考えて頂くのが好ましいと考えています。, このwebサイトの先進的な機能は、ブラウザーのJavaScriptを有効にする必要があります。Thank you!.
ドコモ光 テレビ 2台目,
偏差値25 高校,
ひばりが丘団地 建て替え,
川島永嗣 筋肉,
ウイニングポスト9 2020 ロッタレース,
くちびるに歌を あらすじ 本,
静 学 サッカー速報,