テスコガビー. Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 1975年の春、桜花賞を大差勝ち、オークスを8馬身差という圧倒的な速さで「牝馬2冠」を達成したのが名牝【テスコガビー】です。詳細は過去の記事に譲りまして、2冠達成後について少し補足。 分析表. 父:テスコボーイ 母:キタノリュウ 母の父:モンタヴァル 1972年生/牝/IK評価:3b級 主な勝ち鞍:桜花賞、オークス. 22頭多頭数。『魔の桜花賞ペース』といわれ、逃げる馬には過度なハイペースによる自滅が待ち受けているのが桜花賞。 逃げるテスコガビー。唯一の不安を上げると、これしかない。 3枠7番テスコガビー。スタート、4,5頭横一線の先行争い。 Œ. copyright©2013 無料の競馬予想 穴馬的中に自信アリ | アドレナリン競馬 All Rights Reserved. テスコガビーのデビューは1974年(昭和49年)の9月、前評判通り、2着に7馬身差をつけて圧勝している。 テスコガビーは桜花賞を大差勝ちし、「後ろからは何にも来ない」という杉本清の名実況を産みました。オークスも8馬身差の圧勝で牝馬に敵なしでした。その強さを動画と語りで振り返ります。 テスコガビー 後ろからは何にも来ないの名実況, 回収率を今までの数倍に上げる, “毎週の競馬が楽しくなること間違いなし!”, 単勝支持率は88%というとてつもない支持, 高配当が狙える無料の競馬予想が的中に導く, 2020å¹´ エリザベス女王杯(G1) 事前予想, 2020å¹´ エリザベス女王杯(G1) 直前予想. テスコガビー(1972年4月14日 - 1977年1月19日)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬。, 1975年の牝馬クラシック二冠を達成するなど活躍したが、1977年、休養からの復帰調整中に心臓麻痺で急死した。1974年優駿賞最優秀3歳牝馬、1975年最優秀4歳牝馬。, 当時としては図抜けた好馬体と、そのレースぶりから、日本競馬史上の最強牝馬にも挙げられており、血統評論家の吉沢譲治は「それまでスピードの常識や血統の価値観を全て覆した馬。スタミナ優先だった日本の競馬を、スピード優先へと変える大きなターニングポイントとなった女傑」と評し、「競馬界に与えた衝撃は今日(1999年)のサンデーサイレンスに匹敵する規模であった。それが今もって史上最強の牝馬に名を挙げる人が多い理由ではないだろうか」としている[1]。, 半弟に大井で重賞4勝を挙げたトドロキヒリュウ(父クロケット)。半妹・シャンティロードの仔にダイヤモンドステークスを勝ったトレードマーク、全妹・テスコエンゼルの孫に道営所属で函館3歳Sを勝ったエンゼルカロがいる。, 1972年4月14日、北海道静内郡静内町豊畑の中小生産者・福岡牧場で誕生。父・テスコボーイは1970年代を席巻したリーディングサイアーで、日本ダービー以外の全ての大レースに勝った。代表産駒は数多くいるが、GI級レースを2勝した馬としては、皐月賞・有馬記念・宝塚記念を勝ち種牡馬としても大成功したトウショウボーイ、1974年の牡馬クラシック二冠を達成したキタノカチドキがいる。またブルードメアサイアーとしてもマイルGI2勝のトロットサンダーなどがおり、日本古来の牝系に入り込んで影響を与え続けた。母・キタノリュウはモンタヴァル産駒で現役時は京都・夏村辰男厩舎に所属し、現役時は2、3歳の時に走って25戦1勝と平凡な成績であったが、五代母・慶歌の母は小岩井農場の基礎輸入牝馬の代表的存在であるビューチフルドリーマーで福岡牧場きっての良血馬である。今から見れば名門の牝系にテスコボーイのスピードを配合させたと見ることができるが、キタノリュウにテスコボーイを種付けした頃は、テスコボーイが初年度産駒がデビューしたところで評価は定まっていなかった。福岡牧場も繁殖牝馬10頭足らずの小規模牧場であり、要するに生まれる前のテスコガビーは当事者たる福岡牧場の人々の期待は別として、巨大な生産界から見れば取るに足りない平凡な馬であった。しかし生まれたテスコガビーはその抜群の馬っぷりがたちまち評判となり、当時の牝馬としては非常に筋骨隆々で大柄、常に堂々と落ち着いた漆黒の青毛の馬体は牡馬と見間違えるほど立派なものであった。母馬に甘えることも少なく、母馬から離れて走り回る姿から、身体も柔らかく、俊敏であることも分かった。噂はあっという間に静内中に広まり、誰が見ても絶賛。馬を買い付けにやってきた調教師はみな「これは凄い」と言って、牝馬と知ると一様に驚いたが、しかしこの性別が敬遠され、すぐには売れなかった。その後、当時テスコボーイの産駒を探していた東京・仲住芳雄師が馬の仲買人より「面白いテスコボーイ産駒がいる」と話を持ち掛けられ[2]、福岡牧場を訪問。仲住は一目見てその雄大な馬体を気に入り、「いただきましょう」と言って購入を決める。この当初、仲住は仔馬の性別を聞かされておらず、体躯の様子から牡馬であると思い込んでいたが、歩様を確かめるために歩かせてみた際、股間にペニスがないことに気付き、初めて牝馬であることを知った[3]。その後は仲住の希望により、青森県上北郡横浜町の明神牧場で育成調教が行われたが、当時、競馬場の厩舎に入る以前に本格的な調教を行うのは期待馬に限られていた[4]。年が明けて競走年齢の3歳になり、3月に「テスコガビー」と名付けられて仲住の元に入厩すると、厩舎でもたちまち評判となる。馬名の由来は父・テスコボーイからの「テスコ」に加え、馬主の長島忠雄の隣家に住んでいたガブリエル・シャーチというスイス人貿易商の娘の愛称「ガビー」から取られ[5]、この少女はテスコガビーがオークスに優勝した際、そのすぐ傍らで口取り写真に収まっている[6]。, 当初は8月の新潟でデビューが予定されていたが、調教中にゲートに腰を打ち付け、9月の東京にずれ込んだ[7]。鞍上にはデビュー10年目の中堅騎手・菅原泰夫が配された。右回り芝1200mの初戦をスタートダッシュだけで勝負がついて2着馬を7馬身差ちぎる快走を見せると、圧倒的なスピードを武器に次走の3歳Sも楽勝し、重賞初挑戦となった3戦目の京成杯3歳ステークスは2着に6馬身差のレコード勝ちで初制覇。この成績により、この年の最優秀3歳牝馬に選ばれる。, 4歳になった1975年も快進撃は続き、初戦の京成杯では出走中唯一の牝馬であったが、逃げ切って辛勝ながら朝日杯3歳ステークス2着馬のイシノマサルといった牡馬を一蹴。続いては桜花賞へのステップレースとして阪神4歳牝馬特別に出走を予定していたが、レース間隔が2ヶ月半と開いていたため[8]、さらに強敵を求めて牝馬が出走することはほとんどない第9回東京4歳ステークスに駒を進めた。ここには牡馬クラシック戦線の主役になろうとしていたカブラヤオーが出走していた。カブラヤオーも菅原が主戦騎手を務めていたため、菅原は選択に悩んだ。しかしカブラヤオーは菅原の所属する茂木為二郎厩舎の馬であったことから、「自厩舎でない馬は一度降りたら再び乗れる保証はない」という茂木の配慮により菅原はテスコガビーを選択、カブラヤオーには菅原の弟弟子・菅野澄男に騎乗してもらうことにした。馬場は重馬場でカブラヤオーに1番人気を譲った。同タイプの逃げ馬でレース展開に興味が持たれたが、テスコガビーは先頭に立たずに常にカブラヤオーの後方をガードするように位置を取り、直線で並びかけると、この2頭とインコースから追い込んできたテキサスシチーとの激しい競り合いとなった。直線の勝負処でカブラヤオーの寄られるという不利があったが、クビの差の2着。牡馬相手に初の敗戦を喫し、「重馬場と不利がなければ勝っていただろう」と陣営は残念がったが、スポーツ紙にはすでに「史上最強牝馬」との評が載せられていた[9]。, 自信満々に西下し、改めて出走した阪神4歳牝馬特別では、単勝支持率87.2パーセントという圧倒的な1番人気に推された。初輸送、初コースで相当イレ込んでいたがレコードで逃げ切り楽勝。, 牝馬同士なら全く桁外れの強さで、桜花賞でも当然の1番人気(単勝1.1倍)で3枠7番に単枠指定された。当日はパドックから激しく焦れ込んでいたが、その桜花賞は大方の予想を超えたものであった。レースでは好スタートで早々に先頭を奪うと、もう他の馬はついていけなかった。直線では他の21頭を突き放すばかりで、2着のジョーケンプトンに1.9秒の大差を付けて1冠目を手にした。1600mの距離で争われる桜花賞では通常考えられない着差であり、桜花賞史上最大で後にも先にも例がない。実況していた杉本清(当時・関西テレビアナウンサー)は直線半ばであまりにも大差がついてしまったために「後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ない、後ろからはなんにも来ない」と同じ言葉を3回繰り返して絶叫し、このフレーズは、当時の圧勝劇をよく伝える名調子として知られている。杉本自身は「想像以上の大差でリードを伝える以外に言う事が無くなり、実際は苦し紛れであったため、失敗したと思っていた」が、視聴者からは好意的に受け止められていた[10]。2013年には、JRAの桜花賞のテレビCMでも使用された。優勝タイム1分34秒9は桜花賞レコードで、コースレコードからも0.1秒差であった。1988年にアラホウトクに破られるまで13年間保持されたほか、2000年の桜花賞優勝タイムと同じであった。スポーツライターの阿部珠樹はそのことに触れ、「26年の歳月を考えれば驚異的な数字である。今テスコガビーがそのままの姿で現れても、十分勝負になるだろう」と論じている[11]。, 陣営はオークスへは直行の予定であったが、馬主の長島の要望により、オークストライアルの4歳牝馬特別に出走。しかし桜花賞で限界まで調整された反動が出て直線で伸びを欠き[12]、初めて連対を外す3着と敗戦。, 牝馬同士で初めての負けを喫し、距離延長と体調不良も相まって、1番人気に支持されたものの不安を抱えてのオークスに挑むことなった。単勝も2.3倍と桜花賞からは大きく落としていたが、しかし本番では何も心配はいらなかった。菅原が軽く先頭を奪うと、レースをスローペースに持ち込み、2着のソシアルトウショウ(トウショウボーイの半姉)に8馬身差をつけて牝馬二冠を達成。この8馬身差は日本中央競馬会施行のオークス史上最大着差で、それ以前を含めても戦時中のクリフジ(10馬身)、終戦直後のトキツカゼ(大差)に次ぐ記録であった。スポーツライターの阿部は「勝ちタイムは平凡」としながらも、「スタートから逃げて影も踏ませず、2着に8馬身差を付けた内容は、やはり時代の制約を超えた強さと言えるだろう」と評している。またこの年、鞍上の菅原はカブラヤオーでも皐月賞、日本ダービーを制し、春のクラシック4競走完全制覇を成し遂げた。後に菅原はカブラヤオーが勝った皐月賞、ダービーがいずれも桜花賞、オークスの翌週であったことに触れ、「(もし順序が逆だったら)カブラヤオーに自信を持って乗ることはできなかったんじゃないか。(気性の大人しい)テスコガビーは良い予行演習になった」と語っている[13]。, オークスから4ヶ月後の9月17日早朝、ゲート練習中に右前球節挫創で9針も縫う重傷を負った。その後は順調でビクトリアカップを目標に乗り始めた10月29日の調教中、今度は右後脚を捻挫。1年の休養を余儀なくされ、5歳になった1976年5月2日の東京のオープンで復帰するが、11頭立ての6着に惨敗。休養明けの調整途上でかなり太かったのは確かだが、桜花賞やオークスの頃の闘志は失われていた。それでも次走に期待が持たれたが、18日後の5月20日には右後脚のトモを痛めてしまい、浦河郡浦河町の日綜牧場で再び休養に入る。この時点で陣営は二冠牝馬を看板に引退することが検討され、渡米して同地の一流種牡馬と種付けを行うという構想も持ち上がったが[14]、長島の要望により現役続行が決定。12月に入り、かつて育成調教を行った明神牧場に移動し、現役復帰への調教が開始された。以降は順調に調教が積まれていたが、年が明けて6歳になった1977年1月19日、調教でコースを速歩で1周半した後、駈歩に移行した際に突然前のめりに転倒。前脚の故障かと獣医師が呼ばれたが、診断の結果、脚の故障ではなく心臓麻痺を発症しており、すでに死亡していた。遺骨は長島に引き取られず、同場の関係者が牧場の片隅に作った墓に埋葬し、簡素な墓標が立てられた[15]。数日後に長島が経営する不動産会社が倒産。早世のため1頭の産駒も残していないが、繁殖牝馬としても必ず成功を収めたであろうとする意見が数々見られる。競馬評論家の大川慶次郎は「配合さえ間違わなければ良い子を出したと思う」と語り[16]、血統研究家の白井透は競走・繁殖の双方で成功を収めたクリフジを例に取り、「テスコガビーも同じ道を歩むべきだった。サラブレッドの中にその血の一滴でも残しておきたかった」と述べている[17]。その後、遺骨は静内へ戻されて、2011年に桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に改葬され[18]、父・テスコボーイと同じ場所に眠っている。, 脚質から逃げ馬という評価が定着しているが、菅原は「スピードの違いで自然と逃げる形になっただけ。気性にも問題がなかったし、スタミナを心配するような体つき、走りぶりでもなかった」と回想している[7]。また、大川は「逃げ馬としてはスタートダッシュが利く馬ではなかった」と指摘し、それでも逃げる形になったことを「『テスコガビーに競り掛けたら、こっちが先に潰れてしまう』という威圧感があったため」と分析、「悪い言葉で言えば、『バケモノ』のような馬だった」としている[19]。競馬界では「スタートが良く、道中も素直で、最後もきっちり伸びる」馬を、「テンよし、中よし、終いよし」と呼び習わすことがあるが、これは元々菅原がテスコガビーのセールスポイントを尋ねられた際に答えたものである[20]。気性は非常に従順かつ堂々としており、一般に繊細で神経質とされる牝馬でありながら、どこでも寝転がってしまうような図太さを備え、「肝の据わった牝馬だ」と関係者を感心させていた[21]。, 全ての毛色の中で最も黒い青毛の被毛に、牝馬離れした筋骨隆々の馬体は、大川のように「バケモノ」「アマゾネス」などと評した者がいた一方、「グラマーな美女」と擬人化し、好意的に受け止める者もいた。雑誌編集者であった青木幸三は、著書の中で「濡れたような真っ黒に輝いた青毛の肢体からは、形容しがたいほどの色気を感じさせた。絵になる雄大なスケールも素晴らしい」と語り[22]、白井は「その馬格は、グラマーで女性的であった」と評している[23]。こういった見方は早い段階から定着しており、桜花賞の本馬場入場時、すでに杉本清が「テンよし中よし終いよし、付けて加えて超グラマー。テスコガビーです」と紹介している。また白井はその馬格について、同じテスコボーイ産駒のトウショウボーイ、キタノカチドキと比較して「最もテスコボーイに似た馬」と評し、「テスコボーイの良さを100%受け継いできたような柔軟な動き。だからこそあれだけのスケールの大きな走りができたのだろう」と述べている[23]。, 第2回 タイレイ / 第3回 ブランドソール / 第4回 バンナーゴール / 第5回 ミスセフト / 第6回 ヤマイワイ / 第7回 ブラウニー / 第8回 ハマカゼ / 第9回 ヤシマドオター, 第10回 トサミツル / 第11回 ツキカワ / 第12回 スウヰイスー / 第13回 カンセイ / 第14回 ヤマイチ / 第15回 ヤシマベル / 第16回 ミスリラ / 第17回 ミスオンワード / 第18回 ホウシユウクイン / 第19回 キヨタケ, 第20回 トキノキロク / 第21回 スギヒメ / 第22回 ケンホウ / 第23回 ミスマサコ / 第24回 カネケヤキ / 第25回 ハツユキ / 第26回 ワカクモ / 第27回 シーエース / 第28回 コウユウ / 第29回 ヒデコトブキ, 第30回 タマミ / 第31回 ナスノカオリ / 第32回 アチーブスター / 第33回 ニットウチドリ / 第34回 タカエノカオリ / 第35回 テスコガビー / 第36回 テイタニヤ / 第37回 インターグロリア / 第38回 オヤマテスコ / 第39回 ホースメンテスコ, 第40回 ハギノトップレディ / 第41回 ブロケード / 第42回 リーゼングロス / 第43回 シャダイソフィア / 第44回 ダイアナソロン / 第45回 エルプス / 第46回 メジロラモーヌ / 第47回 マックスビューティ / 第48回 アラホウトク / 第49回 シャダイカグラ, 第50回 アグネスフローラ / 第51回 シスタートウショウ / 第52回 ニシノフラワー / 第53回 ベガ / 第54回 オグリローマン / 第55回 ワンダーパヒューム / 第56回 ファイトガリバー / 第57回 キョウエイマーチ / 第58回 ファレノプシス / 第59回 プリモディーネ, 第60回 チアズグレイス / 第61回 テイエムオーシャン / 第62回 アローキャリー / 第63回 スティルインラブ / 第64回 ダンスインザムード / 第65回 ラインクラフト / 第66回 キストゥヘヴン / 第67回 ダイワスカーレット / 第68回 レジネッタ / 第69回 ブエナビスタ, 第70回 アパパネ / 第71回 マルセリーナ / 第72回 ジェンティルドンナ / 第73回 アユサン / 第74回 ハープスター / 第75回 レッツゴードンキ / 第76回 ジュエラー / 第77回 レーヌミノル / 第78回アーモンドアイ / 第79回グランアレグリア, 第3回 ルーネラ / 第4回 テツバンザイ / 第5回 ロツクステーツ / 第6回 クリフジ / 第7回 ミツマサ / 第8回 トキツカゼ / 第9回 ヤシマヒメ / 第10回 キングナイト, 第11回 コマミノル / 第12回 キヨフジ / 第13回 スウヰイスー / 第14回 ジツホマレ / 第15回 ヤマイチ / 第16回 ヒロイチ / 第17回 フエアマンナ / 第18回 ミスオンワード / 第19回 ミスマルサ / 第20回 オーカン, 第21回 スターロツチ / 第22回 チトセホープ / 第23回 オーハヤブサ / 第24回 アイテイオー / 第25回 カネケヤキ / 第26回 ベロナ / 第27回 ヒロヨシ / 第28回 ヤマピット / 第29回 ルピナス / 第30回 シャダイターキン, 第31回 ジュピック / 第32回 カネヒムロ / 第33回 タケフブキ / 第34回 ナスノチグサ / 第35回 トウコウエルザ / 第36回 テスコガビー / 第37回 テイタニヤ / 第38回 リニアクイン / 第39回 ファイブホープ / 第40回 アグネスレディー, 第41回 ケイキロク / 第42回 テンモン / 第43回 シャダイアイバー / 第44回 ダイナカール / 第45回 トウカイローマン / 第46回 ノアノハコブネ / 第47回 メジロラモーヌ / 第48回 マックスビューティ / 第49回 コスモドリーム / 第50回 ライトカラー, 第51回 エイシンサニー / 第52回 イソノルーブル / 第53回 アドラーブル / 第54回 ベガ / 第55回 チョウカイキャロル / 第56回 ダンスパートナー / 第57回 エアグルーヴ / 第58回 メジロドーベル / 第59回 エリモエクセル / 第60回 ウメノファイバー, 第61回 シルクプリマドンナ / 第62回 レディパステル / 第63回 スマイルトゥモロー / 第64回 スティルインラブ / 第65回 ダイワエルシエーロ / 第66回 シーザリオ / 第67回 カワカミプリンセス / 第68回 ローブデコルテ / 第69回 トールポピー / 第70回 ブエナビスタ, 第71回 アパパネ・サンテミリオン(同着) / 第72回 エリンコート / 第73回 ジェンティルドンナ / 第74回 メイショウマンボ / 第75回 ヌーヴォレコルト / 第76回 ミッキークイーン / 第77回 シンハライト / 第78回 ソウルスターリング / 第79回 アーモンドアイ / 第80回 ラヴズオンリーユー, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=テスコガビー&oldid=79791345, 杉本清『三冠へ向かって視界よし - 杉本清・競馬名実況100選』(日本文芸社、1995年), 『Sports Graphic Number PLUS - 20世紀スポーツ最強伝説4』(.
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