一航艦は将来の主戦力として期待されて錬成が続けられていたものだが、練成途中にクェゼリン、ルオットの玉砕が起こり、1944年2月15日に連合艦隊への編入が決められた[68]。さらにトラック被空襲によって一航艦の実戦投入が早まった。一航艦整備参謀山田武中佐によれば「トラック被空襲により予定外の五三二空、一二一空等の実動全力のマリアナ方面投入が命ぜられたが、それまでの内地における訓練の実体は各隊訓練のみで、航空艦隊設立の主旨である大兵力の機動集中は一部の部隊(二六一空、七六一空)のみで実施されていた状況である。全般の練度については、一航艦のマリアナ展開が時期過早と考えられ、五二一空、一二一空に至ってはマリアナに出ていってから訓練する方針であり、自分は訓練状況をよく知り過ぎていた関係からとても自信を持ち得なかった」という[69]。, 第一航空艦隊は2月23日マリアナ進出時にマリアナ諸島空襲を受けた。淵田美津雄参謀は、戦闘機が不十分なこと、進出直後で攻撃に成算がないこと、消耗を避けることを理由に飛行機の避退を一航艦長官角田覚治に進言したが、角田長官は見敵必戦で迎撃を実施し、最精鋭でもあるほぼ全力の90機を失った[70]。その後も増援された戦力の消耗を続けた。, 直前の渾作戦によって攻撃集団(一航艦)の集中が遅れ、基地航空部隊は逐次消耗し、決戦に策応できなかった[71]。5月27日、米陸軍主体の連合軍はビアク島へ上陸を開始、この方面は絶対国防圏からも外れ、作戦命令方針にも一致しなかったが、連合艦隊が独自の判断で決戦兵力の第三攻撃集団を投入した[72]。29日、渾作戦が実施され、決戦兵力の第二攻撃集団もハルマヘラ島方面に移動させた[73]。5月11日マリアナ空襲を受け、連合艦隊は第二攻撃集団をヤップ島に戻したものの、第一攻撃集団はパラオ空襲の被害が大きく、第二攻撃集団ではデング病が蔓延、第三攻撃集団はすでに消耗し、第一航空艦隊はすでに作戦協力が不可能な状態にあった[74]。一連の戦いで稼動機を全て失った第732海軍航空隊は戦闘詳報で「小兵力を駆って徒に無効なる攻撃を続け、兵力を損耗し尽くすに及んで已むに至るが如き作戦指導は、適切とは称し難し。耐久的戦勢に於いては、見敵必戦策なき無理押しを反覆せず、兵を養い機を見て敵の虚に乗じ、戦果を発揚する如くすべきなり」と評した[75]。この様な事情から第一航空艦隊で作戦に参加できたのは100機程度であり、邀撃戦を少数かつ分散した状況で実施し、期待されていたような総合威力を発揮することはできなかった。, 本海戦における攻撃力の主は航空戦力であったが、それならば防御力の主は対空防御力となる。その対空防御力の日米差は、航空攻撃力以上の差があった。米機動部隊に艦載されていた戦闘機はすべてF6Fであり、日本の零戦に優位はなく、陸上攻撃機も性能不足で、空襲への迎撃態勢も米軍がレーダー・無線電話・CIC(戦闘指揮所)などを使用、導入して戦闘機を有効活用し、高角砲の対空射撃にVT信管を開発、使用していたのに対し(上述の通り対空砲火による損害はほとんどなくかつVT信管の使用率も20%程度で本海戦におけるVT信管による損害と言えるものは微々たるものであった。)、日本側は従来の防空方法のままであった。これは潜水艦など他の兵器にも言えることで、兵器の進歩性で日本軍はアメリカ軍に大きな差をつけられたまま本海戦を迎えたのであった[76]。, アメリカ海軍機動部隊は、レーダーとCICによる航空管制を用いた防空システムを構築していた。潜水艦からの報告で日本艦隊の動向を掴んでいたアメリカ機動部隊・第58任務部隊は、初期のレーダーピケット艦と言える対空捜索レーダー搭載の哨戒駆逐艦を日本艦隊方向へあらかじめ約280km進出させておいて、日本海軍機の接近を探知した。そしてエセックス級航空母艦群に配備されていた方位と距離を測定するSKレーダーと高度を測定するSM-1レーダーの最新型レーダーで割り出した位置情報に基づいて日本側攻撃機編隊の飛行ベクトルを予測し、400機にも及ぶF6F ヘルキャットを発艦させて前方70〜80kmで、日本側編隊よりも上空位置で攻撃に優位となる高度約4,200mで待ち受けさせた。, 進出させた哨戒駆逐艦や他空母など自艦と同じ最新型レーダーを搭載した艦を含む傘下各艦隊、戦闘空域近くを飛行する早期警戒機、早期警戒管制機の元祖といえる高性能レーダーと強力な無線機を搭載した特別なTBMなどから各々探知した日本機編隊の情報が、第58任務部隊旗艦のエセックス級航空母艦レキシントン IIのCIC(Combat Information Center)に伝えられた。, 当時のCICは、まだ戦闘に関する情報をほとんど完全な手動で処理、統合、分析を行なうだけで、戦闘機誘導所がCICからの情報をもって空中待機中の戦闘機隊を無線で、向かってくる日本機編隊ごとに振り分けその迎撃に最も適した空域へ管制し、交戦開始後は各戦闘機隊の指揮官が現場指揮を執って、逃げ惑う日本機を追いかけ回した。「マリアナの七面鳥」と呼ばれたのは、そのときの日本機の逃げられないのに逃げ惑う姿が、これからつぶされようと人間に追いかけられる柵の中の七面鳥の逃げ惑う姿に似ていたからである。, また1943年の末頃から、対空砲弾が命中しなくても目標物近く通過さえすれば自動的に砲弾が炸裂するVT信管を高角砲弾に導入した。この結果、従来の砲弾に比べて対空砲火の効果は3倍に跳ね上がった。アメリカ軍は概ね3倍程度と評価している。なお、マリアナ沖海戦におけるアメリカ艦隊の対空砲火のスコアは、戦闘機の迎撃を突破して艦隊上空に到達できた日本機が少なかったこともあり、VT信管弾や40mmボフォースなど全てを合計しても19機(アメリカ側確認スコア。当然誤認を含むと思われる)に過ぎなかった。また1943年に開発されたばかりのVT信管はマリアナ沖海戦時点では製造が間に合っておらず、アメリカ艦隊が発射した全高角砲弾のうちVT信管弾が占める割合は20%程度であった。, 日本軍でもアメリカ艦隊の対空防御能力を「敵艦艇の対空火力は開戦初期はバラバラ、その後火ぶすまに変わり、今やスコールに変わった」として、これまでのような方法でアメリカ空母を攻撃しても成功は奇蹟に属すると考えるようになった[77]。, 勝利を得たアメリカ軍だが、スプルーアンスの作戦指揮については、消極的であるとの批判がなされた。6月18日に攻勢に出なかったことや、20日になるまで西方への進撃を行わなかったことなどが指摘され、航空戦の専門家でないスプルーアンスが指揮官だった点も問題視された[78]。これに対し戦史家のサミュエル・モリソンはスプルーアンスの戦術指揮は正しかったと主張している。サイパン攻略の支援という任務を負っていたことから、日本の航空部隊により大きな打撃を与えることは困難であった。また、西進していれば、何隻かの艦艇が失われる結果になっただろうと反論している[78]。, モリソンは、どちらかといえば19日に夜間索敵が行われず、日本艦隊発見が遅れたことを問題視している。19日夜の段階で日本艦隊を発見できれば、翌20日に早朝から攻撃が可能であったはずだと指摘する。ただ、ミッチャーが夜間捜索をしなかったのは、搭乗員の疲労が激しかったことへの配慮に基づくものであったと擁護している[78]。, ミッドウェー海戦の際にはわずか7機であったものを、戦訓により索敵力を強化したものである。, 「昭和19年6月20日 軍艦利根戦闘詳報 第7号(あ号作戦中対空戦闘に対する分)」第11-12画像、安永弘『死闘の水偵隊』344頁、筑摩所属偵察機乗員。山本佳男『巡洋艦高雄と共に』135頁、三連装機銃射手。, 500ポンド爆弾を艦橋後部のマスト付近に命中したとしているが乗組員の回想では被弾無し、至近弾によるスプリンターを直撃弾と勘違いした可能性有り。, タウイタウイに閉じ込められた原因としては潜水艦の跋扈が上げられる。泊地を出た途端雷撃される事もあり、そのため、護衛の駆逐艦が損耗した。そもそもタウイタウイ島と、その周辺海域は、南シナ海で通商破壊を行なう米潜水艦航路の途中にあった。(しかし、タウイタウイは結局不運な選定であったことを証明した。当時、ニューギニアにおいて入手した、日本側書類によって、新しい日本の航空艦隊の出現とその進出位置が明らかになると、米潜水艦が大挙してセルベス海やフィリピン諸島周辺に集中行動したので、小澤部隊は訓練や演習の為に錨地外に出動することが殆ど出来無くなった。)ニミッツの太平洋海戦史 太平洋戦争と潜水艦 269p/372p〜375pより, 「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(1)」第35画像, 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)」第1画像, 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)」第11-12画像, 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)」40頁、45-46頁、「昭和19年5月1日〜昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(3)」8頁, 「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(1)」第49-51画像, 田中健一「マリアナ沖海戦 作戦指導批判に異論あり」『波濤』110号 1994年1月, ドキュメント太平洋戦争 第3集「エレクトロニクスが戦を制す〜マリアナ・サイパン〜」, 『ドキュメント太平洋戦争 第3集 エレクトロニクスが戦(いくさ)を制す ~マリアナ・サイパン~』, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マリアナ沖海戦&oldid=78543918, 大局上必要と認めた時は、一部の部隊を犠牲としこれを死地に投じても、作戦を強行する。, 旗艦の事故、その他通信連絡思わしからざるときは、各級司令官は宜しく独断専行すべきである。, もし、今次の決戦でその目的を達成出来なければ、たとえ水上艦艇が残ったにしても、その存在の意義はない。, 第27歩兵師団(増援部隊) 司令官:ラルフ・C・スミス陸軍少将 → スタンフォード・ジャーマン陸軍少将 → ジョージ・W・グライナー陸軍少将, Ref.C08030710900「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(1)」, Ref.C08030711000「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(2)」, Ref.C08030573900「昭和19年6月1日〜昭和19年11月15日 軍艦利根戦時日誌戦闘詳報(1)」, Ref.C08030574000「昭和19年6月1日〜昭和19年11月15日 軍艦利根戦時日誌戦闘詳報(2)」, Ref.C08030713100「昭和19年6月20日 軍艦利根戦闘詳報 第7号(あ号作戦中対空戦闘に対する分)」, Ref.C08030150500「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)」, Ref.C08030150600「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)」, Ref.C08030150700「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)」, Ref.C08030685300「昭和19年5月1日〜昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(3)」, NHK戦争証言プロジェクト 「マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法」『証言記録 兵士たちの戦争(2)』 NHK出版、2009年。. マリアナ沖海戦とは、大東亜戦争中の1944年6月19日に生起した日本海軍vsアメリカ海軍の戦闘である。 第一補給部隊:速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、名取(パラオより合流、19日に分離)、夕凪、初霜、響、栂 第十五話 マリアナ沖海戦 1944年6月、アメリカ軍は、 15 隻の空母と10 隻の戦艦を中心とする、 600 隻もの大軍でマリアナ諸島に攻め寄せました。 彼らの最初の標的は、サイパン島です。 アメリカ軍は、大軍だからって、決して慢心したり油断したりしません。 マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の1944年 6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍とアメリカ海軍の海戦。 アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。 "熟練度分析として単純平均" 第二二航空戦隊 5月20日「あ号作戦計画開始」発令 第二駆逐隊(第二水雷戦隊):秋霜、早霜(ダバオから補給部隊を護衛した後合流) マリアナ沖海戦をざっくり言うと、 帝国海軍が持てる全戦力を投入したにも関わらず惨敗し、もはや再起不能になってしまった戦い と言えるでしょう。 ようつべ  https://www.youtube.com/user/so96079607 本隊・乙部隊 第一航空戦隊(小沢中将直率) 第二艦隊 我方航空母艦1隻、附属油槽船2隻及び飛行機50機を失へり, 事前にこの原稿を見せられた陸軍首脳部は激怒し、富永恭次陸軍次官は「またミッドウェーの時と同じように、こちらの損害を恐ろしく過少に書いてある」、「いくらかくして見たところでかくしおうせるものではない」、「なぜ真実をそのまま発表しようとしないのだろうか」と述べた上で「陸軍としては絶対にこの発表文案には賛成致しかねる」と主張し、陸軍報道部は原稿に「世論の指導上、真相の発表を切望する」と付箋をつけて突き返した。 All Rights Reserved. 第十戦隊(木村進少将) 軽巡:矢矧 司令長官:角田覚治中将 参謀長:三和義勇大佐 戦艦:長門、重巡:最上、 Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 第十駆逐隊:朝雲、(風雲)※風雲は6月8日沈没 ID: dqDgiCSWva, 2020/10/22(木) 20:11:32 イ5、イ6、イ10、イ55、ロ48 アメリカ側視点「スプルーアンスの作戦指揮について、消極的であるとの批判がされた」 ID: wbROAOA4ZC, 2020/10/12(月) 21:57:20 労働担当大臣「民間の勤労者の平均年齢は36才前後です。」 この間での未帰還 イ184、イ185、ロ36、ロ42、ロ44、ロ111、ロ114、ロ117, 孤立したマリアナ諸島への物資輸送、通信連絡、パイロット・第六艦隊司令部収容任務での未帰還 更新予定  http://ameblo.jp/kitatyu79/entry-12208288398.html, 116回 マリアナ沖海戦 ~行き当たりばったりな日本と用意周到なアメリカ~ | 日本人のための日本近現代史, 熊本在住の歴史好きです。主に日本近現代史を日本人の立場から分かりやすく解説した動画をあげていきます。日記は動画と連動して書いていきます。最低でも週1以上更新していきます。, 帝国海軍が持てる全戦力を投入したにも関わらず惨敗し、もはや再起不能になってしまった戦い, アホみたいに長い距離を飛んでサイパン周辺のどこかにる米軍空母を見つけ爆撃するということ自体がまず難しい, 長時間飛行で疲れたパイロットが迎撃のために出撃したばかりの米軍機と果たしてまともに戦えるかと言われればかなり不利. 某銀英伝の自由惑星同盟最高首脳部の 入渠後ティータイム~艦これ 攻略・新着情報~ , 前3つの動画は日本はこんなすげぇこともやったんだよって話だったんですが、今回から歴史の流れの本筋に戻りましてマリアナ沖海戦について話をしていきます。, youtube https://www.youtube.com/watch?v=Q2uJoitw9jc, ニコニコ http://www.nicovideo.jp/watch/sm30884202, マリアナ沖海戦をざっくり言うと、帝国海軍が持てる全戦力を投入したにも関わらず惨敗し、もはや再起不能になってしまった戦いと言えるでしょう。, 何故、帝国海軍はマリアナ沖海戦に全戦力を投入するほどに必死だったのか。それはこの海戦に負けてしまうとアメリカ軍がサイパン島を確保できてしまうからです。サイパンって南の島のリゾート地みたいなイメージであんまり関係なさそうな気もするんですけど、実はものすごい重要な場所なんです。, なんでかっていうと、サイパン島がとられてしまうとアメリカ軍の爆撃機が直接日本の本土空爆ができてしまうからです。つまり日本国民が空襲の脅威に直接さらされるという事ですね。だから当時の人たちはサイパンを絶対国防圏に設定し超重要視していました。, 当時の米軍ってのは民間人だろうが平気で爆撃し虐殺していましたからサイパンを取られるってことは日本国民にとって死活問題だったんです。だから帝国海軍は全力でここを守ろうとしたんですね。, 戦闘で一番重要な空母は9対15、その他の艦艇でも全てアメリカが上回っているという状況ですね。そこで日本軍の小沢中将はアウトレンジ戦法というのを考え実行します。, アウトレンジ戦法ってのは日本軍の飛行機の方がアメリカ軍の飛行機より長い距離飛べるという特徴を生かして相手の間合いの外から飛行機を発艦させて敵の射程外から叩いてしまおうという作戦ですね。しかしぱっと見上手くいきそうなこの作戦には落とし穴がいくつもありました。, 1つ目の落とし穴としてはアホみたいに長い距離を飛んでサイパン周辺のどこかにる米軍空母を見つけ爆撃するということ自体がまず難しいですよね。長時間飛んでいる間に相手だって移動できますからね。, また、2つ目の落とし穴として、運よく敵を見つけることができたとしても当然敵戦闘機との戦闘が待っているわけです。長時間飛行で疲れたパイロットが迎撃のために出撃したばかりの米軍機と果たしてまともに戦えるかと言われればかなり不利と言わざるを得ないでしょう。, 最後にアメリカの対空能力の飛躍的な向上です。アメリカ軍の駆逐艦には高性能のレーダーが積み込まれていてそいつらが空母より300km近くも前に出て見張りをする事で日本の航空機の接近を全て把握するという体制を作っていました。これによって数に勝る戦闘機の力でほとんど米軍艦隊にたどり着く前に日本軍機は落とされてしまっています。, さらにかろうじて米軍の船に近付けた日本軍機にたいしても米軍の対空新兵器VT信管が待っていました。それまでの対空兵器は弾が当たらなければ意味がなかったんですが、VT信管は弾が当たらなくても飛行機の近くを通りさえすれば自動的に爆発するという脅威の性能をもっていました。, さらにアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃によって帝国海軍が満を持して投入した装甲空母大鳳と歴戦の空母翔鶴が沈没、大敗北を喫しています。, この戦闘の結果、帝国海軍は全力を注ぎこんでの決戦で3隻しか残っていなかった正規空母のうち2隻を失い、艦載機とパイロットもほぼ全滅、陸上基地の航空機も壊滅的な打撃を受けてもはや再起不能な状況に陥ります。これを指して米軍ではマリアナの七面鳥打ちと呼んでいたんだそうです。, 余談ですが、艦これにおける大鳳や5航戦の台詞にはマリアナ沖海戦にまつわるものがおおいですね。七面鳥云々のセリフなんかはマリアナ沖海戦で日本軍の飛行機が落とされまくった事に由来してますし、被弾すると真っ先に燃料庫を気にするあたり、たった一発の魚雷で爆発してしまった事が元ネタになってますからね。, さて、マリアナ沖海戦で勝ったアメリカはサイパン島を攻略し、いよいよ日本本土への爆撃をいつでもできるぞという体制を整えていくことになります。ということで次回はサイパン島陥落と日本国内の動きについて解説していきます。, ニコマイリス http://www.nicovideo.jp/mylist/45694866
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