2020/04/22 12:23. 「 深浦一門、Twitterアカウント開設」のコメント一覧 名無し名人 さん 大地はそろそろタイトル挑戦して欲しい 実力は既に十分あるし . 2020/04/22 15:04. 木村一門というと、木村義雄の一門になる模様(深浦一門も含まれます) 2020/04/22 10:17. 深浦一門 on Twitter: "はじめまして 棋士の佐々木大地です。 このたび、深浦一門によるアカウントを作りました。 師弟で将棋や日常などを発信していきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。" 1 user twitter.com/Fukauraichimon We would like to show you a description here but the site won’t allow us. 名無し名人 さん 名無し名人 さん フォローしようと思って画面開いたら背景画像にわろた . 「 深浦一門、Twitterアカウント開設」のコメント一覧 名無し名人 さん 地球ネタうぜえ 地球代表が深浦だったら嫌だよね、が元ネタなんですよ! ってDMしちゃおっかな . 深浦一門 on Twitter: "はじめまして 棋士の佐々木大地です。 このたび、深浦一門によるアカウントを作りました。 師弟で将棋や日常などを発信していきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。 2020/04/22 12:15. 名無し名人 さん 名無し名人 さん 渡辺明連盟会長殿のTwitter開設を皆が待ち望んでおります . 名無し名人 さん 地球代表軍のTwitterが出来たことを喜ばしく思います。 深浦 康市(ふかうら こういち、1972年 2月14日 - )は、将棋棋士。 棋士番号201。長崎県 佐世保市出身。 花村元司九段門下。 日本将棋連盟非常勤理事(2012年6月- )。 2020/04/22 10:22. We would like to show you a description here but the site won’t allow us. — 深浦一門 (@Fukauraichimon) April 21, 2020 139: 名無し名人 : 2020/04/22(水) 08:12:13.90 ID:8R+iSi5q どうしても師匠とtwitterやりたい大地かわいいw We would like to show you a description here but the site won’t allow us. 深浦 康市(ふかうら こういち、1972年2月14日 - )は、将棋棋士。棋士番号201。長崎県佐世保市出身。花村元司九段門下。日本将棋連盟非常勤理事(2012年6月- )。, 1984年に奨励会に入会。5級昇級に1年かかったがその後は順調に昇級・昇段し、1991年10月1日に19歳でプロデビュー(四段昇段)。デビュー直後から頭角を現し、1993年(1992年度)の全日本プロ将棋トーナメントにおいて、決勝五番勝負で米長邦雄を3-2で破って優勝。, 1993年度、早指し新鋭戦で優勝。これにより、同年度の早指し将棋選手権への出場資格を得たが、こちらでも優勝(決勝の相手は羽生善治)。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で通しの優勝を成し遂げたのは深浦だけである。, 以上のように、四段でありながらの年間優勝3回という成績により、この年度の将棋大賞の新人賞と敢闘賞を同時受賞。五段昇段前にこうした実績を挙げていたため、当時、棋士仲間から「深浦君は、まだ四段なの?」と、からかい混じりに褒められていた[1][2]。, タイトル初挑戦は、羽生善治に挑戦した 1996年の第37期王位戦である。しかし、1勝4敗でタイトル獲得はならなかった。このシリーズの第一局では、初手に端歩を突き(▲9六歩)、位取り中飛車に構える極めて珍しい作戦(5五龍中飛車)を採用して話題となった。また、フィアンセとその両親を対局場に招待するという、粋なところを見せた。, また、通算勝率7割以上を長く保っていた深浦であるが、順位戦ではデビュー以来C級2組のままで停滞していた。しかし、結婚直後の1997年度から2期連続昇級でB級2組に昇級する。しかし、B級2組の1年目では9勝1敗の成績を挙げながら、不運にも3年連続昇級を逸する。, 2003年(2002年度)、準タイトル戦の第21回朝日オープン将棋選手権において、初代朝日選手権者の堀口一史座に挑戦し3-1で奪取して、2代目の朝日選手権者となる(翌年、羽生善治に奪取される)。, 2007年、第48期王位戦で羽生善治に挑戦。11年前と同じタイトル戦で同じ顔合わせとなった。七番勝負はフルセットの熱戦となったが、4勝3敗で制し、35歳にして初タイトルとなる王位奪取に成功して、「九州にタイトルを持って帰る」という対局前の言葉を現実のものとした。九州出身棋士のタイトル獲得は、1984年の加藤一二三(福岡県出身)以来23年振りで、奇しくも同じタイトル(王位)であった。七番勝負の中で、特に最終局(第7局、出だしは後手の羽生の中飛車)は、中盤から終盤にかけての攻防が非常に難解で、NHK BS2の囲碁・将棋ジャーナルで解説をした佐藤康光は「歴史的な終盤の名局」と絶賛[3]。この対局は将棋世界2008年3月号の「プレイバック2007(プロ棋士が選ぶ2007年名局集ベスト10)」で第1位に輝き、第35回将棋大賞の名局賞を羽生とともに受賞した。, 2008年、初のタイトル防衛戦[4]となる第49期王位戦七番勝負で、リターンマッチを仕掛けてきた羽生をフルセットの末に破り[5]、2連覇。同時に準タイトル戦の朝日オープンを含めタイトル獲得3期の扱いとなり、規定により九段昇段を果たす[6]。, 同年、第2回朝日杯将棋オープン戦で史上39人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。600勝達成時の勝率6割8分1厘は、羽生善治、大山康晴、中原誠の3人の永世名人に次ぐ歴代4位の記録[7]であり、深浦の実力の高さを示している。, 2009年(2008年度)、羽生に挑戦した第58期王将戦七番勝負では、第5局終了時点で3勝2敗とし初の二冠に王手をかけるとともに、羽生との対戦成績を26勝26敗のタイとした。しかし、第6局、第7局で連敗し、タイトル奪取はならなかった。, 2009年、第50期王位戦七番勝負で木村一基の挑戦を受ける。最初の3局で3連敗して防衛失敗の瀬戸際に追い込まれ、負けられない状況となった。しかし、出身地の長崎県佐世保市で行われた第4局に勝利したのをきっかけに4連勝を返し、史上2度目[8]となる3連敗4連勝での逆転防衛で、3連覇を果たした。深浦は防衛成功後のインタビュー[9]では、「内容はひどかった。いかに地元での対局を戦うかということで、その辺りから集中できた。」と語った。, 2010年度、第81期棋聖戦で羽生への挑戦権を得たものの、年度前半の勝率は4割台と不調。棋聖戦では(初めての五番勝負・1日制のタイトル戦)、3連敗のストレート負け。また、その直後の第51期王位戦で広瀬章人に2勝4敗(2千日手)で敗れ、3年ぶりに無冠となった。なお、この王位戦の第6局(最終局)は、第38回将棋大賞の名局賞に選ばれた[10]。, 2011年度、佐藤天彦六段を破り、第82期棋聖戦で羽生への挑戦権を獲得するも、3連敗でタイトル奪取ならず。, 2015年度開催の第23期銀河戦では決勝で佐藤天彦を破り、実に12年ぶりの一般棋戦優勝を果たした。, 2017年11月3日、第67期王将戦挑戦者決定リーグ戦で斎藤慎太郎に勝ち、史上19人目となる公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成した[11]。, 第77期(2018年度)A級順位戦は、2勝7敗でクラス9位の結果に終わり、4度目のB級1組降級となった。, 第69回NHK杯将棋トーナメントにて、稲葉陽、増田康宏といった若手実力者を退けて、同棋戦初優勝を果たした。, なお、4度目となる2012年度(第71期)のA級順位戦では3勝6敗であったが、2勝7敗者が3名いたため7位となり、自身初のA級残留を決めている。, 若手時代から、手厚さ、強靭な受けを特徴とする安定した将棋を指す棋風であり、長年、棋界指折りの通算勝率(約7割)を維持した。その一方、数々の大舞台で深浦と戦っている羽生善治は、深浦の将棋を「アグレッシブ」、「積極的」と評している[14]。, 基本的には居飛車党であり、矢倉、角換わりを指すことが多い。2006年頃以降は振り飛車戦法も指す、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極的な攻めも合わさった幅の広い棋風となってきている。2007年からの羽生とのタイトル戦でもその傾向が見られる。, 序盤の研究家としての側面もあり、序盤作戦の指針となる『これが最前線だ!』『最前線物語』『最前線物語2』の三部作を著している。, 佐藤はさらに「こんなにすごい終盤は記憶にない。」「(2枚の金を1枚の角と交換し、その角を5三に打つ手順の詰みは)すごい手。なかなか見ない筋。奇跡的な詰みと言ってもよい。」と評している。, ただし、タイトル戦以外では、朝日オープンで2004年(2003年度)の第22回に防衛戦の経験あり。, 12歳で長崎から上京した深浦康市九段が、愛弟子・佐々木大地五段に何よりも望む「恩返し」 | 観る将棋、読む将棋, なぜ深浦康市は立ち上がることができたのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.18】, https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180625/soc1806250002-n1.html, “将棋:第77期名人戦A級順位戦 佐藤康光九段-深浦康市九段 第4局の1 - 毎日新聞”, https://mainichi.jp/articles/20180803/ddm/007/040/055000c, http://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2018/09/post-75cb.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=深浦康市&oldid=79134058, B級2組 - C級2組の*は降級点の数(B級2組・C級1組は2点、C級2組は3点で降級), ()内は連勝数。5連勝以上で公式棋戦優勝相当。連勝が次年度に継続した場合も勝抜きの対象。2003年(第22回)で終了。, 第32回(2005年)までの敢闘賞を廃止し、第33回(2006年)より新設。前年度の活躍が対象。, 第32回(2005年)で廃止、第33回(2006年)より新たな敢闘賞を創設。前年度の活躍が対象。, 1999年度(第58期)、B級2組順位戦で、9勝1敗で3位(次点)。このときの昇級者は、いずれも9勝1敗の, 2003年度(第62期)、B級1組順位戦では最終成績11勝1敗とし、最終局まで2局残した状態で初のA級昇級を決める。, 2004年度(第63期)、初参加のA級順位戦は、最終9回戦で羽生に勝てば勝ち越しで残留であったが、敗れたため, 2005年度(第64期)、B級1組順位戦では最終成績10勝2敗とし、最終局まで2局残した状態で1期でのA級復帰を決める。, 2007年度(第66期)、B級1組順位戦では最終成績9勝3敗とし、最終局まで2局残して, 2008年度(第67期)、3度目のA級順位戦では、三浦弘行、鈴木大介とともに3勝6敗という最下位の成績に終わり、順位が上の三浦が残留、深浦と鈴木が降級した。なお、A級在籍のタイトル保持者がB級1組に陥落するのは史上初である(当時は王位), 1996年に現在の夫人と結婚。同年に深浦が風邪をこじらせて入院してしまった際に、入院先の病院で夫人が看護婦を務めており、出身が同じ長崎県ということで意気投合したのがきっかけ, 羽生善治に対しては、2007年第48期王位戦で羽生からタイトルを奪い、翌年、羽生を相手に自身初の防衛戦で勝利するなど善戦している, 他の弟子も九州出身者が多く、東京や関東圏出身者はいない。これについて「地元の方から手を差し伸べてもらい、師匠(花村元司九段)などにも橋渡しをしてもらったという恩がありますから。できるだけ、プロ棋士となかなか出会えない地方出身者から弟子を取ろう」と語っている。, 3手・5手からの詰将棋 初段・1・2級—基本手筋から実戦問題まで120題 実力判定(2004年8月、.