1. イラクへの関わり 筆者は昨年11月に駐イラク大使を最後に外務省を退職しましたが、外交官生活の最後の期間、イラクの戦後復興に深く関わってきました。最初は2004年から5年にかけてイラク、在サマーワ外務省連絡事務所長として自衛隊と共に南部イラクの人道、復興援助に関わり、そして2008年から約2年4か月に亘り駐イラク大使として首都バグダッドにおいて勤務しました。 両方ともイラク戦争後の混乱時期であり、不安定な治安状況の中、厳しい勤務環境下での勤務生活でしたが、イラク戦争と戦後の復興という歴史的事業に携わるという高揚、準戦時下での勤務、生活という特別な緊張感、そして外交官としてやりがいのある仕事をやっているという充実感を感じながら任務を全うすることが出来、一種の達成感を持って外交官としての最後の期間を終えることが出来たことは幸せなことだったと感じています。 2. サマーワにおける経験 日本の自衛隊は2004年2月より南部イラク、ムサンナ県の首都サマーワにベース キャンプを設け、南部イラクの人道・復興援助に従事しました。同時に外務省も在サマーワ連絡事務所を同キャンプ内に設置、外務省員5名が常駐し自衛隊と協同して人道・復興援助の実施に従事しました。 自衛隊と外務省の協同作業による援助の企画立案、実施という初めての試みであり、また極めて緊張した、特殊な環境の下でのオペレーションでしたが、全般的には非常にうまく成功したオペレーションだったと感じています。 その第1の理由は自衛隊が地元の関係に非常に気を遣い、県政府、治安当局、メディア、そして有力部族、住民一般と良好な関係構築に努めたことです。このことは、駐留中一人の人的被害も無く、無事に復興援助の使命を完遂することを可能にした最も重要な理由であったと考えます。筆者も記憶しているのは、定期的に地域の部族長や幹部を招いた昼食会の開催、地元メディアへの定期的ブリーフィング、地元住民との交換会等への出席でした。 第2には自衛隊と外務省との密接な情報交換、意思疎通体制の構築、維持がありました。具体的には、原則として毎晩その日の作業が終わった時間に復興支援部隊幹部と外務省連絡事務所要員との打ち合わせを行い、お互いの情報をシェアーするとともに、行動計画の打ち合わせ、新しい案件についての協力について話し合いました。また、イラク側との各種協議や援助関係の行事にも共同で参加しました。このようにして、自衛隊の有する人的な資源と外務省の有する資金力(ODA)を組み合わせてユニークな協力が出来たと思います。 上記のようなイラクにおける軍民の協力は戦争後のイラクという特殊な状況の中で行われたものであり、どこでも可能というわけではありませんが、紛争地における復興援助、ネーション・ビルディング一つのモデルとして参考になるように思われ、外務省としても貴重なinstitutional memoryとして引き継いでいくべきものと考えます。 3.大使としてのバグダッド勤務を通じて見たイラクの現状と将来 大使としてのバグダッド勤務を通じイラクに010年10月までバグダッドに駐在しました。2005年~2007年中旬まではイラクの情勢は最悪の状況にありましたが、2006年の終わりから始められた米軍増派、一部スンニー派部族の米軍、政府への協力への転換、シーア派民兵組織への政府軍の攻勢という3つの要因により、2008年には漸くイラクの治安情勢は改善に向かい、筆者が勤務を開始した2008年半ば以降は普通の外交活動が出来る状況になっていました。筆者が大使として在勤した2年4か月を通して観察したイラクという国の現状と将来の見通しは次の通りです。 (1)イラクの現状 一言で言えば、イラクは今本格的な安定化へ向かう正念場に差し掛かっているものと思われます。2009年には統一地方選挙、2010年には国政選挙を無事に成功裏に実施しました。筆者も国際オブザーバーとしてこの2つの選挙現場を視察しましたが、民主主義の歴史が浅いことを考慮すれば極めて立派な選挙だったと考えられ、各国国連も同様な評価をしています。事実不正な投票が行われた様子はほとんどありませんでした。また、この数年の傾向として、宗教色、宗派色を薄めた政党乃至政治グループ化が顕著となりつつあります。勿論シーア、スンニー、クルド系という主要グループの色分けはイラク政治における基本的なファクターとして厳然として存在することは事実ですが、これを超えてのグループ化が徐々にでも強まりつつあることも事実であり、イラク式民主主義の成熟にとって好ましい傾向であると言えます。 昨年の国政選挙のあと新政府の樹立までに約9か月の長期間を要し、政治の不安定化が危惧されましたが、12月に漸くマリキ首相の再任で合意が成立、主要政治グループが全て参加する形での新政権が発足し、イラク人自身の手による政権移行が実現しました。新政権の課題は色々ありますが、何と言っても電力、水などの民生の向上と雇用の促進のための経済開発です。これが今後のイラクの政治、治安の安定に決定的に重要です。 イラク戦争後、イラクの政権はシーア派が主体となり、宗教色の強化、イランの影響力の強まりが心配されましたが、筆者の見るところでは、これはそれほど心配ないとみています。イラクのシーア派の人々、政治指導者は基本的に穏健かつ現実的な人たちであり、イラクの政治がイランのような宗教色の強い原理主義的なものになる可能性は小さいように思います。外国との経済関係についても基本的にオープンな考え方を持っています。また、イランの影響についても、イランが一定の影響力を持っていることは否定できませんが、イラクがイランの属国化するようなことは近い将来ありえないでしょう。イラクのシーア派はアラブ人であり、ペルシャ人のイランとは民族的な違いからくる強い対抗心が存在しています。 (2)イラクの将来 米及び多国席軍のイラク進攻によるサダム・フセイン政権のレジーム・チェンジは進攻の理由とされた大量破壊兵器が発見されなかったこと、更に当時のイラク政権とアルカイダ等のテロ集団との関係が立証されなかったこと、そして戦闘とその後の混乱による多大な人的、物的被害により、その判断が厳しく批判されているのはご承知の通りです。当時のブッシュ政権の政策判断が正当化されるか否かは今後の歴史の判断に委ねられると思います。然し、戦争の是非は別にして、現在のイラクの状況を見れば、イラクがそこそこに安定した穏健なそして経済的にも発展した国になる希望が漸く見えてきたように感じられます。 勿論イラクにおける民主主義はまだまだ完全なものではなく、政治も治安も問題がなくなった訳ではありませんが、少なくとも少しずつ前進する可能性があり、今後2~3年が極めて重要に時期、言わば正念場になるでしょう。 現在、中東においてはチュニジア、エジプトに続きリビア、シリア、バーレーン、イエーメンなど多数の国において民主化や政権交代の要求を中心にした民衆の運動が広がっていますが、イラクにおいては政権交代ではなく政府の実績に対する要求であり、イラクは現在の中東地域において最も民主化が進んだ国となっていることが伺えます。 (3)日本との関係 このような情勢の安定化に伴い、外国企業のイラク進出への機運も高まり、日本企業も徐々に活動を開始、日本政府もこれを後押しするための種々の活動を行いました。2回にわたる経済フォーラムの開催、経済ミッションのイラク訪問、投資セミナーの開催等、イラクとのビジネス関係強化のためのイベントを行い、イラクの現状と今後の経済・ビジネス関係強化に向けての布石を打つ努力を行いました。これまでのところ、他国の企業に比べ、日本の企業は治安状況に対する不安感が強く、イラク進出について慎重な姿勢を取っています。イラクにおいては戦争前の1980年代に多数の日本企業が電力、建設、製造等の分野で活発な経済活動を行った実績を通じ、日本企業に対しては高い評価があり、戦後の復興についても日本企業からのより積極的な貢献を期待しています。今後、日本の企業がイラクの情勢をより正しく認識し、イラクの市場としての将来性とリスクを冷静に評価してビジネス活動が本格的に動き出すことを期待しています。, […] 「イラクの現状と将来」2011-4-11 論壇も合わせてお読みください。(霞関会編集部) […], 筆者は昨年11月に駐イラク大使を最後に外務省を退職しましたが、外交官生活の最後の期間、イラクの戦後復興に深く関わってきました。最初は2004年から5年にかけてイラク、在サマーワ外務省連絡事務所長として自衛隊と共に南部イラクの人道、復興援助に関わり、そして2008年から約2年4か月に亘り駐イラク大使として首都バグダッドにおいて勤務しました。, 両方ともイラク戦争後の混乱時期であり、不安定な治安状況の中、厳しい勤務環境下での勤務生活でしたが、イラク戦争と戦後の復興という歴史的事業に携わるという高揚、準戦時下での勤務、生活という特別な緊張感、そして外交官としてやりがいのある仕事をやっているという充実感を感じながら任務を全うすることが出来、一種の達成感を持って外交官としての最後の期間を終えることが出来たことは幸せなことだったと感じています。, キャンプを設け、南部イラクの人道・復興援助に従事しました。同時に外務省も在サマーワ連絡事務所を同キャンプ内に設置、外務省員5名が常駐し自衛隊と協同して人道・復興援助の実施に従事しました。, 自衛隊と外務省の協同作業による援助の企画立案、実施という初めての試みであり、また極めて緊張した、特殊な環境の下でのオペレーションでしたが、全般的には非常にうまく成功したオペレーションだったと感じています。, その第1の理由は自衛隊が地元の関係に非常に気を遣い、県政府、治安当局、メディア、そして有力部族、住民一般と良好な関係構築に努めたことです。このことは、駐留中一人の人的被害も無く、無事に復興援助の使命を完遂することを可能にした最も重要な理由であったと考えます。筆者も記憶しているのは、定期的に地域の部族長や幹部を招いた昼食会の開催、地元メディアへの定期的ブリーフィング、地元住民との交換会等への出席でした。, 第2には自衛隊と外務省との密接な情報交換、意思疎通体制の構築、維持がありました。具体的には、原則として毎晩その日の作業が終わった時間に復興支援部隊幹部と外務省連絡事務所要員との打ち合わせを行い、お互いの情報をシェアーするとともに、行動計画の打ち合わせ、新しい案件についての協力について話し合いました。また、イラク側との各種協議や援助関係の行事にも共同で参加しました。このようにして、自衛隊の有する人的な資源と外務省の有する資金力(ODA)を組み合わせてユニークな協力が出来たと思います。, 上記のようなイラクにおける軍民の協力は戦争後のイラクという特殊な状況の中で行われたものであり、どこでも可能というわけではありませんが、紛争地における復興援助、ネーション・ビルディング一つのモデルとして参考になるように思われ、外務省としても貴重なinstitutional memoryとして引き継いでいくべきものと考えます。, 大使としてのバグダッド勤務を通じイラクに010年10月までバグダッドに駐在しました。2005年~2007年中旬まではイラクの情勢は最悪の状況にありましたが、2006年の終わりから始められた米軍増派、一部スンニー派部族の米軍、政府への協力への転換、シーア派民兵組織への政府軍の攻勢という3つの要因により、2008年には漸くイラクの治安情勢は改善に向かい、筆者が勤務を開始した2008年半ば以降は普通の外交活動が出来る状況になっていました。筆者が大使として在勤した2年4か月を通して観察したイラクという国の現状と将来の見通しは次の通りです。, 一言で言えば、イラクは今本格的な安定化へ向かう正念場に差し掛かっているものと思われます。2009年には統一地方選挙、2010年には国政選挙を無事に成功裏に実施しました。筆者も国際オブザーバーとしてこの2つの選挙現場を視察しましたが、民主主義の歴史が浅いことを考慮すれば極めて立派な選挙だったと考えられ、各国国連も同様な評価をしています。事実不正な投票が行われた様子はほとんどありませんでした。また、この数年の傾向として、宗教色、宗派色を薄めた政党乃至政治グループ化が顕著となりつつあります。勿論シーア、スンニー、クルド系という主要グループの色分けはイラク政治における基本的なファクターとして厳然として存在することは事実ですが、これを超えてのグループ化が徐々にでも強まりつつあることも事実であり、イラク式民主主義の成熟にとって好ましい傾向であると言えます。, 昨年の国政選挙のあと新政府の樹立までに約9か月の長期間を要し、政治の不安定化が危惧されましたが、12月に漸くマリキ首相の再任で合意が成立、主要政治グループが全て参加する形での新政権が発足し、イラク人自身の手による政権移行が実現しました。新政権の課題は色々ありますが、何と言っても電力、水などの民生の向上と雇用の促進のための経済開発です。これが今後のイラクの政治、治安の安定に決定的に重要です。, イラク戦争後、イラクの政権はシーア派が主体となり、宗教色の強化、イランの影響力の強まりが心配されましたが、筆者の見るところでは、これはそれほど心配ないとみています。イラクのシーア派の人々、政治指導者は基本的に穏健かつ現実的な人たちであり、イラクの政治がイランのような宗教色の強い原理主義的なものになる可能性は小さいように思います。外国との経済関係についても基本的にオープンな考え方を持っています。また、イランの影響についても、イランが一定の影響力を持っていることは否定できませんが、イラクがイランの属国化するようなことは近い将来ありえないでしょう。イラクのシーア派はアラブ人であり、ペルシャ人のイランとは民族的な違いからくる強い対抗心が存在しています。, 米及び多国席軍のイラク進攻によるサダム・フセイン政権のレジーム・チェンジは進攻の理由とされた大量破壊兵器が発見されなかったこと、更に当時のイラク政権とアルカイダ等のテロ集団との関係が立証されなかったこと、そして戦闘とその後の混乱による多大な人的、物的被害により、その判断が厳しく批判されているのはご承知の通りです。当時のブッシュ政権の政策判断が正当化されるか否かは今後の歴史の判断に委ねられると思います。然し、戦争の是非は別にして、現在のイラクの状況を見れば、イラクがそこそこに安定した穏健なそして経済的にも発展した国になる希望が漸く見えてきたように感じられます。, 勿論イラクにおける民主主義はまだまだ完全なものではなく、政治も治安も問題がなくなった訳ではありませんが、少なくとも少しずつ前進する可能性があり、今後2~3年が極めて重要に時期、言わば正念場になるでしょう。, 現在、中東においてはチュニジア、エジプトに続きリビア、シリア、バーレーン、イエーメンなど多数の国において民主化や政権交代の要求を中心にした民衆の運動が広がっていますが、イラクにおいては政権交代ではなく政府の実績に対する要求であり、イラクは現在の中東地域において最も民主化が進んだ国となっていることが伺えます。, このような情勢の安定化に伴い、外国企業のイラク進出への機運も高まり、日本企業も徐々に活動を開始、日本政府もこれを後押しするための種々の活動を行いました。2回にわたる経済フォーラムの開催、経済ミッションのイラク訪問、投資セミナーの開催等、イラクとのビジネス関係強化のためのイベントを行い、イラクの現状と今後の経済・ビジネス関係強化に向けての布石を打つ努力を行いました。これまでのところ、他国の企業に比べ、日本の企業は治安状況に対する不安感が強く、イラク進出について慎重な姿勢を取っています。イラクにおいては戦争前の1980年代に多数の日本企業が電力、建設、製造等の分野で活発な経済活動を行った実績を通じ、日本企業に対しては高い評価があり、戦後の復興についても日本企業からのより積極的な貢献を期待しています。今後、日本の企業がイラクの情勢をより正しく認識し、イラクの市場としての将来性とリスクを冷静に評価してビジネス活動が本格的に動き出すことを期待しています。. イランは核合意の濃縮能力に関する制限を遵守せずと表明するもIAEAとの協力関係は維持する旨を発表。 (1)イラクの現状 一言で言えば、イラクは今本格的な安定化へ向かう正念場に差し掛かっているものと思われます。 2009年には統一地方選挙、2010年には国政選挙を無事に成功裏に実施しました。 同じく3日、イランの最高指導者ハメネイ師は3日間の喪に服すこと及びその後の報復を宣言し、イランの国連大使は国連事務総長宛ての書簡で自衛権の行使を示唆。 x�c```f``�f`a`�\� Ā BL�@q�@ά��x�000v8XH_��!%ab��p����(h@W�d� 30�i���
@k92��'|��ĠΠ�.��Ԁ�Cpc��2F��>�S��4#� ~% 23 0 obj endobj 1月2日、エスパー国防長官は、イランとその代理勢力がアメリカへの攻撃を実施する兆候がある、局面は変化し、米軍はイランへの先制攻撃を辞さずと警告。 endobj ã¤ã©ã¯è¨ªåï¼2015å¹´4æï¼, 叿³å
±å©å極ï¼1968å¹´5æ7æ¥çºå¹ï¼, æè¡åååå®ï¼1974å¹´11æ11æ¥çºå¹ï¼, ï¼1ï¼æ©æ¬å°æãé§ã¤ã©ã¯ç¹å½å
¨æ¨©å¤§ä½¿, ï¼2ï¼ããªã¼ã«ã»ã ã¼ãµã¦ã£ã¼ãé§æ¥ã¤ã©ã¯å¤§ä½¿. endobj アメリカは、イランと関係の深いシーア派民兵組織がデモを扇動し、デモの中に民兵組織の制服を着た構成員を確認したと主張。 空港を出発し、貨物ターミナル付近を走行しているところに米無人機から発射された誘導ミサイルが命中し、司令官は死亡、同乗していたカタイブ・ヒズボラのムハンディス司令官も死亡。 米国防省は、中東地域に米軍3000人を追加派遣すると発表したとの報道。 <> %PDF-1.4 12月27日、対ISIL有志連合が駐留するイラク中部キルクークのイラク軍基地にロケット弾30発以上が着弾し、米軍が契約する民間人が1人死亡、米軍兵士4人とイラク治安部隊2人が負傷しました。 イラクは、あのフセイン政権崩壊のイラク戦争から早くも16年を経過しました。 現在、中東ではサウジアラビアや米トランプ政権と激しく対立しているイランが世界に注視されています。 イラクについてはほとんど日常の話題にのぼることはありません。その後のイラクの現状が気になります。イラクには日本政府も自衛隊を派遣してイラクの国家再建を支援した経緯があります。 本稿ではフセイン政権が崩壊してから今日までのイラクの現状を分かりやすくまとめてみました。, 米英の有志連合軍は2003年3月、仏、独、中、露の反対にもかかわらず、強引にイラクに攻め込みイラクのフセイン政権を2ヶ月で崩壊させました。 しかしその後米英軍の占領政策のまずさや、イラク新政府の失政と暴虐が重なり、深刻な民族や宗派の対立を引き起こし、戦闘状態はその後も延々と続きます。 毎日のようにほうぼうで暗殺やテロ、拉致や拷問が繰り返されました。 米国のイラク侵攻は国連安保理により義務付けられた大量破壊兵器の破棄違反を理由とした侵攻でしたが、戦後の丹念な捜索でも大量破壊兵器は見いだせず、結局緊急差し迫った脅威はなかったことが判明し、大きな非難を受けブレア英首相は辞任します。 特にこの時の米軍による非人道的行為はアラブの人達に後々までも拭いきれない傷跡と深い憎悪の思いを残しています。, アブグレイブ刑務所での米軍女性兵士による投降イラク兵捕虜に対する虐待などは氷山の一角に過ぎず、多数の不法な拷問と虐殺が疑われています。, この戦争の意味は中東を大きく混乱させるとともに、米国に対する中東の人達の憎しみを増幅させ、更にイランの潜在的な影響力をイラク内部に浸透させたところにあります。, フセイン政権崩壊後のイラクは治安が大いに悪化しました。政権が逆転したことから報復の嵐が吹き荒れました。, 戦後、旧フセイン体制の人達はすべて公職を追われ、その他の民族や宗派の争いに巻き込まれた多数の人達とともにイラクの新政権下では徹底的に迫害され虐待されました。 独裁体制から議会制民主主義が採り入れられ、民主的な選挙により首相が選ばれることになりましたが、2005年のイラク議会選挙ではイランと密接な関わりがあるイスラム教シーア派の政党が圧勝し、それ以降親イラン政党が政権を握り続けます。 この背景には旧フセイン独裁体制下で任命制で指導的立場についていた少数のイスラム教スンニ派は、民主的な選挙制度が導入されたことで、圧倒的な人数差をもつシーア派にたちまち議席を奪われるかたちになったことによります。 これまで虐げられていたイラク新政権は、権力の後ろ盾のもとに、敵対する宗派や旧体制の人達を徹底して迫害しました。日常的に不当な逮捕や勾留、残虐行為が行われました。 このような状況下でISのような過激派組織が生まれてくる素地が出来上がりました。, イラクのこのような混乱の中でイラク西部で2006年あたりから過激派組織ISが勃興し、イラク新政権に怒りを待つ人達を吸収しながら、米軍やイラク新政権にも劣らないような残虐ぶりで周囲を侵食していきます。 ISは更に、「アラブの春」の影響からはじまったシリアの内戦につけ込み反シリア政府分子と合流しながらシリア内部へも勢力を拡大していきます。 そして2014年、イラク北部の都市モスルを制圧したISは国家樹立を宣言します。 この辺がISの最盛期となりますが、その後米仏を始めとする有志連合軍の空爆作戦の結果、後退を余儀なくされ2017年10月、イラク北部の都市ラッカがクルド人による「シリア民主軍」により陥落し、過激派組織IS国はようやく崩壊しました。, しかしIS国は形が消滅したというだけで、決して終焉したわけではなく、イラクでは現在においてもISが関与するテロや戦闘が突発的に起こっています。 そしてISの思想は世界中に拡散して潜伏しており、いつまた形をもって再現するかもわからない状況にあります。 現在のイラクは町の半分が廃墟と化しており、インフラの整備も整わず、影に潜むISの脅威とあちらこちらに爆発物が仕掛けられている現状で、未だに帰還できない避難民は国連人道問題調整事務所(OCHA)によると230万人以上はいるといわれています。 この16年間でどれだけの人が殺害されたのでしょうか。ロンドンに拠点を置くNGOの発表では一般市民で20万人、戦闘員も加えると28万人を超えるとしています。 これによると一般市民の方が戦闘員の死者よりも2倍以上も多いことになります。 これは主に、都市部など人口の密集地で戦闘が起こったり、空爆に巻き込まれたためと考えられます。それにしても死者の数はこれよりも遥かに上回ると思われます。, 現在のイラクには、まず第一に暴虐の限りを尽くす過激派残存勢力の根絶を図り、治安を回復することが優先課題となります。 並行してIS掃討のために破壊され尽くしたインフラの整備や荒廃した市街地のすみやかな再建が必要です。それには巨額の復興資金を確保しなければなりません。 イラクは向こう10年間の復興資金として9兆円に近い資金を提示していましたが、2018年2月時点で3兆2千億円の援助や投資が「イラク復興国際会議」において決まっています。 その他、解決は困難と思われるような思想的、政治的な問題も山積していますが、これらは知恵を絞って乗り切るほかはありません。 何よりもすべてのイラク国民に明日への希望を抱かせることが大事です。, 戦争の残虐さは人間を変えます。どのように言い繕っても戦争という行為は正当化できるものではありません。 日本では当時小泉政権が米国のイラク戦争に支持を表明し、自衛隊をイラクの国家再建の支援のために派遣しました。 派遣された自衛隊員は、2003年から約6年間の任務を全うして帰還したのですが、そのうち29名もの人が帰国後に自殺されているそうです。 非戦闘地域に限った派遣であり、心身ともに任務に耐えられるとして選抜された強い人達なはずです。 彼らは一体現地で何を見たのでしょうか。.
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